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4)

 営業部営業一課長、鳴海なるみ宗佑そうすけという人は、ハッキリ言って、鬼上司だ。


 まだ30を1つか2つ過ぎたばかりらしいけど、営業一課を任されてて、営業成績も常にトップ。部長の座だって遠くないって言われてるし、すごい人なのは確か。

 だけど、自分に厳しいだけじゃなくって、部下にも厳しく……。

 営業一課に響く課長の怒声は、今や会社の一名物になってるくらいだ。

 支社での営業成績が抜群によくて、本社の課長の席へ収まったのが3年前。

 丁寧に撫で付けられた髪に、眼鏡の奥の眼光は鋭いけれど、整った顔。

 身長は180cmを超えてるというし、すらりとしたスーツ姿は、それだけで目の保養になる。

 そのうえ、出世株とくれば。

 例えその怒声が怖かろうとも、女性達が黙ってるはずもなく。

 営業事務として、近くで接する私達なんて、他の女性社員に羨まれたものだった。

 でも、今まで、かなりの数の女性社員が彼に言い寄ったらしいと聞いたし、実際にその様子を見たこともあったけど、どれか一つでも、うまくいったっていう話はとうとう聞かなかった。

 そのうちに、『地方に置いてきた遠距離恋愛中の彼女がいるらしい』っていう噂が出回って、今では、その彼女と『結婚秒読み』なんだとか。


 その課長が、ブーケを受け取った。


 ……‘ブーケの花嫁’ならぬ、‘ブーケの花婿’の誕生も間近、かも?

 あ~あ。

 やっぱりブーケも、人を選んでるのかなぁ……。





「かの~。ほら、もうそんなに泣かないの。ごめんね、うまく投げられなくって……」

 変な雰囲気で終ってしまったブーケ・トスの後、司会者のがんばりで再び盛り上がった飲み会が無事終わり、ついつい飲み過ぎた私は、気づいた時には涙が止まらなくなってた。

 泣いてる私に気づいたゆっちゃんが、慌てて化粧室に連れてきてくれたから、他の人には見つからずに済んだけど……。

 ……自分でも知らなかったけど、私、泣き上戸の要素を持ってたらしい。

 困ったようにハンカチで涙を押さえてくれるゆっちゃんに、首をぶんぶんと横に振る。

「ごめっねっ……。どまんなぐって……うっ…ぇ……。で、もっ……ゆ、ゆっぢゃ……悪ぐなっいっ…もっ…」

 うまく言葉がでなくてもどかしいけど、なんとか伝えようとしたら、ゆっちゃんにジイッと見つめられた。

「…………どうしましょう。とんでもなくカワイイわ。……そうよねぇ、そりゃ、落ちるわよねぇ」

 ティッシュを渡されて、ブビーッって鼻を噛んでたから、ゆっちゃんが何を言ったのかわからなくて、首を捻る。

「ぅ?」

「なんでもない。……でも、困ったわね?その顔じゃあ、二次会は無理よね。一緒に帰ってあげたいけど、まさか主役のあたしが全然顔出さないわけにもいかないし」

 ゆっちゃんの困り顔にハッとして、止まらない涙を、ググゥーッと無理やり押さえ込んでみる。

「ゆ、ゆっちゃ……。だいじょぶ。ひどりで……ぅ…帰るよ゛っ?」

 それじゃなくても、ブーケをうまく私に投げられなかったことに罪悪感を感じてるゆっちゃんに、これ以上迷惑を掛けるわけにはいかないもん。

「でも……」

 困ったように眉を寄せたゆっちゃんのカバンから、ケータイのメロディが鳴りだした。

 それを取りだしたゆっちゃんが、敬語で話すのを聞く限り、幹事が彼女を探しているみたいで。

「――はい。はい。わかりました。すぐに追いかけるので、先に行っていてもらえますか?ええ……はい……」

 ゆっちゃんがケータイで話してる間、深呼吸を繰り返して、なんとか涙を止める。

 通話を終えたゆっちゃんが、振り返って、涙を引っ込めた私の頭を撫でた。

 ゆっちゃんよりも15cm低い私の頭は、とても撫でやすいらしくて、よくこうして、彼女は撫でてくれる。

「花乃は、具合が悪くて二次会は不参加って言っておいたから。私はもう行かなくちゃいけないけど、あんたは、もう少しここにいて、ゆっくり出ればいいわ」

「う゛ん。……ありがど、ゆっちゃん。ごめ、ね?」

 まだ鼻声の私に、ゆっちゃんが、小さく笑って、首を横に振る。

「謝らないの。花乃は、ちっとも、ひとっつも、悪くないんだから。あたしの方こそ、なんていうか、色々……うん、色々、ごめん」

「?」

 なんか目を逸らして、変な謝り方をするゆっちゃんに、首を捻る。

「気にしないで」

「??」

 変なゆっちゃん……。

「花乃。……ブーケ、渡せなくてごめんね。でも、あんたはあたしの自慢の親友なんだから、ブーケなんてなくても、絶対幸せになれる。それは、あたしが保証するからね」

 ゆっちゃんが、そう言って、ニッコリと笑ってくれた。

 その言葉に、せっかく堪えた涙が、また零れてしまう。

「ゆっぢゃ……。愛じてるぅ~……」

「うんうん。それも知ってる」





 ゆっちゃんが二次会へ行ってしまった後、持ってた拭きとり式のメイク落としで、ボロボロになった化粧を落として、顔を洗った。

 もともと化粧は薄い方だし、スッピンだと少し童顔がひどくなるくらいで、そこまで変わらない。

 夜も遅いし、誰も気にしないだろうって、そのまま帰ることにした。


「ありがとうございましたーっ」

 元気のいい声に見送られてお店を出ると、雨上がりのひんやりとした風を感じて、持ってきてたストールを肩に巻きつける。

「はぁ……」

 ブーケが取れなかったことが、思った以上にショックで、テンション下がりっぱなしのまま、トボトボと駅へ向かって歩き始めた時だった。


「渡瀬?」

 前の方から名前を呼ばれて、その声に、体が条件反射のようにビクリと震える。

 恐る恐る顔を上げたら、似合わないピンクのブーケを持て余し気味に手に持った、背の高い人がいて。

「鳴海、かちょ……?」

 な、なんで課長がここに?

「なんだ、渡瀬。二次会行かなかったのか?」

 鳴海課長がそう言いながら、ぼ~っと立ったままの私の前に立った。

 30cm以上身長差のある課長の顔を見上げると、ノンフレーム眼鏡の中の瞳が、驚いたように少し大きくなった。

「……泣いて、いたのか?」

 その言葉にハッとして、ササッと顔を下げる。

 どうしよ。スッピン泣き泣きのひどい顔見られちゃったよぅ……。

 さらにテンションを下げていたら、ちょうど目の端にピンク色が見えて、そっちを見ると、私が喉から手が出るほど欲しかったブーケが……。

「渡瀬?」

 ブーケに目を止めたまま動けなくなってたら、戸惑ったような課長の声が降ってくる。

「ぶーけ……」

 無意識のうちにつぶやくと、課長が少しブーケを持ちあげた。視線がつい、それを目で追ってしまう。

「あ?あぁ、まぁ、俺がもらってどうするんだって感じだけどな。似合わないし。……あぁ、そうだ。渡瀬、いるか?」

「…………」

 ズイッと目の前に突き出されたブーケに、首を横に振ったら、さっき無理矢理止めた涙が、ボロボロと零れだして、ピンクと白できれいにまとめられた花束が、ただの色のかたまりにしか見えなくなった。

 すごく欲しかったブーケだけど、ブーケ・トスで取らなかったら、意味ないもん……。

「わた……って、おい!?なぜ、泣く?」

 高い身長を、私の顔を覗きこむようにかがめた課長の慌てた声がしたけど、一度出てしまったものは、なかなか止めることもできなくて。

 いくら仕事中じゃないっていっても、上司の前で泣くなんて、最低……。

「ごめっ、なざ……っ!なんで…もっ……なっ…でずっ……」

「!」

 ぐずぐずの鼻声でなんとか謝って、手で涙をゴシゴシと止めようとしてたら、その手をいきなり掴まれた。

「あんまり擦るな。赤くなるぞ?……別に、泣いてもいいから」

「ぅぇ……か、ぢょ……?」

「でも、ここじゃ目立つな……。渡瀬、すぐに車を回してくるから、待ってろ。いいな?」


 いつもの怒鳴り声と違う、優しい課長の声に、何かを考える前に、コクリとうなずいてた。



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