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6)

「……調子、くるう」

 あまりにいつもの課長と違うから、いつもと違う意味で緊張してしまう。


 どうしよう。

 ……今日の課長、いつも以上にドキドキする。


 手持ち無沙汰になって、ずっと正座してたソファに座りなおした。

 端の方でクシャクシャになってた毛布を畳んで、改めて部屋を見回すと、テーブルに無造作に置かれたままのブーケのピンクが、おかしなくらい浮いてる室内で、大人の男の人らしいシックな色でまとめられた家具達に、汚いっていうほどじゃない程度に散らかった雑誌や新聞。

 一人暮らし、だよね?

 1LDKか2LDKくらいのマンションって感じだし、他に人の気配もないし……。

 あれ?っていうことは……。

 今になって初めて、自分の置かれた状況に気づく。

 もしかして、もしかしなくても。


 ……………課長の家で、課長と二人きり?


「う…ぁ……」

 自覚した途端、かぁぁって、一気に顔が火照る。

 べ、別に課長が私をどうこう……なんてこと、考えられるわけないけど!

 ……課長だって、男の人、なわけだし?

 って、でもでも!課長だし!女の人に不自由することなんてないだろうな~的な、モテモテの鳴海課長様だし!

 ……据え膳、みたいな状況かも、だけど?

 いや、でも、遠恋らしいけど、彼女いるし、結婚秒読みだっていうし!

 課長って、そういうとこ、すごく誠実そうだし……。

 そもそも、そのつもりなら、ソファじゃなくてベッドに寝かせるんじゃ……。


 …………。

 …………バカだ。何、考えてるんだろ、私。


 胸の奥、しまって鍵をかけたはずの場所が、少しだけ、ツキリと痛んだ。

 ……昔、少しだけ好きだった。課長のこと。

 厳しい中にみせる優しさに、加藤さんじゃないけど、ハマっちゃってたのだ、私も。

 でも、遠恋の彼女の噂もあったし、私自身、その気持ちをどうこうしようなんて思いもしなかったから、胸の奥に閉じ込めて、忘れたつもりだった。

 なのに、今夜の課長は、優しさ大売出しみたいな状態だし、忘れたはずの気持ちがまた出てきそうになってしまう。


「はぁ……」

「なぜ、ため息?」

 いきなり後ろで声がして、驚いてふり向くと、課長が、首を傾げてこっちを見下ろしてた。

 ぎゃー!

「な、なんでもないです!」

 慌てて首を横に振って、勢いよく立ち上がると、課長が驚いたように目を丸くした。

「あ、あの!私、そろそろ帰ろうかなって……」

 いくら課長にその気がなくたって、やっぱりまずいだろうし。

 っていうか、このままだと、私が襲っちゃいそうな気が……。

「え。帰るって……」

「えっと、今日は本当にご迷惑をお掛けして、すみませんでした。あと、ありがとうございました、えっと……」

 今度、なんかお礼しなきゃ……。

 何がいいんだろう?ゆっちゃんに相談してみなきゃ。

「いやいや、ちょっと待て。お前、一体どうやって帰るつもりだ?」

 え?どうやってって……電車……あ。

「今、何時ですか?」

「たぶん、2時半頃、かな?」

 に、2時半!?

 終電、とっくに終っちゃってるぅ……。

 じゃあ。

「タ、タクシー……?」

「渡瀬、家はどこだ?」

「F町です」

「……ここは、K町だ」

 K町!?

 確実に、諭吉さんが何人も飛んでいく……。

 この辺りに24時間営業のファミレスなんてなかったはずだし……。

「…………」

 ……ど、どうしよう。

 もしかして、もしかしなくても、帰れない……?


「……すみません、課長。始発まで、置いてもらってもいいですか?」

 それしか方法がなくて、うなだれ気味にそう言ったら、課長が笑みを浮かべてうなずいてくれた。

「ああ、もちろん。ここに連れてきた時点でそのつもりだったし。別に始発じゃなくても、ゆっくりしていけばいい。さすがに今すぐは辛いけど、明るくなってからでよかったら、送っていってやるしな」

「え!?でも……」

 そこまで甘えるわけには……。

 慌ててそう言おうとしたら、いきなり目の前にスッと白いマグカップが差し出されて、フワリと、コーヒーの香りが鼻を刺激する。

「うち、インスタントコーヒーしか置いてないんだ。紅茶とか洒落たもんじゃなくて悪いけど、ミルクと砂糖は適当に入れたから」

 断りの言葉を聞き流して、かわりに受け取れと言わんばかりにそう言われて、ためらったけど、ゆっくりとその暖かいカップを両手で包む。

「えと……。ありがとう、ございます。いただきます」

 なんかうやむやな感じで、送ってもらうことになっちゃったみたい……?

 促されるままに、またソファに腰かけると、課長も隣に座ってきて。

 大きなソファだから、くっつきそうなほど近いわけじゃないけど、これだけ間近で課長を見る機会は滅多にないから、マグカップに口をつけたまま、つい見上げてしまう。


 ……やっぱり、かっこいいなぁ。


 30cmもある身長差も、座ってれば、そんなに気にならない。ってことは、課長の足が長いっていうことなんだろうけど。

 いつもしてる眼鏡を外して、くつろいだ格好に、仕事とは違う素の表情。少し疲れたようにコーヒーをすする姿なんて、なんか、色っぽいっていうか……。

 またドキドキとうるさく騒ぎ始めた鼓動に、『今だけ』って言い聞かせた。

 こんな機会、二度とないだろうし、堪能しなきゃ損だよね、うん。

 だって、また月曜日がきて、いつもの生活に戻れば、この気持ちはいつもの場所に収まるしかないんだから……。


「…………なぁ」

 しばらく無言で課長を眺めていたら、遠慮がちにそう声をかけられて、首を捻ると、視線は前に向けたまま、課長がポツリと口を開く。


「さっき、なんであんなに泣いてたんだ?なにか、あったのか?」


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