十四話 神楽アツキ
「余計なことを考えないで下さいね。僕の力を防ぐには……少なくとも僕を即死させるくらいじゃないと、周りに……ね」
紅子の腕をあっさりと離し、ついてこいと前を歩く神楽アツキは軽快な足取りと声でそう言った。
その際に自身の両手を大袈裟に周囲に向け、あまつさえ実際に炎を出してみせた。それに対してビクビクとする俺と紅子を見て意味深な笑みを浮かべる。
(遊びやがって……)
苛立ちが募るが、実際に手から炎を出す様を見せられると本能的な恐怖が襲ってきて思わず身体を強張らせてしまう。
(まさか、本当に向こうから接触してくるとは)
そうなるかもしれない、とは頭の片隅にはあった。しかし神楽アツキのことを先に捕捉するのは自分が良かったと唇を噛む。
だが、神楽アツキは今すぐに何かをするというつもりはなさそうだった。こちらを伺う様子は見せているものの、害意のようなものは自分達にも周囲に対しても無さそうに見える。今のところは、だが。
「チッ。何を考えてる、私達に何の用だ」
「何の用? それは僕の台詞ですよ」
それだけで、奴は暗に俺達が神楽アツキの足跡を追いかけていたことを指摘してくる。気付いていたんだぞ、と。
「貴方の《力》は何ですか?」
唐突に、神楽アツキは紅子を見てそう聞いた。紅子は少し逡巡してから意を決したように口を開く。
「嘘を、見抜く力だ」
「……なるほど、納得しました」
納得した。嫌な言い方だ。紅子は嘘でも攻撃性のある能力を持っていると言うべきか悩んだのだろう……しかし、そうはしなかった。
不気味だからだ。この男が次の瞬間に何をするかわからない。故に少しでも機嫌を損ねる事が恐ろしい。
歩きながら周囲を伺う。今は車通りのほとんどない商店街の辺でまばらに人が歩いていて、喫茶店や飲食店には食事をしている客も見受けられる。
繁華街と言うほどの人混みではないが……神楽アツキが炎を振り撒けば、どれほどの悲劇が起きるか想像に難くない。
「僕に気付かれるように調査していたでしょう? それは何故です? 何故……僕が《力》を使うとわかった?」
急に立ち止まり、わずかに振り返りながら神楽アツキはそう言った。紅子が俺をチラリと見て、頷いた俺は一度唾を飲み込んで答える。
「私が『未来』を、見た。お前はこれから何人もの人をその力で燃やし、殺す。その相手はほとんどが家族連れで……私はそれをさせるわけにはいかない」
俺の答えに、くるりと神楽アツキは身体ごと完全にこちらに振り返った。僅かに驚いた表情を浮かべて神楽アツキは俺の目を深淵のような瞳で覗き込んでくる。
目を逸らし、奴はわざとらしく手のひらの上に握った拳をおいて、納得したとでも言いたげなパフォーマンスをする。
「なるほどね───確かに、貴方達の存在に気を取られていなければ、あり得る」
不気味だ。
神楽アツキという男に『兄』の時に会った事はない。だから今このように底の知れない男だったのかと戦慄している。はっきり言って、俺の浅知恵で掌握できるような相手ではなさそうだ。
「お姉さんの方は、警察ですか。そうですか……なるほど……ならば、単刀直入に言います、僕はたった一つだけ、やりたい事がある。いえ───殺したい人がいる」
ゾッと、背中を冷たい水が流れたような感覚。見上げたその表情は一言では表せられない程の感情がこもっており、俺には紅子のような力がないのにも関わらず、それが嘘ではないとはっきり分かった。
「その人だけ、邪魔しないで頂きたい。そのあとは、いいですよ。捕まえてください。あ、それか何かの実験体にされたりします? なんでもいいです」
軽い、口調だ。
紅子が苦虫を噛んだような顔で唸るように声を出す。
「人殺しを、警察である私が、見逃すと?」
「見逃せ、と言っているんです」
バチリ。目に見えない火花が神楽アツキと紅子のぶつかる視線の間に走った気がした。
神楽アツキが、一人だけ殺したいと言った相手。俺は『記憶』の中から神楽アツキに対しての情報を整理する。
それは、彼が二番目に犯した殺人。神楽アツキは無関係の親子をまず殺し……間髪入れず、次に殺した相手がいる。何故か、その相手が本命なのだろうと思った。
「母親、か?」
つまり、至った結論がそれだった。
神楽アツキは俺を見下ろし、ギョロっとした目を瞬かせて……ニコリと笑った。ブルリと無意識に身体が震えてしまう。
「許すわけがないだろう! それくらいなら! どんな難癖をつけてでもお前を───!」
かざした手。
それは俺に向けてが一つ。そしてもう一つ空いた手は……周囲に向けられていた。
「貴方の他にも警察官が後をつけていたりしますか? 例えしていても……犠牲者が増えるだけですよ」
ギュッと、俺は前に抱えたリュックを強く抱きしめる。気付かれないようにチャックの隙間から隠しポケットに手を突っ込み、その中にあるものをしっかりと確認する。
神楽アツキは、なんてことでもないという軽い笑みを浮かべて続けた。
「僕にかかれば、貴方も、この子も……そして今この周りで日常を過ごしている人たちも、一瞬でその命を奪えます」
「やってみろ」
驚いたような目が俺に向けられる。
しかし俺は、胸の奥底から滲み湧き出す『怒り』に身を任せ、強く……強く神楽アツキを睨みつける。
「やってみろ……ッ! 俺が、その前にお前を殺してやるッ!」
俺が吠えて、それに驚いた神楽アツキ、そして視線から外れた紅子。
一瞬だ、その一瞬で紅子は懐から拳銃を取り出して近くに路駐してあった車のガラスに向けて発砲した。
「今すぐここから離れろォォ!!」
発砲音にガラスの破砕音。凄まじい音が周囲に響き、道を歩く人や近くの店の中にいた人の注目を集める。
爆音後の一瞬の静寂があってすぐに、紅子の全力の叫びが響き渡った。しかしまだ周囲の人間は動けない、一瞬の事に、混乱して思考が停止している。
神楽アツキの目が俺から離れて鋭くなった。その瞬間、俺はリュックから詰め替え用のライターオイルを神楽アツキに向けて振り掛ける。
直後に、神楽アツキが能力を行使した。手を起点に無から炎が湧き出てくる。
そしてその炎がライターオイルに着火して、神楽アツキの肩から顔面にかけて燃え広がった。
「きゃあァァァァ!」
誰かが叫んだ。
それを皮切りに周囲の人間達が一目散に逃げ始める。紅子がその様子を確認して一瞬ホッとした顔をするがすぐに顔を引き締めてもう一度拳銃を発砲して、無人に見える店舗のガラスを破る。
「ここから逃げろォォォ!!」
紅子の叫び、周囲にある飲食店の中も客や店員が騒然としているのが視界の端に映る。しかし今はじっくりと見ている暇はない。
神楽アツキにかかったオイルは大した量じゃない。そして……今目の前で自分を燃やす炎さえ操って見せている奴に対しては、少しの威嚇程度にしかなっていない。
だが、その僅かに稼いだ時間で奴に───しかし神楽アツキが手を振るうと、俺の足元に向けて炎が放たれた。
その炎は俺に直接当たる事はなく、しかし足元から広がる炎に俺は思わず後ろに飛び退いた。直接でなくともその熱は肌をジリジリと焼く。ゴロゴロと地面を転がって顔を上げると、拳銃を神楽アツキに向けている紅子の姿が見えた。
まるで蛇だ。
神楽アツキの指揮者の如き手の動きに追従するように炎が正確に紅子の拳銃を飲み込んだ。
焦りを顔に浮かべた紅子が慌ててその場から逃げ出す。一瞬後、炎の中で激しい破裂音が鳴り周囲に何かの破片が飛び散った。
「ぐぁッ!」
「紅子さん!」
その破片は紅子にいくつか当たり、そこから血を滲ませている。拳銃が破裂した? そんな予想をしつつもリュックの中からバタフライナイフを取り出して俺は走り出す。
チラリと、神楽アツキは俺を見た。そして奴は俺との間に炎を放ち、その炎はまるで壁のように俺と神楽アツキを分断する。
「くそッ!」
「真守! 来るな!」
熱から顔を守る為に思わず腕を上げてしまう。炎の間から、神楽アツキを捕える為にか飛びかかる紅子の姿が見える。
神楽アツキの右手から、まるで火炎放射器のように炎が放たれる。紅子はそれを身を低くして躱すと、奴の腰辺りを体当たりの勢いで抱え込み地面に押し倒そうとする。
だが、神楽アツキは傾く身体をそのままに地面に向けて両手を向けた。そこから放たれる炎は地面にぶつかってまるで爆発のように周囲を吹き飛ばす。
宙に、まるで風に煽られた紙切れのように浮かぶ紅子の姿が見えた。
「ウォォォォ!!」
「何ッ!?」
俺は炎の壁に突っ込んで、無理矢理突破した。身体中熱いし、何かが焼けた酷い匂いも鼻につく。その行動に流石の神楽アツキも虚をつかれたようだった。
おかげで奴に近付けた俺だが、懐に潜り込もうとしたところで奴に肘で顔を殴られる。少し、脳が揺れる。身体の感覚がなくなる、足元が覚束ない。
だが、それらは全て『怒り』が凌駕する。
「ウァァァァッ!」
ザクザクザクザク!
自分でも何を叫んでいるのか分からない。
がむしゃらに奴のズボンを掴み、太ももあたりにナイフをデタラメに何度も突き刺した。気色の悪い感覚を手に覚えるが、ただただ無心に手を振るう。
「ぐ、ガァァァァっ!」
神楽アツキの苦しむ声が聞こえる。
直後に、浮遊感を感じて身体が大きく揺れる。地面に肩からぶつかり、痛みにもがきながらも顔を上げると神楽アツキの立っていた位置に傷だらけの紅子がいた。ふらふらで、今にも倒れそうだ。
神楽アツキは、地面に倒れていた。紅子が投げ飛ばしたりでもしたのだろうか。だがその目はギラギラとして鈍りを見せず、倒れ込んで肘が地面についているがその手のひらはしっかりと紅子に向けられている。
───まずいッ! 炎が来るッ!
先程は、地面に炎をぶつけた勢いで加速した神楽アツキの身体に吹き飛ばされる形で紅子は宙を飛び、おかげで炎に直接身を焼かれることがなかった。
しかしこの手のひらの向き、直撃コースだ。神楽アツキの扱う火力なら───即死するかもしれない。
奴の手に、小さな火種が生まれるのが見えた。まるでスローモーションだ。倒れ込んだ俺は、起き上がるのも紅子を逃すのにも間に合わない。それだけはすぐに悟った。紅子も、ダメージのせいか少し呆けた顔をしていて反応できておらず、避けれそうにない。
───いやだ。
神楽アツキに、大きな影が覆い被さった。
男だ。スーツに身を包んだ男が、神楽アツキの手を隠すように丸まっていた。
直後に、その男の内側から爆発するように炎が湧き出した。
「鏑木ッ!!」
紅子の、悲痛な声が耳に刺さる。
吹き飛ぶ、男……鏑木を目で追っていると、まるで竜巻のように炎が踊り狂って───太ももから大量に漏らしていた血の跡すら残さず、神楽アツキの姿はこの場から消え去っていた。




