おまけのお話・シルヴァンの秘密《前編》
シルヴァンには、私に秘密にしている趣味がある。
親しき中にも礼儀ありというのは、当然のこと。たとえ伴侶(まだ婚約しかしていないけど)といえども、相手のプライベートすべてを知りたいと願うのは傲慢だ……。
と、頭ではわかっているのだけど。
やっぱり気になる。
気になりすぎる!
だって小説では、ラスボスに趣味があるなんて一言も書いていなかったもの。
彼の心をとらえて離さないのは、復讐のみ。お母様とのささやかな思い出を胸に、闇に呑まれながらも力強く生きる孤高のラスボス!
そんな彼の趣味。
いったいどんなものなのかしら。
黒魔術の練習? でもこれなら、私に隠す必要はない。
きっと彼のイメージとはギャップがありすぎるものよね。
愛玩動物を飼育しているとか。
実はラブリーな小物が好きで収集癖があるとか。
むしろ自分が可愛らしい女性服を着るとか。
――これはないわね。シルヴァンは類まれなる美形だけど、自分の容姿は体面を保つための道具にしか思っていないもの。
「シルヴァンはあの部屋で、いったいなにをしているのかしら」
私に手紙を届けに来た家令に、そう問いかける。
「……こちら」と家令は、お仕着せの内ポケットからもう一通の手紙を取り出した。「のちほど旦那さまにお渡しする予定のものです」
ふむ。確かに宛名はシルヴァンになっている。どうやら領地の経営を任せている者からの手紙らしい。
「間違えてロクサーヌ様にお渡ししてしまうなど、家令として失格でございます」
「なるほど」
にやり、と私は笑う。家令もにやり、と笑みを返した。
◇◇
軽くノックして、
「シルヴァン。家令が間違えて――」と、件の部屋の扉を開けた。
びくりとしたシルヴァンが振り返る。
家具がすべて壁際に寄せられており、広くなった中心部に立つシルヴァン。向かいにはドパルデュー家の護衛騎士。ふたりの手には、剣。
「……え、決闘?」
「なんでだ!」と、シルヴァンは否定して、大きく息を吐いた。
「だって」
シルヴァンは誰も疑いようのない、最強魔術師。戦うならば、当然魔法を使う。
それなのに相手に合わせて剣を使用するなんて、決闘でなければなんだというの?
「ただの稽古でございます」護衛騎士が、恭しく頭を下げる。
「そんなもの、シルヴァンには必要ないじゃない」
はっ。まさか――
「魔力を失いそうな予感でもあるの!?」
後天的になくなる場合もあるという。 魔力暴走をしたときに、相当な魔力を使ったもの。もしかして――
「違う」
シルヴァンは剣を護衛騎士に預けると、私のもとへ来てぎゅっと抱きしめた。
「ちょっと興味があっただけだ。気にするな」
「そうなの?」
シルヴァンは汗をかくことなんて、しそうにないタイプだと思っていたのだけど。私の理解度が低かったのね。
意外性があって、とても素敵。
でも、どうして隠していたのかしら。
◇◇
シルヴァンが剣術に興味があると話すと、アロイスはプッと噴き出した。
「失礼だわ!」
「いや、ごめんごめん」と笑うアロイス。
全然、すまないと思っていないじゃない。
勤務後のアロイスの執務室。いまや彼の二番目の助手となったルシールと、以前のようにお茶をしているついでに、シルヴァンのことを話した。アロイスも剣術が趣味のはずだから。
なのに、この対応!
「多分、そいうことじゃないんだ」と、アロイス。
「じゃあ、どういうことなんですか」と、ルシールが尋ねる。
「多分だけどね」しつこく念を押しながらも、アロイスはまだ笑っている。「僕に対抗しているんだ」
まさか。シルヴァンとアロイスなんて、実力の差は歴然としているわ。シルヴァンの魔力暴走を、アロイスと複数の高位魔術師で抑えきれなかったんだから。
「ロクサーヌ? 不満そうな顔をしないでくれるかな? 本当だぞ」
あら。氷の令嬢でなくなるのも、いいことばかりではないわね。感情がダイレクトに顔に出てしまうなんて。
「でもシルヴァンがアロイス様に対抗意識を燃やすとは思えなくて」
「「はっきり言うねえ」」とアロイスとルシールが声をそろえる。
でも、事実だもの。
「だけど」とアロイス。「残念ながら、僕のほうが優れていることがあったんだ」
「まさか」
アロイスは胸をドンと叩いた。
「体格だよ」
「確かに」と、うなずくルシール。
人によっては、そうかもしれない。シルヴァンは細身。アロイスは、がっしり。
「でもシルヴァンのほうが好みですけど?」
「そんなことは知らなかっただろうし。恐らく、ルシールが階段から落ちそうになった話をしたのが、きっかけだ」
そういえば、そんなときがあった。
シルヴァンがいるのにアロイスが、よろけた私を抱き留めたことまで話したから苛立ったのだわ。
「でもそれが、なんの関係が?」
「君たちが帰ったあと、シルヴァンが僕の胸を触ったんだ。『どうしたら、こうなるんだ』って言いながら」
「まあ」ルシールが両手で口を覆う。「ロクサーヌを受け止めたかったのですね!」
「そういうことだと思う。僕は『趣味の剣術のおかげだ』と答えたんだよ」
うぅん。関係があるかしら。
あれはだいぶ前の出来事だったと思う。
「前にも言ったけど、シルヴァンはかなり早いうちからロクサーヌに惹かれていたよ」
アロイスが私の心中を見透かしたかのように微笑んだ。
「いつからかなんて、どうでもいいですわ。今が大事ですもの。でも剣術の理由が私というのは、なんだかこそばゆいです」
「ロクサーヌにいいところを見せたくて、必死だったんじゃないかな」
「まさか」
思わず苦笑してしまう。いくらなんでも、飛躍しすぎ。
今でこそシルヴァンは、私を溺愛しまくっている。けれど以前はものすごく冷たかったのだから。
アロイスは何も知らないのだから、誤解しても仕方ないとは思うけど。
「君が気づいていないだけ」と、アロイスが自信満々な顔をする。「たとえば園遊会」
「アロイス様がむりやり、一緒にいることを強いた園遊会ですね」
アロイスが肩をすくめる。
「あのときのシルヴァンは気合を入れた格好をしていたじゃないか」
「ええ。美しかったです!」
脳裏にしっかりと焼き付けてあるもの。
長い銀髪を編み込みで豪華にアレンジしながらひとつに結び、普段は見えない首筋を出していたお姿。
瞳と色を合わせたアイスブルーのジュストコール。彼の美しさを引き立てて、この世のものとは思えないお姿だったわ!
「ああ、ロクサーヌの好きな色の服をまとったというアレですね」と、ルシールがにんまりとする。
「アイスブルーは瞳の色よ」
だから私の好きな色でもあるのだけど!
「ロクサーヌの好きな色だからだ」とアロイスまで言う。「手の込んだ髪型も服装も、全部君の気を引くためだ」
「アロイス様って、妄想が激しいのですね。あれは第二王子殿下を認める者としての、盛装ではないですか」
なぜかルシールが特大のため息をついた。
「シルヴァン筆頭魔術師様が激重愛のひとになっちゃったのって、ロクサーヌのせいじゃない?」
「だな」と、同意するアロイス。「君の好きな色だと知っているのに、わざわざそれを着たんだぞ? なんとも思っていない相手だったら誤解を与えないために、絶対に避ける」
ええと……?
自分に当てはめて考えてみる。
自分のお気に入りのドレスが、もしオラスが好きな色とかぶっていたら。
悲しいけれど、絶対に着ないわね。『俺のためにその色を選んだのか』なんて誤解をされたくないもの。
「あら」
「納得できたか」と、笑うアロイス。
シルヴァンのあの麗しい姿が、私のためだった……?
でもラスボスだもの。私なんかとは違う判断基準があるかもしれないし。
あのシルヴァンが、いそいそと私好みの格好をするとは思えないわ。




