10・3 オラスの言いがかり
勤務とルシールとの勉強時間を終えて、帰りの馬車に乗り込もうとしたときだった。
目の前にオラスが現れた。転移してきたらしい。機嫌の悪そうな顔をしている。
私はため息をつくと、馬車の扉を開けて押さえている従僕に『少し待って』と目で合図を送った。
オラスの用件はわかっている。ここのところ日に何度もくる手紙を無視し続けている。開封すらしていない。
どうせ仕事を肩代わりしろとの命令だもの。
「お前、私の手紙を読んでいるか?」と、オラス。
非常に険しい目つきで私を睨んでいる。
「いいえ」
と答えると、オラスの目が更にきつくなる。
「……お前は本当にろくでもない悪女だな」
「そっくりそのまま、お返ししますわ」
「へらずぐちはいい。ピアをイジメるのはやめろ」
はい?
私はそんなことはしていないし、むしろ彼女のほうから頻繁に『あなたの婚約者といついつ、こういった用事で会います・出かけます』という報告が上がって来るぐらいなのだけど?
「どういうこと?」
「とぼけるなっ」オラスが苦しそうな表情になる。「ピアは園遊会では俺のそばには寄らないと言っている。お前に申し訳ないからだそうだ。今までそんなことはなかった! お前が脅しているのだろう!」
ああ。なるほどね。
「それは先月の夜会での、あなたの振る舞いが原因ですわ。あのとき新任の大使が、ピア様が王太子の婚約者と誤解されたではありませんか。翌日私はピア様から謝罪されましたのよ。気にしなくていいとお伝えしましたけど。彼女はだいぶ恐縮していましたわ」
「……」
オラスは思い当たることがあるのか、口を引き結んで反論しなかった。
「ピア様に、私のことを気にかける必要はありませんとお伝えください。では」
これ以上話すことはない。
オラスの脇を通り抜けて馬車に乗ろうとした。
だけど腕を、オラスに掴まれた。
「違う。園遊会には出るな。不参加と公式に父に伝えろ」
「自分勝手もほどほどにしてくださいな。一度参加でお返事だしたものを、こんな直前に変えるなんて失礼ですわ」
「いいな、不参加だ!」
「ではあなたに脅されたので不参加にしますと、皆さまにお伝えしますね」
「お前はまた、そんなことを!」オラスが顔をしかめる。「以前は従順だったのに、なぜだ。叔父上のせいか? 雑用係になったころから酷くなったな?」
「忘れましたの? その前にあなたが私になにをしたか。眠り薬を盛って、サロンに閉じ込めたではありませんか。あれで完全に愛想がつきましたのよ」
「あれぐらい、たいしたことではないだろうが。お前は舞踏会に参加したって壁の花なのだから」
「え、あれの犯人は王太子殿下なのですか!」
オラスでも私でもない声がした。
驚いて振り返ると、アロイスとその助手がいた。
オラスが失言に気づいたようで青ざめる。でもすぐに、
「犯人は侍女だ!」と嘯いた。
私を含め、誰も信じていない。だけど、オラスは王太子。アロイスも助手も、口をつぐむ。
そんな彼らと私たちの間に、シルヴァン様が出現した。
「アロイス、呼びましたか」と言いながら。
すぐに彼は私とオラスに気づいて、『慈愛の天使』の笑みをほんの少し強張らせた。
「オラス。手を離しなさい。令嬢に乱暴してはなりません」
「乱暴なんてしていません。彼女が話を聞かないから」
言い訳しながらも、オラスは手を離した。
ほっとして、彼から距離を取る。
「私がピア様をイジメているから、園遊会には出てはいけないとおっしゃるのですわ」
「「「は?」」」
私の言葉にふたりの魔術師とひとりの助手の声がきれいに重なった。
「ちなみにイジメていると主張しているのは、本人ではなくオラス殿下ですわ」
三人が「ああ」と得心したように同時にうなずく。
「ピア・パッティ令嬢は型破りなところはあるが、ロクサーヌには懸命に配慮しているものな」とアロイス。
「ですです」と、助手がうなずく。「よく状況を伝えに来ていますものね」
「え」と、驚くオラス。
「オラスが婚約者にこんな理不尽な要求をしていると知ったら、かの男爵令嬢はどう思うでしょうね」
シルヴァン様がにこやかに問う。
「りっ、理不尽ではないし、ピアのためを思ってのことです。でも誤解があったようですね。失礼」
そう早口にまくしたてたオラスは、更に早口で呪文を唱えると私たちの前から姿を消した。
さすがに分の悪さを感じたみたいだ。
「大丈夫ですか?」
ラスボス様が、柔らかな笑顔と甘い声で私に尋ねる。
「ええ。ありがとうございます。シルヴァン様も皆さまも」
「あざになっていませんか」
シルヴァン様の目が、オラスに掴まれていた腕に向けられている。アロイスたちがいるから『慈愛の天使』ぶりが徹底しているみたい。
「大丈夫です」
「でも、心配だな」と、アロイスが割り込んできた。「園遊会」
ああ、そちらね。
でもきっと問題ないわ。前日の事件を受けて、オラスは気分よくなっているはずだもの。
「シルヴァン」とアロイスが顔を向ける。「園遊会のときは、ずっと一緒にいてあげたほうがいい」
ええ?
ちょっと待って、なにその提案!
「私は別に――」
「いや! あの様子では心配だ!」
アロイスが急にこんなことを言い出すなんて、変だわ。
やっぱり私とシルヴァン様を不必要に近づけさせようとしているみたい。
「ではアロイス様たちも一緒にいてくださいな。シルヴァン様とふたりだけでは、なにを噂されるかわかりませんもの」
ね、とシルヴァン様を見る。
彼は、『そのとおり』というかのようにうなずいた。
◇◇
ベルジュ邸に向けて走る馬車。本来なら乗っているのは私ひとりなのだけど、今は向かいにシルヴァン様がすわっている。
『ベルジュ家に経緯を伝える』という理由でついてきた。
「絶対にアロイスって、私たちのスキャンダルを狙っているわよね?」
「だろうな」
ラスボスの振る舞いに戻っているシルヴァン様は、面倒そうにため息をついた。
長い足を組み、腕も組み、背は後ろにもたれている。けっして人前ではしない格好。それを真正面から見られる機会はあまりないので、嬉しい。それを伝えると絶対にやめてしまうから、こっそり堪能するわ!
「この前なぞ、お前に園遊会用のドレスを贈れと言い出した」
「ええ!?」
「頭が沸いているのかと思った。即、断ったが」
「まあ。いただけたら天にも昇る気持ちだけど、確実に世間に誤解を与えるわね」
「『どうせオラスは贈らないのだから、代わりに』だそうだ。意味がわからない」
「そうだわ! アロイスには以前、好きな色やデザイナーを訊かれたの」
シルヴァン様が顔をしかめる。
「用意周到だな。――で?」
「『で』って、なに?」
「なんて答えたんだ」
「好きなのはアイスブルーよ」シルヴァン様の瞳の色だし。「でも赤毛に映えないから、ドレスは持っていないわ。デザイナーも特にいないの。オラスの婚約者になってからずっと、王家御用達の工房でないとダメだったから」
「そんなのは初めて聞いた。俺は好きに作っていたぞ。誰が決めたんだ」
「そうなの? いやだ、オラスあたりがキックバックでももらっているのかしら」
お兄様に調べてもらおう。婚約破棄後に責め立ててあげるわ!
――というか、私の好きなものなんて、どうしてシルヴァン様は訊いたの? 必要ない情報よね?
シルヴァン様はムスッとした顔で、窓の外を見ている。
話はもう終わり、といった態度。
よくわからないわ。
最近、ときどきこういうことがある。なにを考えているのかは、絶対に教えてくれない。
とりあえず、大事なことは伝えておかないといけないわね。
「園遊会も、咄嗟にああ言ってしまったけれど、ひとりでいるわ。あなたたちにみつからないように、ひっそりとしている。行き違いになってしまったことにしましょう」
そう伝えると、シルヴァン様は私をぎろりとにらんだ。
「迷惑はかけないわ。大丈夫」
一緒にいられたら素敵だけど。推しの評判がさがったり、足を引っ張るのはイヤだもの。
それに婚約破棄さえされれば、いくらでも機会はあるはず。
シルヴァン様が黙ったままうなずく。それからまた、窓の外を向いてしまった。
――機会、ないかしら。
シンボルツリーのときだけは心配してくれたみたいだけど。
シルヴァン様の好感度は、あまり上がっていないみたい。




