12・幕 強がることしかできない筆頭魔術師
自席から、主のいない机を見る。
静かな俺の執務室。
いつもなら、もう始業前のアップルティーを彼女がいれ終っている時間だ。なのに今日はまだ来ていない。
『シルヴァン様の負担には微塵もなりたくない』と言ったときの彼女を思い出す。
きっと俺は彼女を傷つけたのだ。
『鬱陶しい』と拒絶したときも。
いつもなら笑って言い返す彼女が、泣きそうな顔をしていた。
だが仕方ない。
俺は彼女に手駒以上のことは望んでいないのだ。
オラスに、衆目の中で無様に婚約破棄を断行するよう黒魔術をかけたのも、手駒を使いやすくするため。
それだけだ――
扉を叩く音がした。
ようやく来たか。
そう思ったのに、入ってきたのは彼女の兄だった。若い男を連れている。ふたりきり。彼女はいない。
一応、立ち上がって出迎える。
兄はひととおりの挨拶をしたあとに、俺の机に二通の封書を置いた。やけに分厚い一通には『シルヴァン様』と、薄いもう一通には『退職届』と書いてある。
「突然のことで申し訳ありません。理由はあなた宛のほうに書いてあるそうです。ですが心当たりはおありですよね?」
兄が冷ややかな目で俺を見る。
「散々オラスに傷つけられてきたロクサーヌが、まさかあなたにまでひどい仕打ちを受けるとは思いませんでした」
返す言葉がない。
俺は本心を言ったまでだ。だがそれが彼女にどう影響するかは、考えなければならなかった。でも――
二通の手紙を見る。
俺の雑用係をずっとやりたかったんじゃないのか?
「急なことであなたもお困りになるでしょう。こちらの」と、兄が後ろに控えている若い男を示す。「彼はベルジュ家の事務員で、魔法の心得もあります。後任が決まるまでは彼を――」
「結構です。もとより彼女を雇ったことが異例なのですから」
そう。彼女がいたことが、おかしいのだ。俺はいつだってなんだって、ひとりでやってきた。
辞めるというなら、それでいい。
代わりの人間なんていらない。
「わかりました。陛下にもすでに伝えておりますので、これで失礼をします」
兄と男が扉に向かう。
だけど出ていく前に、兄が振り返った。
「そうそう。ロクサーヌには一刻も早く、新しい婚約者を見つけてやるつもりです。あなたの存在は差し障りになりますから、これで縁切りということでお願いします」
「……わかりました」
ふたりが出ていき、執務室にひとりとなる。
分厚い封筒を取り、魔法で封を切り、便箋を取り出す。
一番上にあったのは、見慣れた綺麗な文字で書かれた短い文。
俺を好きすぎて、このままだと嫌がることばかりをするストーカーになりそうだから、退職するという内容。
なんだそれは。自分勝手が過ぎないか。
俺の破滅回避に尽力してくれるのではなかったか。
だが、彼女ならきっと――。
便箋をめくると二枚目以降は、予想どおりに破滅についての詳細がみっちりと書かれていた。
これがあれば、俺は失敗しない。
彼女は俺を好きなだけあって、手抜かりはないらしい。
だが、こんな危険な内容の手紙を他人に託すなんて、不用心すぎるのではないか?
ひどく苛々する。
目をあげると、彼女の机が目に入った。
もう、必要のないものだ。
彼女は来ない。
手を翳し、呪文を唱える。
魔法の矢が放たれ、机を射貫く。
ドンッと低い音がして、机は吹き飛びながら、さらさらと崩れていった。
すぐに跡形もなく消え去る。
これでいい。
すべて元どおりだ。
手駒はなくなったが、情報は得た。
なんの問題もない。
俺はなにも持たないのだから。
なにも失ってなどいないのだ――




