12・2 待ちに待った婚約破棄
馬車から降り立つ。
王宮の馬車乗降場。朝の出勤ラッシュで、今日も混み合っている。
「じゃ、ヴィクトルお兄様、いってらっしゃい」
一緒に来たお兄様とはここでお別れ。お兄様は財務省へ。私は魔術省へ。
それぞれに歩き出したところで、ヴィクトルお兄様が声をあげた。
「ロクサーヌ!」と走り寄って来る。
「どうしたの?」
「緊急事態用の魔道具を持っているか?」
「え? もちろん」
ポケットから丸い玉をふたつ取り出して、見せる。
「ロクサーヌ。殿下を少しでも怖いと感じたら、使っていい」
「それはまずくない?」
「いや、構わない。近頃殿下は、だいぶ苛立っているとの噂だ。お前に当たり散らすかもしれない」
真剣な顔のお兄様は、私のポケットに目を向けた。そこには出がけに届いたピアからの手紙が入っている。その内容は、昨日オラスが婚約破棄を決意したことをにおわせていた、というものだった。
彼女は完全にオラスを見限っている。けれど共同で起こした孤児院の学校なんかの施策がまだ中途だから、仕方なく行動を共にしているみたい。色々と私に情報を寄こしてくれる。
「シルヴァン筆頭魔術師様にも、お前も守ってくれるよう頼んであるが――」と、お兄様。
「いつの間に?」
「この前」
そんな話は聞いていないわ。
まあ、『慈愛の天使』としての顔で、了承しただけね。
「とにかく、殿下には気をつけるんだぞ」
お兄様にそう命じられてからほどなくして。
魔法省に入ってすぐのところで、私を待ち伏せしていたらしいオラスが、私の前に現れた。
「ロクサーヌ・ベルジュ! お前との婚約は破棄する!」
オラスの叫び声が王宮の廊下に響き渡る。
周囲を行き交うひとたちが足を止めて私たちを見る。だけどオラスは気にならないらしい。
「婚約者としての責務を果たさないばかりか、私に関する事実無根の悪評を垂れ流すお前にはもう、うんざりだ!」
そっくりそのまま言い返してあげたい言葉ね。
でも、しない。
待ちに待った婚約破棄だもの!
ようやく彼から解放されるのだわ!
「わかりました。謹んでお受けいたします」完璧なカーテシーをする。「国王陛下には殿下からご報告をお願いいたしますね。その代わり兄には私が伝えますから」
「ちょっと待て」
「はい?」
「なんでそんなに嬉しそうなんだ。というかお前、表情を変えられたのか」
顔をあげると、オラスがものすごい形相で私をにらんでいた。
え、そうなの? 今、私は無表情じゃないの?
確かに天にものぼるほどに嬉しい。けれど、なんでこんなときに。
オラスは完全に怒りスイッチが入ってしまったようだわ。
でもいいか。なにかあったら、魔道具を使えばいいもの。
「王太子の私に捨てられたのだぞ?」
憎々しげに言うオラス。
「私はずっと、婚約を解消してくださいとお願いしていたでしょう? それを仕事を押し付けたいがためだけに拒んでいたのは、あなたじゃない」
オラスの目が周囲を走る。ようやく耳目が気になったみたい。
そして、素早く手を伸ばす。
かわさなくてはと思ったけれど、あっけなく掴まれてしまった。転移される前に、魔道具を――
バチン!と大きな音がして、オラスがうめいた。
「オラス。なにをしているのですか」
穏やかで甘い声が背後から聞こえた。
振り返るとシルヴァン様がいた。
「話し合いをしているだけですよ」と、オラスがラスボスをにらむ。「ずいぶんタイミングよく現れましたね」
ほんと、それ!
「私の転移を邪魔するなんて、あんまりではありませか」
「あなたが騒ぎを起こすと、すぐに私のもとに連絡が入るのですよ」
そうなの? 周りにはアロイスも彼の助手もルシールもいなかった気がするけど。もしかして魔法省の多くの人に、私は心配されているのかしら。
「騒ぎとは失礼ですね」とオラス。やけに醜悪な顔をしている。「あなたが返してくれないから、婚約は破棄してやりましたよ。ロクサーヌを差し上げます。私の捨てたものでも、嬉しいでしょう?」
まあ。なんて言い草なのかしら。
それも魔法省内で、多くの人に尊敬されている筆頭魔術師を侮辱するなんて信じられない。
ヴィクトルお兄様の忠告を思い出す。きっとオラスは冷静な判断ができないほど、追い詰められているのだわ。
「ベルジュ公爵令嬢は私にはもったいない女性ですよ」と、シルヴァン様が答える。
聖人のようだと賞賛される微笑み。さすがだラスボスだわ、挑発には乗らないみたい。
「彼女にはきっと結婚の申し込みがたくさん殺到するでしょう。できることなら私の雑用係を継続できる方の元へ、嫁いでもらいたいものです」
「そんなものは、誰でもできるでしょうに」と、顔を歪めて笑うオラス。
「おや、耳に入っていませんか。魔術省は元より大臣たちの間でも、彼女の有能さが評判になっていることを」
「真面目な叔父上は世辞もおわかりにならないのか」
「愚かな甥は、世事に疎いようですね」
え、嘘でしょ?
シルヴァン様があからさまに誰かを詰るのなんて、初めてではないかしら。挑発をかわしたと思ったのだけど。先ほどの侮辱がよほど神経にさわっていたのだわ。
「ここの様子は魔法で録画しています」シルヴァン殿下は微笑んだ。「あなたの言葉もすべてね。さらに評判を落とすことを望みますか?」
オラスが怯む。ゆっくりとシルヴァン様、私と順に見て、それから負け惜しみのようにフンッと鼻を鳴らして踵を返した。
去って行く背を見ながら、思わず
「やったわ……!」と呟く。
「ここで叫ぶなよ」とシルヴァン様が言って、私の腕を掴む。唱えられる転移の呪文。
視界が歪み、軽い浮遊間。
それが消えたときには、私たちは筆頭魔術師の執務室にいた。
「ああ、やったわ! 婚約破棄よ! 成立したのよ! 私は自由だわ!」
思い切り声を上げる。
「よかったな。足枷が消えたんだ、ゴリゴリ仕事をしてもらうぞ」
猫かぶりをやめたシルヴァン殿下が、不機嫌そうな表情で言う。
「もちろんよ。もう文句をつける人はいないのだもの。残業だってできてしまうわ!」
「契約外のことはするな。俺の評判が下がる」
「あなたのことを口説いても、問題ないのよ!」
心臓が口から飛び出しそうなほどにドキドキしているけれど、平静を装ってそう告げた。
「やめろ、鬱陶しい!」
返ってきたのは、吐き捨てるかのような激しい口調だった。
「……ひどいわ」と、私は笑う。
だけど、泣きそう。
当初こそは、私の最推しを篭絡したいと張り切っていた。
でも、もうずいぶん前から口説いていない。どうしてなのか、気軽に言葉にできなくなってしまったから。
私に背を向け自分の机に向かうシルヴァン様が、
「お前に雑用係以外のことは求めていない」と、ダメ押しの一言を言う。「くだらないことを言っていないで、さっさと仕事を始めろ」
「はい――と言いたいところだけど。今日はお休みをくださいな。兄に報告をしないといけないの」
上司はあっさり許可をした。
私は執務室を出る。
こらえていた涙が零れ落ちた。
『鬱陶しい』は今までにも何度となく言われてきた。でも今日ほど気持ちが込められていたことはない。きっと本気で嫌がっているのだわ。
少しは距離が近づいていると思っていたのだけど。
完全に私の勘違いだったのね。
シルヴァン様を愛でる係だけで満足しなくてはいけないのかしら。
明日は2話アップします




