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「……調子、くるう」
あまりにいつもの課長と違うから、いつもと違う意味で緊張してしまう。
どうしよう。
……今日の課長、いつも以上にドキドキする。
手持ち無沙汰になって、ずっと正座してたソファに座りなおした。
端の方でクシャクシャになってた毛布を畳んで、改めて部屋を見回すと、テーブルに無造作に置かれたままのブーケのピンクが、おかしなくらい浮いてる室内で、大人の男の人らしいシックな色でまとめられた家具達に、汚いっていうほどじゃない程度に散らかった雑誌や新聞。
一人暮らし、だよね?
1LDKか2LDKくらいのマンションって感じだし、他に人の気配もないし……。
あれ?っていうことは……。
今になって初めて、自分の置かれた状況に気づく。
もしかして、もしかしなくても。
……………課長の家で、課長と二人きり?
「う…ぁ……」
自覚した途端、かぁぁって、一気に顔が火照る。
べ、別に課長が私をどうこう……なんてこと、考えられるわけないけど!
……課長だって、男の人、なわけだし?
って、でもでも!課長だし!女の人に不自由することなんてないだろうな~的な、モテモテの鳴海課長様だし!
……据え膳、みたいな状況かも、だけど?
いや、でも、遠恋らしいけど、彼女いるし、結婚秒読みだっていうし!
課長って、そういうとこ、すごく誠実そうだし……。
そもそも、そのつもりなら、ソファじゃなくてベッドに寝かせるんじゃ……。
…………。
…………バカだ。何、考えてるんだろ、私。
胸の奥、しまって鍵をかけたはずの場所が、少しだけ、ツキリと痛んだ。
……昔、少しだけ好きだった。課長のこと。
厳しい中にみせる優しさに、加藤さんじゃないけど、ハマっちゃってたのだ、私も。
でも、遠恋の彼女の噂もあったし、私自身、その気持ちをどうこうしようなんて思いもしなかったから、胸の奥に閉じ込めて、忘れたつもりだった。
なのに、今夜の課長は、優しさ大売出しみたいな状態だし、忘れたはずの気持ちがまた出てきそうになってしまう。
「はぁ……」
「なぜ、ため息?」
いきなり後ろで声がして、驚いてふり向くと、課長が、首を傾げてこっちを見下ろしてた。
ぎゃー!
「な、なんでもないです!」
慌てて首を横に振って、勢いよく立ち上がると、課長が驚いたように目を丸くした。
「あ、あの!私、そろそろ帰ろうかなって……」
いくら課長にその気がなくたって、やっぱりまずいだろうし。
っていうか、このままだと、私が襲っちゃいそうな気が……。
「え。帰るって……」
「えっと、今日は本当にご迷惑をお掛けして、すみませんでした。あと、ありがとうございました、えっと……」
今度、なんかお礼しなきゃ……。
何がいいんだろう?ゆっちゃんに相談してみなきゃ。
「いやいや、ちょっと待て。お前、一体どうやって帰るつもりだ?」
え?どうやってって……電車……あ。
「今、何時ですか?」
「たぶん、2時半頃、かな?」
に、2時半!?
終電、とっくに終っちゃってるぅ……。
じゃあ。
「タ、タクシー……?」
「渡瀬、家はどこだ?」
「F町です」
「……ここは、K町だ」
K町!?
確実に、諭吉さんが何人も飛んでいく……。
この辺りに24時間営業のファミレスなんてなかったはずだし……。
「…………」
……ど、どうしよう。
もしかして、もしかしなくても、帰れない……?
「……すみません、課長。始発まで、置いてもらってもいいですか?」
それしか方法がなくて、うなだれ気味にそう言ったら、課長が笑みを浮かべてうなずいてくれた。
「ああ、もちろん。ここに連れてきた時点でそのつもりだったし。別に始発じゃなくても、ゆっくりしていけばいい。さすがに今すぐは辛いけど、明るくなってからでよかったら、送っていってやるしな」
「え!?でも……」
そこまで甘えるわけには……。
慌ててそう言おうとしたら、いきなり目の前にスッと白いマグカップが差し出されて、フワリと、コーヒーの香りが鼻を刺激する。
「うち、インスタントコーヒーしか置いてないんだ。紅茶とか洒落たもんじゃなくて悪いけど、ミルクと砂糖は適当に入れたから」
断りの言葉を聞き流して、かわりに受け取れと言わんばかりにそう言われて、ためらったけど、ゆっくりとその暖かいカップを両手で包む。
「えと……。ありがとう、ございます。いただきます」
なんかうやむやな感じで、送ってもらうことになっちゃったみたい……?
促されるままに、またソファに腰かけると、課長も隣に座ってきて。
大きなソファだから、くっつきそうなほど近いわけじゃないけど、これだけ間近で課長を見る機会は滅多にないから、マグカップに口をつけたまま、つい見上げてしまう。
……やっぱり、かっこいいなぁ。
30cmもある身長差も、座ってれば、そんなに気にならない。ってことは、課長の足が長いっていうことなんだろうけど。
いつもしてる眼鏡を外して、くつろいだ格好に、仕事とは違う素の表情。少し疲れたようにコーヒーをすする姿なんて、なんか、色っぽいっていうか……。
またドキドキとうるさく騒ぎ始めた鼓動に、『今だけ』って言い聞かせた。
こんな機会、二度とないだろうし、堪能しなきゃ損だよね、うん。
だって、また月曜日がきて、いつもの生活に戻れば、この気持ちはいつもの場所に収まるしかないんだから……。
「…………なぁ」
しばらく無言で課長を眺めていたら、遠慮がちにそう声をかけられて、首を捻ると、視線は前に向けたまま、課長がポツリと口を開く。
「さっき、なんであんなに泣いてたんだ?なにか、あったのか?」




