10・2 お兄様に遭遇
『気晴らしにちょっと破壊してくるか』と物騒なことを言い放ったラスボスは、私を連れて転移した。
「ここは……?」
当たりを見回す。
街中だった。恐らく、下町。ひしめき合う建物、その間に通る狭く曲がりくねった道。周囲の人々の服装も庶民的なものばかり。突然現れた私たちに驚いたみたいで、まん丸な目でこちらを見ている。
そして、私たちの目前には、今にも倒壊しそうな黒焦げの教会があった。
すぐに今朝見た魔術省への依頼書を思い出す。
数年前に火事にみまわれ、廃屋となってしまった教会。再建が難しく放置されていたのだけど、近頃は壁や屋根が崩落することが多々あるとか。人的被害が出る前に、安全に解体してほしい、という内容だった。
「でもこれは、チームを組んで対応させる予定では?」
シルヴァン様自身が、そう言っていたはず。指示書を書く前に陛下に呼び出されてしまったから、まだ決定ではないけれど。
「そのような時間はないと判断しました」
ラスボスがすっかり『慈愛の天使』の顔になって言う。
でもこれ、ひとりでやるのは相当難易度が高いと思う。周囲の建物との距離が人ひとり分くらい(延焼のあともあるくらい)。教会の高さは普通の建物のほぼ三階ぶん、面積は倍ほど。
「ベルジュ公爵令嬢は、万が一近づこうとしたひとがいたら止めてください」
ラスボスは笑顔でそう言うと、すぐに教会に向き合った。両掌をそちらに向け、呪文を唱え始める。
教会の輪郭がキラリと光った。
周囲のひとたちがざわめき始める。
彼らに、
「離れていてくださいね」と声をかけつつシルヴァン様を見守る。
と、柔らかな笑みが消えた。
その瞬間に、ドォォォンというすさまじい音がして、建物が崩れた。
崩れながら、石材も屋根材も窓ガラスもサラサラと砂のようになって消えていく。私が監禁された部屋から助け出されたときと同じだわ。
しばらくすると、教会のあった場所は石ころひとつない、ただの空き地となった。
いつの間にか『慈愛の天使』に戻ったシルヴァン様が、私を見る。
「終了です。王宮に戻りましょう」
「さすがですわ!」
「当然」
外面を保ったまま、ラスボスが私にしか聞こえないように言う。
「シルヴァン様が魔力暴走を起したら、止められる人なんてきっとこの世に存在しませんわね」
私も小声で話しかける。
「俺がそんな醜態をさらすと思うのか?」
シルヴァン様はそう言うと、
「戻りますよ」と甘やかな声を発して、私に手を差し出した。
人目があるときはいつも、まるでエスコートするかのようにシルヴァン様は私の手を握る。ふたりきりのときは、唐突に私の腕を掴んで転移するのだけどね。
だから、誰かいるときの転移は、私にとって合法的に推しの手にふれることができる、嬉しい機会。
高まる胸を感じながら、彼の手に自分の手を重ね――
「何事かと思ったら、ロクサーヌか!」
よく知った声が聞こえた。
振り返るとヴィクトルお兄様が人だかりをかき分けて、こちらへやって来る姿が見えた。
「こんなところで、なにをしているんだ。ドパルデュー公爵まで」
お兄様とシルヴァン様が挨拶しあう。
「魔術省のお仕事よ。お兄様こそ」
「解体予定の教会の確認だ。費用の算出をしなければならないのだが――」
お兄様が空き地を見る。
「たった今、終了したところです」とシルヴァン様が爽やかに告げる。
気晴らしのためにやったとは思えない笑顔だわ。
「実施日の連絡は来ていなかったような……」
「緊急性が高いようだったので」と、シルヴァン様。
「そうなの。様子を見に来たら、かなり危険そうだったから」私もシルヴァン様に話を合わせる。「手順を踏まなかったのは、悪かったわ。でも事故が起こるよりはいいでしょ?」
「まあ、筆頭魔術師様なら」と、苦笑ぎみのお兄様。「しかし、この規模をおひとりで、か。見たかったな」
「残念ね。すごかったのだから!」
私がヴィクトルお兄様と話に夢中になっていると、シルヴァン様が外なのに珍しく笑顔を消していた。
「あ、すみません。長話になってしまって」
私が謝ると、ヴィクトルお兄様も続く。
「いえ、そろそろ戻りましょうか」と、柔らかな笑みを浮かべるシルヴァン様。
良かった。いつもどおりだわ。
「お兄様も一緒に戻る?」
「いや、僕は同僚と馬車とを待たせている。ここまで入れなくてね」
その言葉で気づく。人だかりの中に、確かに同僚の青年がひとりいる。きっと悪い噂のある私がいたから、近づかなかったのね。
「そう、じゃあ」シルヴァン様が差し出してくれた手に、自分の手を重ねる。「続きは晩餐のときにね」
うなずくお兄様に手を振りながら、転移する。
一瞬にして、王宮のシルヴァン様の執務室に戻った。
軽いめまいをやり過ごしてから、
「気晴らしはできましたか?」と尋ねる。
彼はなぜか重ねていた手を握りしめた。
「お前、俺の前では猫をかぶっていたのか」
「なんのことですか?」
「ヴィクトル・ベルジュには、そんな口調ではなかったではないか」
シルヴァン様が私をにらむ。
え、だってヴィクトルお兄様は身内で、シルヴァン様は他人よ?
「公爵閣下に家族のように話しかけるわけには、いきませんわよね?」
「お前が常識を語るのか? 欺瞞はやめろ。気持ち悪い」
シルヴァン様が吐き捨てるかのように言う。よほどイヤみたい。
「わかりましたわ。推しにタメ口だなんて、主義に反しますけど。シルヴァン様が望むなら」
ラスボスは黙ってうなずくと、ようやく私の手を離した。
私が素の姿を見せないと、信用ができないということかしら?
敬語以外は、家族すら知らない本当の私をさらけ出しているのだけど。
もしかして私が彼のオラス殺害計画を知っていたから、神経質になっているのかしら。
「報告書を書いてくれ」
上司は自席に戻りながら、私に命じる。
「かしこまりました」
とたんにシルヴァン様が振り向き、私をにらむ。
「――ごめんなさい。『わかったわ』」
シルヴァン様は『よろしい』とでも言うようにうなずいた。
これはがんばって慣れないと!
◇幕間◇
(兄・ヴィクトルのお話)
馬車がゆっくり走り出すと、僕は向かいにすわる同僚に尋ねた。
「どうして離れて待っていたんだ? 遠慮した?」
彼は伯爵家の長男だ。いずれは爵位を継ぐ身とはいえ、ドパルデュー公爵と、可愛い我が妹の組み合わせに引け目を感じたのかもしれない。
同僚は、小さくため息をつくと、
「遠慮は遠慮だけどな」と呟き、顔をそらした。「私は出世したいからな」
「うん? どういうことだ?」
「一度しか言わない。言ったら、すべて忘れる」
彼の声は真剣だった。
「それで?」と促す。
「ヴィクトルが声をかけたとき、シルヴァン魔術師様と君の妹は手を重ねるところだった」
確かに、そうだった。
「彼は」と同僚は僕をちらりと見た。「射殺しそうな目で、君を睨んだ。ほんの一瞬だったけど」
「……なるほど」
それは気づかなかった。僕はロクサーヌしか見ていなかったからな。
「そのあと私の存在に気づくと、同じ目を向けてきた。それで近づくほど、私はバカじゃない。――さ、これで全て忘れる。王族に睨まれるのも、揉め事に巻き込まれるのもごめんだ」
「賢い判断だ」
もっとも、オラスとの婚約は絶対に解消させるから、問題はないだろうけど。
ロクサーヌとあの王子との婚約は、成立した当初は問題のないものだった。妹が選ばれた理由も妥当だったし、両親も納得していた。
だけど今ではロクサーヌを不幸にするものでしかない。僕は全力で、婚約解消させるつもりだ。
ただ、当のロクサーヌが、『オラスはピアに夢中だから、いずれ婚約破棄をやらかすわ。それでたっぷり慰謝料を払ってもらいましょう』というのだ。彼女には勝算があるらしい。
それにシルヴァン筆頭魔術師が味方についてくれるなら、より上手くいくだろう。
ロクサーヌは気づいていないようだが。どう見ても彼はロクサーヌに惹かれている。しかもどうやら、なかなかに嫉妬深いようだ。きっと彼ならば、我が妹を大切にしてくれる。
「でも」と、同僚が呟いた。「『天使』や『聖人』と呼ばれる方だからな。重い心を秘めたまま、耐えるのかも」
「問題ない。ロクサーヌをオラスなんかとは絶対に結婚させないからな」
にこりと微笑めば、同僚は肩をすくめ、
「全部忘れるさ」と、答えた。
「それがいい」
そもそもロクサーヌがシルヴァン筆頭魔術師との結婚を望んでいるのか、わからないしな。
とてもお似合いだと、兄は思うけれどな。




