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それは、2週間前のこと。
「ね?ね!お願い!絶対、ぜぇ~ったい、私に投げてねっ!ゆっちゃん!」
私が貢いだプリンを、おいしそうに食べてたゆっちゃんが、彼女を見上げて拝んでいた私に、呆れたようにため息をつく。
「……か~の~。くどいっ!」
「イタッ!」
大親友の愛あるデコピンを受けて、むき出しのオデコをさする。
い、痛い……。
ゆっちゃん、もうちょっと手加減して欲しいよ……?
「わかったって言ってるでしょ?何回も何回も何回も!ちゃんと花乃に向かって投げるってば……」
「だってぇ……」
「だって、じゃないの!まったく……。大体、あたしだって、一番花乃にあげたいって思ってるんだからね?もう、なんなら手渡したいくらいなのに……」
「それは、ダメ!」
「って、あんたも言うし。……そもそも、そんなことができる状況じゃないし、ね」
そう言ったゆっちゃんが、はぁ~って、特大のため息を吐き出した。
……3日後に結婚式を控えた花嫁にしては、重いやつを。
私とゆっちゃんは、会社の同期だ。
大卒が多い中、短大卒の同期として一番初めに仲良くなって、部署は違うけど、今では一番の大親友。
よくドン臭いとか子供っぽいとかって言われる私を、姉御肌のゆっちゃんは、いつも励まして、叱って、支えてくれた。
そんな私達も26歳になって、今回、3年越しの遠距離恋愛を実らせて、ゆっちゃんが結婚することになって。
ゆっちゃんの恋をいつも傍で応援してきた私としては、それを聞いた時、それはそれは、もう、うれしくって、うれしくって、自分のことみたいに号泣しちゃったんだ。
……って。ここまでは、よかったんだけど。
うちの会社は、そこそこの従業員数を抱えて、そこそこの売上を伸ばしている、そこそこの、いたって普通の会社だ。
……ただ、一つだけ、他の会社にはない、変わったものが存在してることを除いて。
その変わったもの、というのが、【‘ブーケの花嫁’のジンクス】と呼ばれるもの。
なんでそんなものが、会社に?って思っちゃうくらい、不思議な存在だけど、社内ではとっても有名なこのジンクス。
簡単に言えば、≪‘ブーケの花嫁’のブーケ・トスを受け取った女性は、幸せな結婚ができる≫っていうもので、内容としては、一般的に知られてるジンクスによく似てる。
でも、うちの会社にあるのは、あくまで社内限定だ。
‘ブーケの花嫁’っていうのは、前の‘ブーケの花嫁’からブーケ・トスを受け取った人のこと。
つまり、‘ブーケの花嫁’からブーケを受け取った人が結婚すると、次の‘ブーケの花嫁’になるってわけで。
会社内で、ブーケ・トスによって花嫁が繋がっていってるってことになる。
まぁ、でも、ジンクスは、あくまでジンクス。当たるも八卦、当たらぬも八卦で、占いみたいなもの。
心の底からこのジンクスを信じてるって人の方が少ないかもしれない。
だけど、少なくとも、いつ誰が始めたのかわからないこのジンクスが、今の今まで破られることなく続いてるのも事実なわけで。
そのことは、素直にすごいなって思う。
そして。
今回、新たな‘ブーケの花嫁’が誕生することになって、社内は大いに盛り上がってる。
そう。つまり。
ゆっちゃんが、その人なのです。
「私が何をしたっていうのよ、ねぇ……」
プリンを食べ終えた‘ブーケの花嫁’が、ハハハって、乾いた笑いを漏らした。
疲れた表情のゆっちゃんに、私も少し同情する。
というのも、‘ブーケの花嫁’に対する社内の注目度が半端ないせいだ。
ゆっちゃんが結婚の報告を上司にした直後に、それは広まって、やれ馴れ初めだの婚約者の素性だのと、あちこちから質問攻め、社内報にまで載せられるし、私の所まで話を聞きに来る人までいる始末……。
とりあえずをノーコメントで過ごしてきたものの、ゆっちゃんから花嫁らしからぬため息が出るのも仕方なかった。
「先輩を見てたし、覚悟はしてたつもりだったけど……。ここまで大変だとは思ってなかったわ」
「うん、だね」
前の‘ブーケの花嫁’は、総務課の、ゆっちゃんの先輩で、今は産休中。
その先輩が2年前に結婚した時、ゆっちゃんが見事ブーケ・トスをゲットした。
……隣にいた私は、ブーケに手を伸ばす前に、後ろに押されて、転びそうになってたけど。
「大体、ブーケのおかげで結婚できた、みたいに言われるのもシャクなのよね」
もともと、あまりジンクスにも、ブーケ・トスにも興味のなかったゆっちゃんは、2年前も、一番端にいた。
だけど、先輩のコントロールがあまりよろしくなかったのか、ブーケは女性陣のかたまりから少し外れて、ゆっちゃんの少し横へ飛んできて……。
ゆっちゃんが慌てて掴まなかったら、きっと、床に落ちて【‘ブーケの花嫁’のジンクス】は、悲しい終りを迎えちゃってたかもしれない。
「でも、ブーケのことがきっかけで、彼も結婚のことを本気で考えるようになったんでしょ?」
ゆっちゃんの彼は、元々うちに出入りしてた業者の人だ。
最近まで転勤で地方へ行ってたけど、今年の春に戻ってくることになって(しかも出世して)、その辞令が出てすぐ、ゆっちゃんの元へ飛んできて、プロポーズした。
というのもその彼、うちに伝わるジンクスを知ってたらしくて……。
「ゆっちゃんがブーケを受け取ったって聞いて、『お前を幸せな花嫁にするのは俺だー』って、本当は4年の転勤を早めに切りあげるために、がんばったんだもんねー?」
『素敵だよねぇ』って、うっとり言ったら、ゆっちゃんの頬がピンクに染まった。
「ま、まぁ、それは、そうだけど……」
そう言ったゆっちゃんが、赤くなった顔を冷ますように、手でパタパタとあおぐ。
ゆっちゃんは、きれい。
すごく目立つというわけではないけれど、社内でも彼女を狙ってた人が結構いたことを私も知ってるし、その人達が、ブーケを受け取ったゆっちゃんに、チャンスとばかりにアプローチしてたことも知ってる。
そうなることに気づいてたから、彼氏さんは、焦ったんだと思うの。
「だからって、別に、ブーケのおかげってわけじゃないもの」
不満げに口を尖らせたゆっちゃんに、ふふっと笑う。
「うん。わかってる。ブーケがなくたって、ゆっちゃんなら、幸せな花嫁になれるに決まってるもん。ブーケは、それを早めるきっかけになっただけだよね」
そう。きっかけ。
別に、ブーケをとった後のゆっちゃんに、ドラマのような運命の出会いがあったわけでも、急なモテ期が訪れたわけでもなかった。
ただ、小さなきっかけを作ってくれただけ。
だから、もしもブーケに魔法なんてものがあるのなら、それはきっと、とてもささやかなものなんじゃないかなって、思う。
例えば、そっと頬を撫でる、柔らかい風のような。
でも、そんな小さなものだったとしても。
……今の私にはきっと、大きな支えになってくれるに違いない。
「ブーケ、欲しいなぁ……」
思わず小さなため息をついて言ったら、前から手が伸びてきて、頭を撫でられた。
「花乃の気持ちはわかってるから。後ろ向きでどれだけコントロールできるかわからないけど、できるだけあんたの方へ投げるからね。がんばって受け取るのよ?」
私の大好きな、ゆっちゃんの優しい笑顔に、涙腺がうるるって緩む。
「うぇ~ん。ゆっちゃん、大好きぃ~~」
「はいはい。知ってる」
それから3日後の、梅雨とは思えない晴れ間が広がった日。ゆっちゃんは結婚して、披露宴に出席した私は、幸せそうな大親友の姿に、ずっと泣きっぱなしだった。




