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「……ぅ、ん…?」
目を開けたら、薄明かりでぼんやりした部屋の中で。体を起こすと、掛けられてた薄い毛布がパサリと落ちた。
…………。
…………どこ、ここ。
あれ……?
「私、どうしたんだっけ……??」
確か、車を持ってくるっていう課長に、道路脇の木陰まで連れていかれて、『持ってろ』って、ブーケを渡されて。
それを見ながら溢れて来る涙を止められずに、そこでぐずぐず泣き続けてたら、すぐにシルバーの車が停まって、運転席から降りてきた課長に、有無を言わさず助手席へ押し込められた、はず。
しばらく走ったところまでは、なんとなく覚えてるけど……。
え?もしかして…………寝ちゃったの?私。
「起きたのか」
「ひゃあっ!?」
突然後ろから声が聞こえて、思わず小さな悲鳴をあげた。
びびび、びっくりした!
「あ、悪い。驚かせたか?」
今まで薄明かりだったのが、その声と一緒に一気に明るくなる。
目がついていかなくて、パシパシと何度か瞬きをしてから振り返ると、お風呂あがりなのか、眼鏡を外して、首にタオルを巻いた課長が、いつものスーツ姿とは全然違うラフな格好で立ってた。
「!?」
…………え!?な、な、なんで、なにが、なんで!?
「お~お~、固まってる、固まってる」
目も口も開けた状態で、課長を見上げてたら、吹き出す声に続いて、笑いながらそんなことを言われた。
「ああ、あのっ……えっと……!」
「ここ、俺の家」
…………はい?
「か、かちょ……のいえ?」
「そう」
課長の家?
課長の……いえーっ!?
「車に乗せたはいいものの、渡瀬、すぐに寝てしまってな?呼んでも揺すっても起きないし、送ろうにもお前の家を知らなかったし。まさか、そのまま車に乗せておくわけにもいかないだろう?仕方がないから、ここに運んだ、というわけだ。理解したか?」
パニック状態で固まってた私に、課長はとても簡潔に状況を説明して下さった。
「…………」
…………。
…………えっと。
要するに、多大なるご迷惑をお掛けした、と…………。
「も、も、申し訳ありませんーっ!!」
寝かされてたソファの上に正座して、課長へ深々と頭を下げる。
ありえない、ありえない、ありえないっ!
何やってんの~っ、わたしぃ~……っ!
「ほんっと、すみません!ごめんなさいっ!なんて言っていいか、あの……。お、怒ってますよね……?」
いきなり泣き出すわ、その上寝るわ、しまいには自分の家に運ばせるわ……。
うわ、最悪。
「何やってるんだ、お前……」
盛大なため息と一緒に、そう呆れたように言われて、固まる。
そ、ですよね。土下座ごときで、許されませんよね。
あ、やばい。また泣きそう……。
課長が近づいてくる足音がして、おずおずと顔を上げたら、大きい手の平が降ってきて、ビクッと首をすくめる。
でも、その手は、驚いたことに、私の頭をゆっくりと撫でて……。
「別に怒ってない。だから、土下座なんてするな、バカ」
顔を上げたら、しゃがみこんだ課長が、思った以上に近い位置で、今まで見たことのない優しい笑みでそう言うから、胸がドキリと音を立てる。
……な、なんか、課長、優しい。バカって言われたけど。
「っていうか、渡瀬って、子供みたいだな?」
「う゛っ」
確かに、泣いた上に泣き疲れて寝るなんて、26にもなって、子供じみてる……。
頭の重みがいっそう増して、クスクス笑いとともに、さらに撫でられる。
「よしよ~し」
…………。
あれ?なんか、課長ってこんな人だったっけ??
「あのぅ……。課長、酔っ払ってます?」
「いや?まったく飲んでないけど?車だったし。帰ってからも、全然」
じゃあ。
「お体の具合でも、よろしくなかったり……」
変なもの食べた、とか。
「は?なんで?」
「いや、だって……。今日の課長、いつもと違って優し……」
つられるように思わず答えてから、撫でられてた手が止まったのを感じて、しまったと顔を上げると、苦笑を浮かべた課長の顔。
「……お前は、俺をなんだと思ってるんだ?」
「ああぁぁぁっ、すみません!」
鬼上司とか思ってますけど、ごめんなさいっ!
「まぁ、確かに。仕事中は、よく怒鳴ってるし……。お前らに恐れられている自覚はあるけどな」
頭から重みが消えて、そう言った課長がソファの肘掛に腰かけた。
今度こそ怒られるかと思ったのに、全然その気配はなくて、相変わらず課長からは、優しい空気が漂ってくる。
……そういえば、こんな風に課長と仕事外で話すの初めてかも。
考えてみれば、仕事中だって、課長は訳もなく怒鳴ってるわけじゃない(当たり前だけど)
営業さんが、お客さんに対して誠意を尽くさなかったり、やる前からダメだと諦めたり、そういう時の課長は容赦ないけど、部下が困った時には、的確なアドバイスをして励ましたり、新規をとってきた時には、『よくやった』としっかり褒めることも忘れない。
私達事務にだって、叱る時は、きちんと注意してれば防げたはずのミスを犯した時だけ。
昔、誤解でひどく怒られたことがあったけど、誤解が解けた後すぐ、課長は謝ってくれたし……。
だから、鬼上司なんて呼びながらも、皆、なんだかんだとこの人を慕ってる。
ただ、どうしても、怒鳴る声が怖いから、ついつい名前を呼ばれると条件反射でビクリとしちゃうんだけど……。
あ。
「そういえば、前に加藤さんが、『最近、課長に褒めてもらうのが快感』って、言ってました。ギャップがハマるって……」
営業の加藤さんは、今日の会の司会をしてた人だ。
ノリがいいから、よくああいう仕事を任される人だけど、営業成績は、常に5位以内に入ってるやり手だったりする。
課長の使う飴とムチに、すっかりハマッて、課長を慕ってるというよりは、もう崇拝しちゃってる。
「うわ……。なんか、それはちょっと気持ち悪いな、加藤……」
課長が、嫌そうに顔を引きつらせた。
その反応に、思わず笑ってしまう。
「お。笑ったな。……少しは、元気が出たか?」
高い位置から首を傾げるように覗きこまれて、恥ずかしさに、顔が火照った。
課長の思いがけない優しさに触れて、下がっていたテンションは、変な方向に上がり気味ですが。
「は、はい。えっと……迷惑掛けて、本当にすみません」
「だから、もういいって。幸いに、明日……というか、もう今日だけど。休みだしな」
優しく笑って立ち上がった課長が、手をヒラヒラさせながら、ダイニングキッチンと思われる方へ歩いていく。
課長と距離ができたことで、思わず、ふぅ~って息を吐き出した。




