7)
「あ……」
そうだよね。あれだけ泣かれたら、何があったか気になって当然だよね。
でも……。
ブーケが取れなくて悲しかった、なんて、笑われちゃうかなぁ?
「えっと……」
「いや、悪い。言いたくないなら、いいんだ。……ほら、もしかして、泣くほどブーケが欲しかったのか、とか思ったものだから」
「!」
な、なんでバレたんだろう!?
ポカンと口を開けて見上げていたら、課長が、こっちを見下ろして『やっぱりか……』って、つぶやいた。
「いや、ブーケを見つめて泣いてただろう?だから……。でも、泣くほどとは思ってなかった。……ごめんな」
「え!?なんで、課長が謝るんですか??」
「あ。……あ~、ほら。俺がブーケを受け取ってしまったわけだし」
なんか、一瞬慌てたように目を泳がせた課長が、そう言う。
「?」
でも、課長がブーケを受け取ったのは、それが目の前に飛んできてしまったからだし、いくら私が追いかけてたとしても、きっと取れなかったし……。
「課長が謝ることなんて、ひとつもないですよ?……泣いてしまったのは、確かに、ブーケが欲しかったからっていうのもありますけど、ちょっと飲みすぎて、泣き上戸になってたせいもあるし」
改めて考えれば、泣き顔は見られたし、今だってすっぴんで、しかも目も腫れちゃってっていうひどい顔を晒してる。
あ~あ。
課長に、恥ずかしいトコ、いっぱい見られちゃったなぁ……。
「泣き、上戸?」
「あ、はい。どうやら、そのようです」
今までそこまで飲みすぎることもなかったし、気づかなかったけど。
「そうか、泣き上戸……。ふぅん……」
「?」
なぜか繰り返してうなずく課長に、首を捻る。
どうしたんだろう?泣き上戸って、珍しい?
「でも、ブーケが取れなかったから泣いたことには、違いないんだろう?」
首を捻って見上げてた私に気づいた課長が、そう聞くから、ためらったけど、小さくうなずいた。
「それって、今更このブーケを渡瀬にやっても、意味がないんだよな?」
テーブルの上のブーケに視線を落として、もう一度うなずいた。
そういえば、さっきも課長はブーケを私にくれようとしてたっけ……。
「ということは、やっぱりジンクスか……」
「あ。やっぱり課長も知ってるんですね、ジンクスのこと」
「まぁ、有名だからな。……だからといって、今までまったく関心はなかったけど」
きっと誰も、まさか男の人が受け取る事になるなんて、今日まで、思ってもみなかっただろうし……。
男の人でこのジンクスに少しでも関心がある人は、自分の好きな相手がブーケを受け取る側にいる人だけ、かもしれない。
ゆっちゃんの時みたいに、ブーケをきっかけに、アプローチする方法もあるから。
実際にそうやって結婚した‘ブーケの花嫁’もいたって聞いたことがある。
「ジンクス通りにブーケを受け取りたかったってことは、渡瀬も次の‘ブーケの花嫁’になりたかったってことだよな?しかも、泣くほど……」
「…………」
「もしかして……誰か、結婚を考えている相手でもいる、とか?」
ひとり言のような課長の声に、何も言わずにいたら、ためらいがちにそう尋ねられて、驚いて、フルフルと首を横に振る。
「え……?違うのか?」
「違いますよ?‘ブーケの花嫁’になるのは、もちろん憧れますけど……」
‘ブーケの花嫁’に限らず、好きな人と幸せな結婚をしたいなっていう願望は、人並みにある。
でも、今の私にそんな相手はいないし。
「結婚したい相手がいるから、とか、早く結婚したいから、ブーケが欲しかったっていうわけじゃないです」
他の女性社員はどうか知らないけど、私がブーケを欲しかったのは、そういう理由じゃなくて。
「少し、勇気が欲しかったから……」
「勇気?」
聞き返した課長に、コクリとうなずいた。
‘ブーケの花嫁’のジンクス。
それを、心から信じてるわけじゃない。
もし、私がブーケを受け取れたとして、いきなりモテモテになっちゃったり、運命の相手が誰かわかったり、そんなドラマみたいなことが起こるわけないって、わかってる。
ただ、ゆっちゃん達にきっかけを与えたみたいに、花嫁達から繋がった幸せのカケラが、自分が幸せになるために、背中を押してくれる小さな魔法になるんじゃないかって……。
先を促すように黙ってこっちを見つめる課長に、ちょっと迷ったけど、迷惑を掛けついでに聞いてもらおうと、口を開いた。
「私……。男運がないみたいなんです」
「……は?」
課長の間の抜けた返事に、苦く笑う。
そりゃ、いきなりそんなことを言われたら、そういう反応だよね。
課長にとっては、どうでもいい話だろうけど、私にとっては、これが結構深刻な問題でして……。
「まず、ですね。高校生の時、初めて付き合った同級生に、浮気されたんです」
「あ、あぁ……」
すごく好きになった人だっただけに、かなりショックだった。
「大学の時、付き合った先輩は、本命の彼女が別にいることが発覚して、私の方が浮気でした」
「あ~……うん……」
いわゆる二股というやつ。
しかも、それがバレたら、相手はあっさり私を切った。
「就職してから付き合った彼は……。私が本命だったみたいですけど、他に……彼女と彼氏がいました」
「…………」
ええ、三股ですとも。
しかも、性別にこだわりない人だって、知らなかったし。
その時はもう、疲れ果てて、泣くことすらできなかった。
だって、だって、おかしいでしょ!?
……なんで、付き合う度に、股の数が増えていくのっ!?
「それは……なんというか……。男運がないのも、そうかもしれないけど、男を見る目もあまりあるとは言えない気がするけどな、渡瀬」
「う゛っ」
やっぱり、言われた。
この話を誰かにする度に、同じ感想が返ってくる。
……わかってる。そんなこと、自分が一番わかってるもん。
でも、しょうがないでしょ!?好きになっちゃったんだから!
だから、同じ間違いしないように、恋人がいる課長のことは諦めたんだもん……。
目元がウルッときそうなのを、グッと堪えた。
「だから、ブーケが欲しかったんですっ!」
手に持ったままだったマグカップをテーブルに置いて、代わりに少しズシリと重量を感じるブーケを手にする。
「そんな恋愛経験しかないから、誰かを好きになるのが怖くなっちゃって……。近づいてくる人がいても、それに答える勇気が出なくなっちゃったんです。だから、ずっと恋人もいなくて……」
課長のことだけじゃない。
告白してくれた人もいたけど、それに応えられる程の気持ちと勇気が湧かなかった。
「でも、このままじゃダメだって思ってた時に、ゆっちゃんが結婚することになって。今日、このブーケが受け取れたら、また恋愛する勇気がもらえるんじゃないかなぁって……」
誰かを好きになってもいいんだって、そう思えるんじゃないかって。
自分で思う以上に、その考えに嵌ってたみたいで、泣くほど悲しかったけど……。
うぅ……。また、泣いちゃいそう……。
「そういう理由だったのか……。なんだよ……」
横からため息交じりの声で、小さくそう聞こえてきて、潤みそうになった目を何度か瞬きして、見上げた。
「俺はてっきり……」
「?」
てっきり??
目が合うと、課長の目が優しく細められて、また頭を撫でられる。
「……?」
また子供だなって、呆れられたのかな?
でも、なんかさっき以上に優しい気が……。
あんまりにもひどい話で、慰められてるのかなぁ?
「かちょう……?」
「うん?」
「!」
胸はドキドキするし、顔は赤くなるし、どうしたらいいのかわからなくて、ただ呼びかけたら、こっちを見つめたまま、涙なんて引っ込むほど甘い声で聞き返されて、背中がゾクリと震えた。
なんか、さっきよりも明らかに雰囲気が柔らかくなってるんですが……。
や、やばいよぅ。なんか、絶対やばい……!
ドクドクと、鼓動がさらに激しい音を立て始める。
このままじゃ、おかしくなりそう……。
「あ、あ、あのっ!……ぶ、ぶーけ!やっぱり、もらってもいいですかっ!?」
逃げ出したくなるのを堪えて、手に持ったままだったブーケが課長に見えるように、軽く持ち上げる。
考えてみれば、このままここにあっても、花瓶なんてないだろうし、すぐに枯れちゃうかもしれない。
「ん?……あぁ、いいけど。俺が持ってても、すぐダメにするしな」
「あ、ありがとうございます!」
課長の視線がブーケに移ったことにホッとして、お礼を言う。
ゆっちゃんから受け取ることはできなかったけど、彼女が私のために、好みに合わせて用意してくれたブーケだもん。
ジンクスのご利益はなくても、きっと親友パワーが力をくれるよね。
「……あ、でも。ブーケ取ったのは、あくまで課長ですから、きっとブーケの魔法は、課長に効きますからね!ジンクスが続くように、幸せな‘ブーケの花婿’になって下さいね!」
「…………」
散々迷惑をかけた上に、変な話まで聞かせてしまって、慰めてまでくれてる優しい課長に、これ以上の迷惑をかけたくない。
だから、できるだけ明るい笑顔で見上げたら、課長が一瞬固まって、頭を撫でてた手が止まった。
「?」
「……そうきたか」
「かちょう……??」
どうしたんだろう?
なんか、変なこと言ったかなぁ?私……。
頭から手の重みが消えたと思ったら、今までソファに並んで座ってた課長が、片足だけソファに乗せて、ズイッとこっちを向いた。
「なぁ、渡瀬?」
「は、はい?」
なんでしょう……?
「お前の言う‘ブーケの花婿’になるには、花嫁が必要だよな?」
「はい。そうですね……?」
一人じゃ結婚できないもんね??
「でも、俺には今、そういう相手はいないんだ」
「え?……あれ!?遠恋中の彼女は!?」
結婚秒読みじゃなかったの??
「あれは、嘘だ」
「うそ??」
なぜか苦々しげに即否定した課長の説明によると、噂の元凶は、加藤さんらしい。
課長が押しかけてくる女性陣に困っているのを見かねた彼が、『遠恋中の彼女がいる』という噂を流したらしい。
そして、それにいつしか尾ひれがついて、『結婚秒読み』になった、と。
「…………」
え~?じゃあ、あの噂ってまったくの嘘だったってこと!?
信じきってたから、びっくりして課長を見上げてたら、当の課長がなぜか少しうなだれた。
「……好きな女にまで誤解されてたら、意味ないだろうが」
「?」
あまりに小さな声でボソボソと呟かれた言葉は、よく聞き取れなくて、首を捻る。
「とにかく!俺に、恋人はいないし、花婿の相手は、まだ存在しない!」
「は、はい……」
顔を上げた課長に、なぜか言い聞かせるように言われて、つられるようにうなずいた。
そっか、彼女、いないんだ……。
じゃあ。
……もう一度、好きになってもいいの、かなぁ?
そう思って、チラリと課長を見上げたら、こっちを見下ろしてた課長と目があって、その目が優しく細められるから、ドクンッと鼓動が跳ねる。
「だけど……」
あ、あれ?なんか、課長が近づいてきてるような……??
「か、ちょ……??」
顔、ちかっ……近くないですかっ!?
「あ、あの……っ?」
「そうなって欲しいやつなら、いる」
「へ?」
顎をつかまれた、と思ったら。
一瞬後、ちゅって、軽い音をたてて唇が離れて……。
「……!?」
…………キス、された?
……え!?えぇ!?なんでっ!?
パニックになって、反射的に逃げようとした体は、課長の腕に捕らわれて、さらに距離が縮まってしまう。
「か、かちょ……!?」
こ、腰!腰に手が……!
「仕事では鬼呼ばわりされることもあるけど、普段は優しくするし、年収も顔も、そう悪くない方だと思う」
「……は?」
「浮気願望もないし、ギャンブルも趣味じゃない」
「う?」
「‘ブーケの花嫁’に負けないくらい幸せにする自信もあるし、なにせ俺が‘ブーケの花婿’になるらしいから、ジンクス通りにいけば、結婚生活も円満らしいぞ」
「……??」
え?え?ちょっと待って……。
一体、何が起こってるの……!?
「だから、俺にしておけ」
「え?」
「過去のろくでもない男どものことなんて忘れてしまえ。というか、俺が忘れさせてやるから……」
バカみたいに目を見開いて、数センチしか離れてない目の前の整った顔を見つめるしかできない私に、その人は、もう一度小さなキスを落として、満面の笑みを浮かべて言った。
「俺の花嫁になれ、花乃」
何もかもすっ飛ばして、プロポーズされたのだ、と気づいたのは、次の日。
……訳もわからず連れていかれた、宝石店で、だった。
そして。
ブーケのジンクスが訂正されて、男女混合の“ブーケ・トス”が行われるようになるのは、もう少し先の話。
- END -
これで、メインのお話は完結です。
数日中に、ゆっちゃん視点の“おまけ”を1話、載せる予定です。
もしよろしければ、それにもお付き合い下さいね。
ここまで読んでくださった皆様、本当にありがとうございました!




