159話 交渉
次に目が覚めたのは、アデリーの部屋でアデリーの膝の上だった。
視界に飛び込んでくるのは大きな胸。
それに続いて俺が起きたことに気が付いたのか、心配そうなアデリーの顔。
未だ覚醒していない頭で目を擦り、自分の顔を撫でるが、ラザルとボッコボコに殴りあった傷跡も、体で痛む箇所も無い。
覚醒してきた頭で試合後に回復魔法で全て綺麗に治されたのだろうと悟る。
「結局……試合はどうなったんだ?」
アデリーが俺の頭を撫でる。
「ダブルノックアウトよ。
……私はイチがラザルさんよりも長く立っていたから勝ったと思うわ。
でも、ラザルさんの名誉もあるんだろうってムトゥが気を回したのよ。」
不満そうに答えるアデリー。
「そっか……ダブルノックアウトなら…あの色魔も納得してくれるだろうな……」
「覆面が破れて顔が見えた時……みんな驚いていたわよ。
イチが勇者様の仲間と真正面からぶつかり合う程の力を持っているなんて……想像もしてなかったみたい。 本当……強くなったのね。イチ……」
マドカがアデリーには手を出さないだろうと思うと、安心感からまた意識が遠のいて行く。
再び眠りに落ちたイチの頭を、そっと撫でるアデリーの姿。
アデリーの表情は、その長い髪に隠れ伺い知る事は出来なかった。
--*--*--
「色……マドカーっ!」
「わぁっ! また急にどうしたの?」
「ふぁぁあんっ」
来ることは気配で察知していただろうに、わざわざ驚いたフリをしながらカミーノのどこかとは言わんがを、いかにも驚いてしまったが為に触れてしまったかのようにいじる色魔。
見慣れた光景なので無視して問う。
「ラザルさんの件! なんなんだよ!」
「ふふ。その様子だとうまくいったのかな? で、どうだったの? 結果。」
悪びれる様子も無くにこやかな色魔。
俺は舌打ちしたい気持ちを隠すことなく口を開く。
「ダブルノックアウトっ!
完全に倒せないまでも負けてないっ!」
「おぉっ! イチさん凄いじゃない。」
カミーノの両手を動かして拍手させながら驚いたような顔をする。
「ナディアとはうまく戦えないようになってたから、一度違った視点から力量を計ってみたかったのさ。ゴメンネ。」
ちろっと舌を出し、おどけたように謝罪を口にする色魔。
そして自分の顎に手を当てて少し考えながら言葉を続ける。
「……そこまで戦えるならボク達がいない今のニアワールドなら負ける相手の方が少ないと思うよ?
多分アデリーさんの攻撃を躱し続ける事くらいなら全然問題ないと思う。」
色魔ドカのお墨付きを貰えた事で、ぶつける予定だった怒りの大半が消え、モヤっとした気持だけが微妙に残り、俺はぶすっとした表情で確認する。
「……アデリーに手ぇ…出してないだろうな?」
「出すわけないじゃない。ふふっ。ボクがイチさんに手を出す方を心配した方が賢いよ?
……どう? 今からでも一発。」
「ふぁあぁんっ」
「ま、またなっ!」
またカミーノのどこがとは言わんがを撫でてウィンクをする色魔に怖気を感じ脱兎の如く脱出する。
「ふふふ。からかい甲斐のある人だなぁ、ほんと。ね~~カミーノ。」
「ひぁんっ」
くすくすと笑うマドカ。
今日も日本は平和なようだ。
ニアワールドに戻った俺は女色魔勇者マドカの言葉を反芻する。
『アデリーと戦っても問題ない』
ニアワールドに入ってから、これまでずっとアデリーの蜘蛛の糸に絡め取られていた俺。
だが、とうとうその糸から脱出する力を手に入れた。
最強の力を持つ人間に、そう太鼓判を押してもらえたのだ。
…………
であれば、後は環境を整えるだけだ。
「よぅしっ……やるぞっ! 期は満ちた!」
ゴードン商会、アルマン商会が共に動いており、既に後は俺のGOサインを待つだけの状態が整っている。俺は、アルマン商会に念話で連絡を取ることができる蛇娘メイドのエレンに連絡を頼むのだった。
数日後――
王都の王城の一室で、以前アルマン商会の紹介で会った事のあるオズワルド・アレックス・マシューと再度顔を合わせ、内密の取引を進めている。
このオズワルドは王都を統べる者に提案する事の出来る立場の人間。宰相である。
俺はその宰相に対して、お願いを打診をしに来ているのだ。
そのお願いとは
『市場通貨としてドグの流通も許可して欲しい』
というお願いだ。
これは国を転覆させかねない願いであり、普通であれば到底受け入れられるはずはなく、むしろ国家転覆を企む者として反逆罪、斬首刑が言い渡されても当然の事案である。
だが、既に王都と勇者の街では二つの商会の影響により、市場には規制しきれないであろうドグという通貨が動き始めている現状と、さらに俺はこれまでの商売において金貨を吸収し続け、一切放出していない事が、俺を処罰することができない状態を作り出しているのだ。
俺は従業員や冒険者、商会への支払には主に銀貨を採用している。
親しい商会間であればドグや金貨、白金貨も使うが、大抵の場合は銀貨だ。
そしてその銀貨は『日本で偽造した銀貨』である。
精巧さはバレようがない。
それに加工場が異世界にあるのだから、ニアワールドの住人にはどうやってもバレるはずがない。
長い期間、そして巨額の商いを続ける俺がそんなことをしているとどうなるか。
簡単だ。
『銀貨が溢れ、金貨が不足する』
商売上、金貨が足りていないのだから『仕方なくドグを使う』という言い訳すらできるような状態を作り出している。
さらに今や王都に溢れる商材は八百万商会の絡む物が多く、傘下の商会を含めれば衣食住全てにおいて取り仕切らんばかりの巨大組織であり、八百万商会が手を引いてしまえば、満足に品物を手にすることが出来なくなった王都民により反乱の恐れすら生まれてくる。
さらにさらにドグという紙幣が民に広まった事により、貨幣よりも紙幣の方が利便性が高い事も民は理解してしまっている。
そんな現状を見越しての提案。
『市場通貨としてドグの流通も許可して欲しい』
なのだ。
実際に宰相としては、既に王側がコントロールできない現状であり、実質『どう王政が乗っ取られるか』の落としどころを探す事が命題となっている事が間違いない。
心労が表情に出過ぎている宰相に対して俺はさらに提案をする。
その提案を認めてくれるのであれば王政には逆らわないし、まして乗っ取る事もしない、むしろ王政の発展の為の協力も惜しまないし無駄に口を出すような事もしない事を約束する事を告げると、宰相は恐る恐るその提案が何かを聞いてきた。
俺はニヤリと笑い宰相に告げる。
「俺を王家公認の大貴族と認めろ。」
それからしばらくの後、王より公爵の地位を賜るのだった。
こうしてすべての準備が整い、俺はアデリーと大事な話をする――




