12
いつもお読みいただきありがとうございます!
「私の、婚約ですか」
引きこもり生活を五日ほど続けていたが、与えられた仕事をこれ以上サボるわけにもいかずモソモソと出て行ったその日。
王妃様に呼ばれ、彼女の私室で非常に香りのいいお茶を飲みながら私はオウムのように繰り返した。
「えぇ、どうもルリアーネさんへの婚約打診が増えているそうでね」
「バイロン伯爵家にですか」
「そうよ。中には後妻扱いのようなものまであると聞いていて。爵位の関係では断りづらいものもあると」
五歳? あぁ、後妻か。
「平民にでもなった方がいいんでしょうか」
「それはもっといけないでしょう。後ろ盾がなくなるから誘拐してあなたを妻にすることもできるし、監禁されてタダ働きだってさせられるかもしれないのよ」
美しい王妃様の口から監禁・タダ働きなんて言葉が出ると、別の高貴な言葉に聞こえてしまう。
「私、モテませんから勘違いはしていませんが……城で保護されてアリスター殿下と仲良しになったと誤解されて婚約打診が増えているのでしょうか?」
王太子ならまだしも、第三王子とお近づきになると婚約打診が増えるのだろうか。王家の覚えがめでたいと思われたから?
「えっと……アリスターとルリアーネさんは仲良しよ……ね?」
「私からそのように申しては不敬かと」
「あぁ、なら良かったわ。仲良しじゃないって言われているのかと」
王妃様は仲良しかどうかを気にされたようだ。
私は、子供が大好きかと言われるとそうでもない。延々甲高い声で泣かれたらうんざりするし、ヨダレや鼻水をつけられたらどんよりする。酷い話だが、行儀のいい子は好きだが野生動物みたいな子供は嫌いだ。
アリスター殿下は王族でお育ちがいいので、野生動物なんてことはない。
でも、メアリーさんのように私はアリスター殿下に真摯に対応しているわけでもないし、抱っこをせがまれても腕と腰にきそうだから断っている。
一緒にカブトムシを探して土をほじくり返した仲なので、仲良しといえば仲良しだ。エヴァンと子供の頃一緒にやっていたことは、あらかた殿下と再度経験している。殿下は大人しくはしているが好奇心は旺盛だ。
「ルリアーネさんの魔道具開発の才能目当ての婚約打診が増えているの。これは城での保護が裏目に出てしまったようで、私のミスよ」
「私に才能などないはずなので、それを理由に婚約打診を断るのがいいでしょうか」
「声の魔道具を開発したのに才能がないなんて言っては、むしろ嫌味ではなくて?」
「そうなんでしょうか? 私はあれ以外作れるとは思いません」
「でも、アリスターのために玩具に埋め込んでくれたじゃない」
「そうですが……私はもう婚約者の声を再現できたので他の魔道具を作る気がないのです」
「ルリアーネさんがそうでも、婚約を爵位の高さで強制してくる相手はそうではないかもしれないわ」
最初に保護されたのは声の魔道具を悪用される可能性があるという話で、商品化や特許申請が通れば解放されるのだと思っていた。しかし、事態はそう簡単ではないようだ。
「あなたを狙っている人をもっと早くあぶり出せると思っていたのに……こんなことになってしまって……でも、アリスターと婚約だと年齢が離れすぎているから……」
「私の魔道具作りの件は知られていましたし、貴族の娘なら結婚しろと言われるのは当たり前のことです」
五歳と十八歳の婚約なんて、昔はあったが今ではもう時代錯誤だ。
今時許容されるのは十歳差くらいまでだ。しかも男側が年上であることが多い。
エヴァンのことをそんなに愛していたのかと問われたら、分からない。だって、あの時私は十歳だった。異性なんて家族以外にほとんど知らない。私には婚約者だったエヴァンがすべてで、エヴァンにも私がすべてだった。ただ、それだけ。
熱烈な愛ではなく、ただ他に知らなかっただけ。
でも、ずっと一緒にいるのだと思っていた。婚約して大きくなったら結婚するんだと無邪気に信じ込んでいた。
「だから、王命で婚約を決めようかと思ったの。後妻扱いやライセンス料狙いの結婚をあなたにさせるわけにはいかないわ。それに今打診してきている家の中にあなたの魔道具を悪用する者がいるかもしれない」
「私は十も二十も上でも気にしませんし、どなたでもいいですよ」
エヴァン以外は皆同じだ。
それに、どうでもいい。
「一応、何人かリストにしてきてあるのよ? あなたを守れるほど爵位があって、婚約者もおらず、問題もない家の令息よ」
「どなたでもいいですよ。王妃様と、あ、あとは両親で決めてもらってください。私は……虫のいい話ですが、跡継ぎを強制されなければいいかなと。産めるかも分かりませんから」
生きているって面倒よ、エヴァン。
一個解決したと思ったら、あとからあとから問題が出てくるんだから。
「本当にそれでいいの?」
お綺麗な王妃様はどんな表情をしていてもお綺麗だ。
まつ毛もバサバサしていて長いし、声も甲高過ぎずに落ち着く高さ。この声のトーンだと……いや、もう声の魔道具をいじるわけでもないのだからやめよう。
「平民になっても危険。今のままでも危険なら、どなたか理解のある方と結婚するしかないでしょう。そのくらいは心得ています。婚約者が亡くなって、私はかなり好きにさせてもらいましたから。そろそろ両親も呆れ果てていることでしょう」
王妃様は私の心情を慮ってくれたらしく、それ以上は何も言わないでいろんなお菓子を出してくれた。宝石みたいに綺麗なお菓子を私は遠慮なくいただいた。
王妃様の私室の扉が開いて、アリスター殿下が侍女と護衛騎士を引き連れてやって来た。メアリーさんとライライのことね。
「あら、アリスター。お勉強が終わってここにすぐ来たの?」
『ルリィ ここにいるってきいたから だいじょーぶ?』
殿下は仕事をさぼって引き篭もっていた私を心配してくれていたようだ。
きっと、彼の周りの人が風邪とか言ってくれたのだろう。
『だいじょーぶですよ、殿下』
声の魔道具を出して私もそう打ち込む。
うっかりそのままの設定にしていたので、エヴァンの声が流れてしまった。
『あたらしいこえ?』
『えぇ、すみません。戻しました』
『こえかえられるの?』
『変えられますよ。でも、誰が喋っているか分からなくなりますからやめましょうか』
殿下は母である王妃様にベタベタして甘えていたが、今度は私の膝に登ろうとしてきた。
メアリーさんは止めたそうにしているが、王妃様の前でいつものように振る舞えないらしい。
私も膝に座るくらいなら抱っこのように痛めないので、素直に殿下を膝に乗せた。子供らしい高めの体温がじんわり彼の背中から伝わって来る。
『ルリィ』
『殿下、なんでしょう?』
『まだちょーしわるい?』
『そんなことないですよ。でも、殿下は私がいない間も魔道具を使っておられたんですね。とってもお上手になっています』
「えぇ、アリスターは魔道具を投げなくなったし、魔道具を使ったおしゃべりがとっても上達したわ。お母さまは全然使えないから今度教えてね」
王妃様がうまくのせて相槌を打つと、アリスター殿下は褒められて恥ずかしそうに笑った。
メアリーさんの視線が背中に突き刺さっている気がするが、無視である。邪魔な私が数日いなかったので、さぞかし戻って来るとなったら疎ましいのだろう。
そういえば、結婚相手が決まったら私は王宮を辞す形でいいのだろうか。
殿下の話し相手をずっとやっていたいわけではないが、婚家にずっといるというのも疲れそうなのでほどほどに働きに出たい。でも、魔道具係は激務だし……。
しかし、殿下の前で聞くわけにいかないので黙っておく。
「では、相手は本当にこちらで決めるわね?」
『よろしくお願いします。我儘ですが、四葉のクローバーが好きな人は少し厳しいです。よく身に着けている人もちょっと……』
「四葉のクローバー? ふふ、分かったわ。でも、そんな人はあまりいないから心配ないと思うわ」
『ルリィ ひしゃしぶりにおにわいく?』
『王妃様とのお話が終わったら行きましょうか』
殿下に誘われたなら、受けておかなければいけないだろう。
数日引き篭もっていたので、庭は眩しくそして肌寒く感じた。王宮内は魔道具によって均一な温度に保たれているから、ここ数日で外がこんなに肌寒くなっているなんて知らなかった。
『ルリィにあげる』
殿下とメアリーさんとライライと一緒に出た城の庭で、殿下は私にピンク色の花を差し出した。私は花の名前に疎いので、シロツメクサ・バラ・ユリあたりしか分からない。殿下が差し出すピンク色の小さな花は何か分からなかった。
『ありがとうございます』
『ルリィ ぜんぜんわらわないよね』
『しょんなことないですよ? 殿下がお花をくださってとっても嬉しいです』
殿下がたまに打ち間違いをするようにわざと魔道具に打ってみる。
『このまえはちゃんとわらってたのに びょーき? しんどい?』
『バレましたか、殿下。実はこのお庭がちょっと寒くて……』
『かえろ』
殿下は自然にきゅっと私の手を握ってくる。
ついこの前まで私の髪の毛を触ってサラサラじゃないなんて言っていたのに、いつの間に女心のお勉強をしたのだろうか。
でも、この聡い五歳児殿下の側にいるのは危険だ。
殿下の話し相手は辞めた方がいいだろう。
声を失ったせいか、殿下は私の変化をよく見ている。それほど殿下に興味を持たれていると私は思っていなかったのでこれまでスルーしていたが、ここまで見られているなら話は別だ。
幼い殿下にはすぐバレてしまうだろう。
私は何にも特筆すべき点のない、空っぽな人間であることが。私のすべてはエヴァンでできていた。




