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『ル リィ』
『おぉ、殿下! お上手です! その調子!』
『ルリィ』
『殿下、私の名前を二回も呼んでくださるなんて!』
変わり者のルリアーネ嬢とアリスター殿下は仲良く並んで座り、お互いの魔道具を前にきゃっきゃと楽しそうだ。
俺はその光景を後ろから見つめる。
『殿下、私の名前をたくさん呼んでくださるのは嬉しいですが。彼は誰ですか?』
ルリアーネ嬢がルークを指し示すと、殿下はたどたどしいが真剣な様子で魔道具を伸ばした人差し指で押している。
『る』
ボタンの位置を覚えていないのだろう。
しばらく時間がかかり、分からなかったらしくルリアーネ嬢を困ったように見遣る。
『小さいのはこうやって変換するんですよ』
ルリアーネ嬢は自分の手元の魔道具でやってみせる。その後、殿下は真似をする。
『っくん』
『そうですそうです! じゃあ、続けて』
『るっくん』
『おぉ!』
変わり者の令嬢は、殿下の一挙手一投足に反応してほめちぎっている。
『じゃあ、彼は?』
『ら』
ルリアーネ嬢は俺を指し示した。
アリスター殿下はまた小さな人差し指で魔道具を押す。
『ライライ』
魔道具から、殿下の声で俺の愛称が飛び出してきた。
ちょっと感動したことは秘密だ。
意地で顔には出さなかった。アリスター殿下はもう俺のことは見ておらず、あの変わり者令嬢の方にドヤ顔を向けていたから。
以前の殿下は、声の魔道具をほんの数日しか使わなかった。
声が出るのが面白かったらしく、文字盤と呼ばれる部分を適当に触って遊び、飽きて放置していた。
メアリー氏が過剰に構って、声の魔道具を使う前に全部察して動いていたせいもあるだろう。無論、それでは殿下は楽な方に流れる。
目の前では、ルリアーネ嬢が動物の真似をして、それを殿下が魔道具に打ち込むという遊びを始めている。
ルリアーネ嬢は頭の上に長い耳を作って、ウサギの真似事をしていた。
楽しそうな様子を眺めながら、十八歳であるはずの令嬢の中身は殿下と同じ五歳児なのだなと俺は認識を改めた。ルリアーネ嬢は無理して合わせている感じが全くない。
俺はウワサで聞くルリアーネ・バイロンのことが嫌いで、苦手だった。
俺がアリスター殿下の護衛になったのは、殿下が病気になる少し前のことだ。
その前までは第二王子の護衛だったのに、なぜ王族とはいえガキのお守りを? 子供は苦手なのに……なんて思ったが異を唱えるわけにはいかない。
アリスター殿下が生意気なはなたれのクソガキではなかったのが救いだ。「お前なんか嫌い」なんて言うこともなく、素直で無邪気で新しく護衛になった俺を早速「ライライ」と呼んでいた。
まさか、そんな殿下が声を失うなんて。
最初は風邪かと思われたが、殿下の高熱はなかなか下がらなかった。そして、やっと下がったと思ったら声が失われていたのだ。
末っ子王子を急に襲った悲劇に、王妃様はそれは酷く嘆いておられた。
嘆いた王妃様はどうされたのか知らないが、あの変わり者令嬢を城に連れてきた。
ルリアーネ嬢は悪い方面で有名だったので、令嬢のウワサに興味のない俺でも知っていた。十歳の時に婚約者が亡くなって以来、婚約者の声を求めて魔道具作りに没頭している令嬢。婚約者の死からいまだに立ち直らず、執着して婚約を突っぱねて親を困らせている令嬢などという声もあった。
実は、俺は以前ルリアーネ嬢が城にいた時に会っていないのだ。
彼女は殿下の声を発する魔道具を引きこもってずっと開発していたし、彼女が殿下に唯一会いに来た日は俺が休みの日だった。
令嬢がカブトムシ片手にやって来たという話を後日聞いて、それは驚いたものだ。
だから、俺と彼女の初の対面はバイロン伯爵邸に迎えに行ったあの日なのだ。
引きこもって魔道具をいじっている令嬢はどんな人なのか想像もできなかったが、目にしたのはウェーブしたピンクブロンドに青い目を持つ、想像の範囲にない可愛らしい人だった。てっきり、魔女のような風貌かと予想していたのだ。
しかし、口を開くと可愛くはなかった。
なんなら、怒っている殿下より可愛くない。おしとやかそうな見た目に反して、言うことははっきり言う。
迎えに行った時の俺の態度が気に入らなかったらしい。
悪かったな、見た目と爵位でかなり言い寄られるから、令嬢相手には笑わないようにしてるんだよ。前にストーキングを散々されたからな。
なんとかルリアーネ嬢を城まで連れて来ても、途中で石と木の枝なんて拾っている。
それらを殿下に賄賂として渡していたが、殿下の我儘には決して付き合わない。メアリー氏のお小言も大して聞いていないようだった。
お付きの侍女の中で最もベテランのメアリー氏は殿下が声を失ってから、すべて先回りしてやろうとする。俺はメアリー氏のその姿勢が過干渉の親のようで見ていて違和感があったので、ルリアーネ嬢の態度の中でそこだけは評価した。
翌日、メアリー氏が休みを強制的に取らされると、彼女は俺にクマのぬいぐるみを持たせて平気で無茶ぶりを飛ばしてくる。
なんなんだ、この無茶苦茶な令嬢は。
アリスター殿下が喜んでいたから俺は渋々従ったが、クマのぬいぐるみを抱えて歩いていると周囲からの好奇の視線が痛かった。
後輩騎士であるルークにも散々笑われた。
「クールな先輩が、クマさんのぬいぐるみを……ぐふっ」
それ以上は笑いすぎて言葉になっていなかった。
ルリアーネ嬢は俺に嫌がらせをしたいのだろう。しかし、殿下が大層喜ぶのでクマのぬいぐるみをぶん投げて「こんなことやってられるか」と怒ることもできない。
土を掘ってカブトムシを見つけてハイタッチするルリアーネ嬢と殿下を見て、微笑ましいと呆れ果てるという感情を同時に味わった。
普通の令嬢はカブトムシなんて掘らないだろ。
俺もカブトムシを探す令嬢を初めて見た。
しかし、彼女の魔道具に関する知識は本物だった。
魔道具係のトップであるシモンさんと対等に話をしながら、難しそうな図面を引き、魔道具をいじって改良している。
俺にはちんぷんかんぷんだった。
あんなに詳しいのに、城の魔道具係になるのは嫌だという。何故だろう、魔道具係の年収は護衛騎士よりもいいのに。
シモンさんと散々議論を交わした帰り道では、相変わらず庭でいい感じの石を探していた。
殿下が喜ぶので、最近では俺も見つけたら拾うようにしている。
彼女が地面以外を見ていたので、そちらの方向を見た。城のメイドたちが集まってコソコソ喋っている。
十中八九、ルリアーネ嬢の悪口かウワサ話だろう。城にいきなり保護されて、殿下の側をうろちょろして俺にクマのぬいぐるみを持たせて命令している姿は、ウワサになって当然だ。それにかこつけて、それ以上の悪口を言っている場合も大いにあるが。
しかし、ルリアーネ嬢は気にした風もなかった。本当に亡くなった婚約者の声を再現することにしか興味がないのだ。
一応、気に病むのかなと拾ったいい感じの石を渡したらひどく喜んでいる。しかも自分で渡せといい感じの枝まで手渡された。
本当におかしな令嬢だ。
俺は、彼女のことが嫌いで苦手で、そして羨ましい。
俺は彼女と同じくらいの時に母を亡くしているが、悲しみに浸ることを許されなかった。
「めそめそと情けなく泣くでない! それでもデッカー公爵家の男なのか!」
母の葬儀で泣いていたら、父に怒られて倒れるほど強く頬を張られた。
兄は泣きそうになりながらも涙をこぼさずに、俺を父から庇った。
あぁ、泣いてはいけないのか。母が死んでも。こんなに悲しいのに。
頬の痛みで涙が出たが、俺を庇った兄が今度は叩かれていた。そんな兄の姿を見せられて、俺はそれ以上涙を流すことはできなかった。
自身の悲しみを全否定された気分になった十歳の俺は、母の葬儀以降泣いたことはない。だって、泣くのは情けないんだろう? それに叩かれる。俺だけでなく、兄までも。
大切な人を亡くした悲しみに思う存分に浸れるルリアーネ嬢が、甘ったれているように見えるし、同時に羨ましいのだ。
他人からどれだけ変わり者と言われようと、親の脛をかじって、次の婚約のことも立ち直ることも強要されずにずっと悲しんでいられる彼女のことが俺はとても羨ましかった。
俺はもう母の声なんて覚えていない。
聞きたいと思うことも、思い出して泣くことも許されなかったから。
そう、俺は父と兄の手前、悲しむことを諦めたのだ。




