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堕ちた魔王の理想郷  作者: 紅峰愁二
第1章:発端
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第5話:天使(2)

 魔王とクリスティーナが対峙する。

 クリスティーナはこれまでにない形相で魔王を睨んでいる。こんな表情は大戦時の決戦でも見せなかった。それ程にショックが大きかったということだろう。


「(・・・・・・魔王様)」

「(お前は天使のことだけ気にしていろ)」

「(・・・・・・畏まりました)」


 セシリーにそう指示を出すと、魔王はクリスティーナに近づいていく。

 この状況で天使を無視することは出来ない。魔王自身が弱体化している今、セシリーだけに任せるにはあまりにも危険だ。だがそれ以上に無視できない問題が目の前に存在する。


「それ以上近づかないで」


 歩み寄ろうとした魔王にクリスティーナの冷たい声が掛かる。

 お互いの距離は約五メートル。クリスティーナの実力なら一瞬で詰め寄れる長さだ。

 クリスティーナは剣を地面に突き立てる。それでも剣の柄から手を離すつもりはないらしい。


「説明して」

「・・・・・・」


 魔王は回答に困った。

 セシリーが魔王の影から現れた時点でクリスティーナに正体がバレたと判断していい。クリスティーナは屈強な剣士にして優秀な魔術師。使い魔とその主の関係を知らない筈がない。

 使い魔とは、魔術師が使役する絶対的な従者のことだ。そのスタイルは、主の守護や共に戦ったりと、魔術師と契約する使い魔によって大きく異なる。

 中でも全てに共通するのが、使い魔は常に主の身を守る立場にあることだ。姿形は問わず、主の危機に即座に対応できるようにすぐ傍で控えているのが使い魔の在り方である。

 そして今回の場合、セシリーは影で控えていた。魔王には仲間が多くいたが、使い魔はセシリーのみ。

 その意味は一つしかない。


「どうしてクルスから魔王の使い魔が出てきたのかって聞いてるのよ!?」


 魔王を焦らせるようにクリスティーナは叫ぶ。

 クリスティーナが魔術と無縁だったらどんなに楽だっただろうか、と魔王は思う。

 怪我をしていたから放っておけなかった。悪いのは魔王であって、彼女ではない――。

 そんな偽善染みた言い訳が頭の中に出てくる。しかし魔術の心得があるクリスティーナに効果はない。

 ――関係ないか。

 魔族が人間を嫌うように、人間は魔族を畏怖いふする。それがこの世界の現実だ。人間が魔族と一緒に行動しているだけで異常なのだ。それこそ魔術師と使い魔のような主従関係でもない限り。

 何を言っても意味はない。

 だから、魔王は決断する。


「私が魔王だからだ」

「・・・・・・っ!」


 クリスティーナは予想通りの回答を得られた筈だが、驚きは隠せないようだ。


「どうして・・・・・・わたしの封印は不完全だったってこと・・・・・・?」

「お前の封印は完璧だった。ただ先日の戦争で封印が一瞬だけ緩んだ。その隙を突いた私の使い魔によって助けられた」

「じゃあっ! 何でクルスの姿をしているの!? わたしに近づく理由は分かるけど、あまりにも出来すぎじゃない!」


 当然の疑問だが、魔王に答えられるのは一言しかない。


「それに関しては偶然としか言いようがない」

「偶然でわたしの恋人の姿に何てなれるわけ――」

「残念ながら私に変身能力はない」

「だったら何で!」

「人間クルスは既に死亡している」


 魔王はクリスティーナにとって残酷な事実を突きつける。国を追われ、味方を失い、クリスティーナの唯一拠り所だった恋人が、既に故人である現実を魔王は包み隠さず告げる。


「私が封印から逃れた時には既にリブラークの兵に殺されていた」

「・・・・・・ぃ・・・・・・」

「魂だけとなった私は一番近くにあった死体を拝借してその身体を貰った」

「――や、だ・・・・・・」

「そして我が使い魔の魔力で死体を修繕して現在に至る。奪った身体の主がお前の恋人だったのは本当に偶然なのだ」


 魔王が身体を奪った人間について話し終える。

 だが、クリスティーナの耳にはあまり入っていないようだ。


だ。クルス・・・・・・わたしを独りにしないでよ」

「・・・・・・」

「嫌だ・・・・・・嫌だよぉ・・・・・・」


 クリスティーナは柄から手を離す。そのまま倒れるように地面に崩れ落ちる。涙で顔を濡らしながらクリスティーナは魔王を見る。自分の恋人の姿をした魔王を縋るように視る。

 そこにいるのは、元シフィアの王でも、魔王を倒した姫でもなかった。力なく地面に座り込んだクリスティーナは、どこにでもいる少女だった。大切な人を失った現実を知り、悲しみで打ち拉ぐ。普通の人間・・・・・・。

 そんなクリスティーナの姿を見て魔王は思う。

 ――私もあいつを失った時にあんな顔をしていたのだろうか。

 本当なら仇であるクリスティーナが苦しむ姿を魔王は喜ぶ筈だった。どうだ、我々はそれ以上の苦痛を味わったのだ――と罵り嗤うつもりだった。

 しかし魔王にはそれが出来なかった。

 現在のクリスティーナを見ても、そんなことをしようなどと思う気にすらなれない。寧ろ、手を差し伸べたくなる衝動に駆られる。だがそれは魔王には許されない。クリスティーナの恋人を殺したのがリブラーク兵であっても、あの戦争を引き起こした原因は魔王なのだ。慰めの言葉を掛けれる立場ではない。

 ――長く一緒に居過ぎたか。

 今の魔王には驚く程憎悪がない。封印前後は憎くて仕方がなかった。けれど今は、ただひたすらに目の前の少女が憐れにしか見えない。

 この気持ちは数日の旅で情が移ったのか、人間クルスの感情が入り混じっているのか、魔王には判らない。


「――赦さない」


 クリスティーナは言った。


「赦さなぁあああああああああい!」


 クリスティーナの叫びに周囲の空気が揺れた。立ち上がり、剣を握る。目に見える形まで全身から魔力を放出させ、それだけで威圧せんとばかりの眼光を魔王に向ける。

 ――嗚呼、同じだ。

 魔王はクリスティーナを見て確信した。

 ――目の前のあれはあの日の私だ。

 大切な人を失った悲しみを、怒りを、ぶつける場所を求めて吼える。

 そして、その目標は魔王へと向けられた。


「返してよ。わたしのクルスを返してよ」

「人間クルスは死んだ。死んだ者は誰であっても返って来ない。人間も・・・・・・魔族も。そこに例外はない!」

「あるじゃない。目の前に」

「先程も言った通り、私は人間クルスの死体を拝借したに過ぎない。私の魂を引き剥がしたところで朽ちる現実が待っているだけだ」

「関係ない・・・・・・関係ない! 返して――返せぇええええええっ!」


 クリスティーナが魔王の間合いに飛び込んでくる。咄嗟に剣で受け止める。天使の時とは比べられない衝撃が武器から腕に伝わり。思わず剣を取り落としそうになる。

 ――剣の動きが見えなかった!?

 反射的に防御行動を取らなければ、今頃魔王の胴体は二つに分かれていたかもしれない。正に神速。生身の人間の目では追い着くことが出来ない。鋭い戦慄が全身を駆け抜けた。


「(天使の方はどうなっている?)」

『(どうやら静観するようです。しかしわたくしを魔王様の下へ行かせる気もないようです』

「(わかった。こちらは何とかする。絶対に天使を逃がすな)」

『畏まりました。ですが、具体的にどうなさるのです?』

「(具体的なプランなどない。ただ分らず屋の目を覚まさせるだけだ)」


 魔王は受け止めた片方の剣を下段から上段へ振り上げる。クリスティーナは後方に跳んで避ける。魔王はそれを追いかける。着地を狙って剣を振りかざす。攻撃を即座に読んだクリスティーナは魔術で振りかざした剣を弾く。あっさりと剣は魔王から離れ、地面を転がる。

 しかし魔王は追撃を止めない。もう一方の剣でクリスティーナの間合いに近づく。クリスティーナは再び魔術を放つ。だが魔王はそれを上回る速さで回避する。


「・・・・・・っ!」


 その動きを見たクリスティーナの顔に驚愕が浮かび上がる。

 魔王はクリスティーナの剣や魔術に対応できない。単純にそれだけの実力の差があるからだ。けれど、今はそれが出来る。

 ――どんな猛者も冷静さを失えば弱者と化す。・・・・・・大戦時の私が良い例だ。

 自嘲するように分析しながら剣を構える。クリスティーナの攻撃は速い。目で見てからでは手遅れになる。だが、冷静さを失った今のクリスティーナは速くても動きが単調――ようは簡単に攻撃が読める。

 攻撃のタイミングが解ればどんなに速くても対策が打てる。殺害まで至らなくても、一撃を加えることなら出来る。

 ――今なら!

 魔王は剣を一閃する。防御が遅れたクリスティーナに最高の一撃を与える。


「がぁっ!」


 直後、頭に強い衝撃が走る。頭蓋骨を直接ハンマーで殴られたような痛みが魔王の脳を揺さぶる。


「なん、だ・・・・・・?」


 辛うじて剣を離さずに立ち尽くすと、変わらずクリスティーナがそこにいた。全身から魔力を放出させたまま魔王と対峙する。

 ――放出された魔力?

 そこで合点がいった。


「放出した魔力で防いだのか」

「加えて攻撃もね」


 苦しげに言った魔王にクリスティーナはニヤッと口元を吊り上げる。

 魔力は魔術を行使するために必要な原料だ。当然、垂れ流された魔力が使えない道理はない。

 攻守の働いた魔力によって魔王の腕は殆んど使い物にならなくなっていた。直接ダメージを受けた剣から、腕、脳と伝って魔王は戦闘するのに致命的な損傷を追った。

 手は剣を握るので精一杯で、腕は上がらない。間接的に受けた脳でさえあれだけの衝撃なのだから、まだ立てるだけ運が良かった方だ。


「頭に血が昇るとろくなことがないわ。でも、お陰で目が覚めた」


 クリスティーナの頭から一筋の血が流れる。やっと届いた一撃。そして、それが魔王にとっての限界だった。

 クリスティーナは血を拭う手の甲で拭うと、同時に垂れ流された魔力が消えていく。

 ――まずい。


「(セシリー! 今すぐ私の影に戻って来い!)」

『で、でも天使が!』

「(一瞬で良い。一瞬だけ魔術的補助が出来れば・・・・・・!)」

『畏まりました』


 魔王の影にセシリーが入る。同時に背中から天使が近づく感覚がする。正面には魔力を通常に制御したクリスティーナがいる。

 ――勝負は一瞬。背水の陣で挑まなければならない。

 魔王は飛び出し、クリスティーナに向かって武器も構えずに突っ込む。


「え!?」


 突然の魔王の有り得ない行動にクリスティーナは反応が遅れる。

 その隙を魔王は逃さない。

 魔王の眼前で闇色の六芒星が輝く。それを見たクリスティーナは再び驚きを隠せなくなる。


「垂れ流されて放棄された魔力が使えるのは、何も放出した本人だけでない」


 魔王の企みは単純だった。空中に漂っているクリスティーナの回収しきれなかった魔力を利用し、状況を覆す。人間クルスでは魔術を使えない。だから、影でセシリーに魔術補助をしてもらう必要があった。

 久しぶりの魔術的感覚に魔王は顔に出さないように歓喜する。少量で全力の魔力を込める。

 闇色の魔法陣の輝きが増し、破裂するように弾けた。

 魔王とクリスティーナの間に爆発が生まれる。視界が灰色に染まる。爆風で転びそうになるが、耐えて魔王は更に前へ踏み込む。

 魔王の計画は杜撰ずさんだ。それを魔王自身が一番自覚していた。

 視界を奪ったところでクリスティーナをうまく見つけられるとは限らないし、逆に利用される可能性がある。煙を魔王ごと吹き飛ばす魔術を使われればそれこ意味がない。こんなくだらない戦法の対策などいくらでも打ちようがある。それでも魔王はやらないわけにはいかなかった。ただ黙ってやられることなど、魔王には出来なかった。

 ――届け・・・・・・!

 魔王はうまく動かない腕で無理矢理剣を振り上げる。渾身の一撃を加えるために魔王はクリスティーナへ駆ける。

 しかし魔王の動きが止まる。何者かに左右から腕ごと身体を捕まれる。


「何だ!?」

「何よこれ・・・・・!?」


 視界が見えない中でクリスティーナの声が響く。どうやら魔王と同じような目に合っているらしい。

 莫大な気配が魔王の周囲に集まる。

 そして、突然の強風によって視界が晴れる。


「・・・・・・馬鹿な」


 魔王は目の前の光景に絶句する。

 天使がいた。

 魔王の左右に二体。クリスティーナには四体。それぞれ緑色の鎧を纏った天使が拘束している。他にも視界に入らない者も含めて複数の天使が魔王とクリスティーナを囲っていた。


「今度は第七位の権天使プリンシパリティか」


 最初に来た力天使と比べれば大したことはないが、数で攻められれば手の打ちようがない。その証拠に、力天使を圧倒していたクリスティーナも羽交い絞めされて動きを封じられている。

 最初に現れた力天使が魔王の前に降りる。


「流石は魔王。一目見ただけで解りますか」

「・・・・・・どういうつもりだ? 私とクリスティーナを争わせるようなマネをして――目的は何だ?」

「お二人を戦わせるつもりはありませんでした」


 今更どの口が言うのか、と魔王は内心で吐き捨てた。

 そんな魔王の心境も解らず、力天使は衝撃の事実を告げる。


「私は主の命令で、貴方たちと主の仲介を頼まれただけですよ。・・・・・・会っていただけますね? 我が主に」

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