十六話 組織化
「うわっ、どうしたのその髪」
思わず、そう口にしてしまった。
神楽アツキの事件の後、俺は全身に火傷を負ってしまっていたので数日学校を休んでいた。俺や紅子は浴びた炎に対して、予想外に軽傷だった。とはいえガーゼや包帯で俺の見た目は随分と痛々しく、この状態で学校に行くのもどうかとは思ったが……。
とりあえず登校して、教室に入ってちょうど目の前に居たので挨拶をした相手……岬 花苗は腰まであったものすごく綺麗な髪をバッサリと肩上くらいまで切っていた。
正直とても勿体無いと感じて、ついつい口にしてしまったのが先ほどの言葉だ。
岬ちゃんはなんてことでもないように毛先を指に巻いて弄り、ケロッとした顔で口を開く。
「ん〜、ちょっと傷んじゃったからね。似合ってない?」
「いやすごく似合ってるけど」
長い髪も可愛かったが、岬ちゃんの場合は髪が短くなってもその魅力は変わらない。全く、母親もそうだったが容姿が反則的である。
「あ、そうだ。これ……」
岬ちゃんはひょこひょことぎこちない動きで自分の席に戻りカバンから何かを取り出した。それは何も書かれていない容器だ。受け取って、なんだろうと開けてみると中には軟膏のようなものが入っている。
「それ、火傷に塗って? 治りが早くなるんだってさ、お母さんに外国から仕入れてもらったもので〜真守ちゃんの綺麗なお肌が傷ついたままなんて私耐えられないから」
「え、あ、うん……ありがとう……」
火傷したって教えたっけ?
まぁいいか、と俺はその軟膏らしきものを鞄に入れる。数個渡されたので良かったら紅子にも渡してみよう。彼女も軽傷とは言ったものの、火傷は服の下だけでなく目につく範囲にも多い。
女性にとって肌に痕が残るのは耐えられないだろう。岬ちゃんの薬がどれほどの効果は知らないが、試してみても悪くない。
「すごい歩くの辛そうだったけどどうしたの?」
先程軟膏を取りに行った時に随分と不自然な動きだったのでそれが何故かを聞いてみると、その問いに対して少し恥ずかしそうに顔を赤らめた彼女はあいまいな笑みを浮かべた。
「筋肉痛というか……ね、激しい運動したら筋を痛めたというか……」
「へぇ、そうなんだ。経験則だけど、無理はしちゃダメだよ?」
「……真守ちゃんが言うと説得力ないなぁ」
我ながらそう思う。
いやしかし、残念だ。俺はやはり気になって、岬ちゃんの短くなった髪に触れる。
「あんなに綺麗だったのに」
「また伸ばすよ」
おっと、いきなり触れるのは不躾だったかな?
こちらをジッと見てくる岬ちゃんに、なんだかバツが悪くなってすぐ手を離して目を逸らした。
*
神楽アツキの能力は分かってはいたが、かなり凶悪なものだった。奴がやる気になれば俺なんて何度殺されていたか分からない、それくらいの相手だった。
紅子も同じだ。殺そうと思えば殺せるタイミングはあった。ならば何故俺達が生きているのか、そして何故予想よりも軽傷だったのか……それは単純に神楽アツキが手加減をしたからだ。
追い詰められていくとその手加減をする余裕もなかったようだが、少なくとも俺に対して直接炎を浴びせるような真似はしてこなかった。
紅子も能力にさらされてもすぐに炎を剥ぎ取られたらしく、おかげで軽度の火傷で済んだのだ。
その理由は、元々そうあればいいと思ってはいた……奴の殺しに対するハードルが高かったからだろう。
もし『記憶』のように、何度か殺人を犯した後だったならば、俺達の命はもう無いだろう。それくらい絶望的に勝ち目のない能力者だった。
差し違えても、とは思っていたが神楽アツキが冷徹に俺を殺そうと能力を使っていればその可能性は全くなかっただろう。
潔を殺す能力者を見つけるまで、潔を殺させない為に死ぬわけにはいかないと誓っていてコレだ。紅子にされた説教がまた耳に痛い。
だが野放しにしておくわけには行かなかったし、結果だけを見れば最良とも言える戦果だろう。
あの時巻き添えになった一般人も軽傷が多く、前述の通り俺達の怪我もその程度、と言えるものだったが、一人だけ生死を彷徨った人がいる。
鏑木という刑事だ。あの場で加減の効かなくなってきていた神楽アツキの炎を至近距離で受け止めた。
体の前面のほとんどに広範囲の熱傷……生きているのが不思議なくらいの、酷い状態だったらしい。
「鏑木は、多分もう元の生活には戻れない」
「そうですか……」
一生、怪我の影響を引き摺るだろうと。
身体欠損のような障害は残らなかったものの、失われた皮膚、火傷の深度、そしてその範囲。
警察官を続けることは、不可能かもしれないと。
俺は紅子と、その鏑木さんの見舞いに来ていた。今日から一般病棟に移動したらしく、お見舞いに行ってもいいとの事だった。経過は良好のようで、意識もはっきりしていて会話も難なく可能らしい。
トントン、と個室をノックすると扉の向こうから「どうぞ」と返事がある。
「鏑木、きたぞ」
「こんにちは」
恐る恐る中に入ると、顔の判別すら難しいくらい包帯まみれの男の姿があった。鏑木……なのだろう。
「おお、真守ちゃん。元気そうで良かった」
しゃがれた声で唯一はっきり露出している目が笑う。俺は目頭が熱くなった。そんな状態でまず出てくる言葉が、他人を思い遣る事なんて。
彼はあの時、険しい顔をして神楽アツキに連れて行かれた紅子に気付いて、不審に思ったのでついて来ていたらしい。
そして、神楽アツキが不可思議な力で炎を操っている姿を見て呆気にとられたものの……俺達の危機に駆けつけ、身を挺して庇った。
「すみません……ほんとに」
「? なんで君が謝るんだ?」
あの場であんなことになったのは間違いなく俺のせいだ。元の歴史を考えると先程も言った通り最良と言ってもいい結果は得たが、目の前の痛々しい姿を見てこれで良かったとはとてもではないが言えない。
「実はね、『能力者』……彼みたいな超能力者のことを、紅子から聞いてるんだ。そして君は『未来』を知ることもね、その未来を変える為に行動した結果があれなんだろう?」
紅子は俺よりも前に鏑木の見舞いに来ていたらしい。その時に色々と事情を説明したのだろう。
「そうです、でもどうすればうまくいくのかわからなくて……ただ、状況に流されただけです」
「彼はもっと人を殺していたはずだと聞いたよ。重傷は僕だけ、とてもいい結果じゃないか」
励まされている……のか?
俺は相当複雑な表情を浮かべているらしい、鏑木も困ったように笑っている。
「……真守、色々と調べた結果だが神楽アツキは数年前に人を殺していた」
「えっ」
沈黙を破るように突然紅子がそう言った。
「奴の母親の当時の彼氏を、家ごと……と、思われる。あくまでタバコの不始末という話になっていた。その時に子供を一人巻き込んでいる」
「こども……」
───タカオくん……ごめんよ……。
「そういう、ことだったのかな」
「なにがだ?」
紅子になんと答えたらいいものか分からず、俺は難しい顔で腕を組む。
「いえ、私に対しては紅子さんよりも傷付けないように気を付けていた感じがあって。多分、その件が関係しているのかな、と」
「……私も同じ結論に至った。結果的に、お前が当初言っていた計画通りになったな。神楽アツキの攻撃性が低いうちに、奴を……まぁ捕まえれたら、一番良かったんだが」
俺という目撃者、あとは歯型などの一致であの焼死体は神楽アツキだと診断された。一体どういう能力の使い方をしたのか、身体の内側から発火していたらしい。
「でもさ、驚いたよ。他にも、神楽アツキのような能力者がいるんだろう? 鈴木、警察では今後どんな対策取るって?」
「あぁ……そのことなんだが」
鏑木の問いに紅子が何かを思い出したとハッとしたような顔で、続きを口にしようとした時病室の扉がノックされた。
「失礼する」
鏑木さんが返事をする前に入って来たのは、黒い髪をオールバックに纏めた目つきの悪い男だった。
「あ、巾木さん……」
その人は、『兄』の時の顔見知りだったので思わずそう呟いてしまう。それをしっかりと周りは聞き逃さず、鏑木や紅子、そして今入って来た巾木まで俺をじっと見てくる。
ちょっと口に出てしまったが、ここでは初対面だ。鏑木には話をしてあるが、巾木からしたら意味不明だろう。
「なるほど───」
「聞いていた通りだな。巾木、お前面識ないんだろ?」
巾木が何かを言おうとして、すぐに後ろから来た人にそれを遮られてバツの悪そうな顔をした。巾木よりも背が低い、五十代くらいに見える男だ。こちらは見覚えのない相手だった。
「よう、未来を知る嬢ちゃん。俺は、大観だ」
「大観……さん」
後から来た男に握手を求められたのでこちらからも握り返す。大観……『記憶』に少し引っ掛かりがあったので、じわりと思い出して来た。
大観は確か、巾木の恩師だ。だが『兄』の時、巾木と知り合った時には既に───死んでいた。
「貴方は、念動力を操る能力者……」
そして巾木から俺はそう聞いていた。
だからこそ、大観は『兄』の時に警察内にあった能力者対策部を立ち上げることができたのだと。
その後を継いで部長をやっていた巾木から教えてもらった。
俺の発言に、驚きに目を見開いたのはこの場にいる全員だ。巾木は何故知っているのか? という顔だが、鏑木や紅子は知らなかったのか驚きすぎて口が開け放しだ。
「ほう、そんなことまで。これはもう疑う余地もないな」
大観は、落ち着いた様子でその辺の椅子に勝手に座る。そして、徐に手をかざすと俺達が鏑木に持ってきた菓子折りがふわりと宙に浮き、そのままぎこちない動きで紅子の手元まで飛んでいく。
「お、おおお?」
間抜けな声を出しながら紅子が手を下に置いたところで、急に菓子折りは重力に引かれて彼女の手の中に落ちる。
大観の方を見ると、運動した後のように汗をかいて「ふーっ」と一息ついていた。
「まぁこんなのが限界だけどな。神楽アツキはなんだありゃ、俺や鈴木とはモノが違いすぎる」
紅子の方は自分の能力のことを伝えてあるのか。そしてこの面子、もしかしてもうアレが出来たのだろうか?
「まぁというわけで、真守ちゃん……で良かったよな? 俺は今度設立される超能力者対策部の部長になる予定の、大観だ。これからきっと接点も増えていくだろう、話を聞かせてもらうこともあるかもしれない。その時はよろしくな」
*
中学一年生となった周防潔は帰路を急いでいた。家では愛しの妹が待っており、今日は共にスイミングへ行く日なのだ。
妹の真守は数年前にとある事件に巻き込まれて酷い怪我を負った。そのあとは自衛のために格闘技を色々と習っていたが、今はそのほとんどをやめている。
ただ心肺機能を鍛えるためだと水泳だけは続けており、妹の習い事の全てに同行していた潔も同じく水泳を習っている。
潔の身長は中学一年生にして170cmに到達しており、平均より大きな体格に女性らしい……いや、凹凸が並の女性離れしたスタイルだ。
彼女は妹と共に習った格闘技を普通よりも高いレベルで習熟しており、その恵まれた体格と合わされば男も顔負けな……回し蹴りが放てる。
ヒュゴッ!
と、中学生が出したものとは思えない蹴りによる風切り音。しかしその足は空を切り、潔はその感触のなさに思わず舌打ちをする。
「おいおい、いきなりすぎるだろ。まだ何もしてない」
「音もなく後ろに現れて、それはないでしょ?」
ならなんで気付いたんだよ……と少し離れたところから一人の少年が姿を現した。彼が指を鳴らすと、数人の男女が姿を現す。
いずれも、自分と同じかそれ以上の年齢に見える。先程、潔が蹴り損ねた少年は彼らよりも前に立ち、不敵な笑みを浮かべて潔に言う。
「周防潔、君は俺たちの『同胞』だ。どうか力を貸してほしい」
「同胞……?」
眉を顰め、潔は警戒を露わにする。
彼は指を鳴らす。すると、彼の近くにいた仲間らしき人間一人が姿を消した。
「これが俺の力だ。君は自覚があるかどうかは知らないが……俺達は能力者と呼ばれている」
能力者。潔は、口の中でその言葉を反芻した。思い出した記憶があった。
『お前達、能力者は俺が殺す』
妹は、あの事件に巻き込まれた後しばらく夢見が悪かった。その時にうわごとのように言っていた言葉。
「俺達の中に、その力を悪用しようとしている者がいる。それを止めたい、だから仲間を探している」
「私が、何故あんたらの仲間にならなければいけない」
「君の妹はすでに二人、能力者との戦いに巻き込まれている」
例の事件の二年後、妹が全身に火傷を負って帰ってきたことがあった。その時の事件にはずっと違和感があって、不審に思っていた。
ピク、と。潔の瞼が痙攣し、それを見た少年は口角を上げる。
「能力者はもう既に居るんだよ! その中にはもちろん力を悪用している人間が!」
グッと、少年は拳を強く握り硬い意思を示した。
「俺は、耐えられない。この力は、悪に用いられるべきではない。『変革の時』は近い、時間が無いんだ」
彼の仲間の内から、一番幼く見える女の子が前に出た。どこか焦点が曖昧な子で、彼はその子の肩を抱き、視点を合わせるように屈む。
「この子には、『予言』の力がある。『変革の時』を経て……能力者が世に蔓延り、人口が半分以下になる地獄の時代が来ると」
「……それで? あんた達が私を仲間にしてそれを止められると?」
少年の必死の声に潔はその言葉を疑わず受け入れた上で、だからなんだと平然とした顔をしていた。
「止めるんだ、何故それが起きるのか、誰が起こすのかまだ分からない……いや、はっきり言おう。君の妹はこの戦いの最前線に既にいる」
「真守は、私が護る」
間髪入れず返された言葉に、少年は勝ち誇った嫌味な笑みを浮かべる。
「その為にも、俺達の力があった方がいい。対・悪性能力者集団……通称、『対魔』のね」
ダサっ。
潔の返した言葉はそれだけだった。




