9・幕 苛立つ筆頭魔術師
(シルヴァンのお話です)
部屋に入ると国王は親し気な笑顔を向けてきた。
「おお、シルヴァン。忙しい中、すまないな」
まったくそうは思っていないくせに、よく言う。
適当な挨拶を返し、ヤツの前の長椅子に腰かける。
国王の執務室。近侍が俺の前に茶を置いて、壁際にさがる。
「コーンウェルのシンボルツリー、シルヴァンが解決してくれたそうだな」と、にこやかに国王。
『ええ』と肯定すればヤツは更に相好を崩して、
「あれはイリスが気に入っていたからな。元通りになってくれて嬉しいよ」
と、亡き前妻の名前をあげた。
『ふざけるな』、心の中でだけ、毒づく。
それを知っていれば、アロイスの代理などしなかった。都を離れられない用があることにすれば問題なかったのだから。
オラスの母親、イリスも国王と同じぐらい大嫌いだ。あの女を喜ばせることなど、したくない。
「ロクサーヌ嬢も連れて行ったそうだな?」と国王が訊く。
「ええ。それがどうかしましたか?」
「彼女は雑用係として、どうかね? だいぶ重用していると聞いているが」
「とても優秀で、助かっています。省内での評判も大変高いですよ」
「そうか。で、肝心の目的はどうなったのだろうか? 彼女の不調の原因は特定できたのか?」
国王が探るような目つきをしている。
「まだです」
簡潔に、事実だけをつたえる。
実際のところ、彼女が真剣に調査している様子はない。ちょっと手があいたときに魔法書を読む程度。恐らく不調が魔法によるものではないと、わかっているのだ。
「もうお前の係になって、五ヶ月になる」
国王が次に言う言葉は想像がついた。
「そろそろ終了にしよう」
思った通りだ。得意の笑みを浮かべたまま、
「なぜでしょう」と、穏やかに尋ねる。
「オラスが婚約者の不在に困っている」
はっ。笑わせるな。
「彼は公務の場も私的な場も、パッティ男爵令嬢を連れています。ベルジュ嬢の不在に困っているようには感じられません」
「あれはピア・パッティの能力を買ってのこと。なかなかに面白い発想をする才女でな」
「どのような理由であれ、王太子がそばに置き、『ベルジュ公爵令嬢に代わって婚約者となるのではないか』と世間で声高に噂されているのは事実ですね」
当人は風聞なんて気にも留めていない。だがその噂により、ベルジュ公爵令嬢が物笑いの種にされているのは、どうかと思う。
「噂など、気にする必要はない。ロクサーヌ嬢の素晴らしさは、私がよくわかっている」
オラスはまったくわかっていないが?
「とにかく、オラスが困っているのだ」
それは自分の仕事を肩代わりする人間が足りないからだ。
「わかりました」
そう答えると、国王の顔が明るくなった。
「オラスたちの挙式の前日に、終了にいたしましょう」
「きょ……?」
アホっぽく戸惑っている国王。
「さすがに王太子妃に私の雑用係をさせるわけにはまいりませんからね」
「いや、今すぐ――」
「では、以前彼女をサロンに閉じ込めた真犯人を今すぐ捕えて、ベルジュ公爵に引き渡したらいかがでしょうか。公爵はずっとそれをお求めになっているかと思いますが」
国王の目が泳ぐ。
「陛下やオラスが『今すぐ』の姿勢を見せてくだされば、彼女もそれに倣うでしょう」
「……怪我もなく、すぐに解決したのだ。少しくらい寛容になってくれても」
「ベルジュ公爵令嬢に、陛下のご要望と今のお言葉をお伝えしましょう。その上でどうするか、彼女自身に決めてもらいます」
国王が深いため息をつく。
「なぜ彼女はあれほど頑ななのだ。こちらがいくら歩み寄っても、婚約解消ばかりを望む。確かにオラスも少しばかり軽率なところはある。だがそれを補ってまだあまるほどの魅力が、あるのだぞ?」
どこにだ。
このバカ親が。
「婚約など解消して、オラスに好意がある令嬢を選びなおせばいいではありませんか」
「なにを言う。ロクサーヌ嬢は我が国で最も王妃の資質を持つ令嬢だぞ? 血筋、容姿、頭脳、マナーに立ち居振る舞い。多少表情筋が死んでいるが、それさえ除けば、彼女こそがオラスの隣に並び立つに相応しい」
オラスのほうが、彼女に相応しくないことに早く気づいたらどうだ?
お前の愛息子は、女性を凶悪犯に向けて突き飛ばすような最低な男だぞ?
もっとも、オラスはいずれ婚約破棄をやらかすと、ベルジュから聞いている。彼女の予知によれば、それは二か月後。詳しくは知らされていないが、きっとオラスはベルジュが戻って来ないことにしびれを切らすのだろう。
だから国王の愚痴はすべて、無駄なのだ。
「ではそれは、あなたがベルジュ公爵令嬢に直接伝えるのがよろしいでしょう」にこりと微笑む。「彼女の心も動かされるかもしれません」
絶対にそんなことはないがな。
ベルジュが俺の雑用係を辞めることは絶対にないと言い切れる。
愚かにも、有用さをアピールしようと無茶をして気絶するぐらい、俺を好きなのだから。
◇◇
執務室の扉を開ける。途端に
「ほんと、ロクサーヌは可愛いな!」
と、ベルジュの机の前で、満面の笑みで言い放つアロイスが目に飛び込んできた。
言われたベルジュも、かすかに嬉しそうな表情をしている。氷の令嬢のはずなのに。
「お、シルヴァン、お帰り」
「お帰りなさいませ」
ふたりの声が仲良く重なる。
「アロイス。なにかご用ですか?」
「ああ」
ヤツは笑顔でうなずくと、ベルジュの机に置いてあった封筒を取って、俺に差し出した。
「シンボルツリーの礼だ」
受け取り中をあらためると、オペラのチケットが二枚入っていた。
「ロクサーヌとふたりでどうぞ」とアロイス。「正面のボックス席だ。人目を気にせず、ゆっくりできるぞ」
「まあ。ありがたいですけど、さすがに仕事以外でふたりきりの外出は……」
ベルジュが変態のくせに、至極まっとうなことを言う。
「え、そうかな?」とアロイス。「だって王太子殿下は友人と観劇しているじゃないか」
ベルジュが首を横に振る。
「私はなんと罵られても構いませんけど、シルヴァン様に迷惑がかかってしまいますわ。シルヴァン様、どなたかをお誘いしてくださいな」
俺はチケットを封筒に戻し、それをベルジュの机に置いた。
「私には誘う相手がいません。ベルジュ公爵令嬢、ルシール・シャルー魔術師と一緒に行ったらどうですか」
「では――」
「なんだ、まだそんな堅苦しく呼んでいるのか?」
うなずきかけたベルジュを、アロイスが呆れ声で遮った。
「いい加減、『ロクサーヌ』と呼んであげたらどうだ」
ベルジュが俺を見る。期待に満ちた目をしている。
燃える炎のように情熱的な赤い瞳に赤い髪。
俺とふたりきりのとき以外は、氷のような表情のおかしな女。
俺にとっては、有用な駒のひとつにしかすぎない。
そうだろう?
「『ベルジュ公爵令嬢』ですよ」
俺が告げると、ベルジュの目に落胆の色が浮かんだ。
「っな!? アロイス?」
突然、左手をアロイスに取られた。
「君、気づいていないだろう?」
そう言いながらアロイスは、握っていた俺の手をほぐすように開く。
「最近、強く手を握りしめていることがある」
そんなことはしていないと思ったが、実際今やっていたらしいとなると、事実なのか?
「ロクサーヌは知ってたかい?」と、アロイスが彼女を見る。
「いいえ」
「それなら、覚えておいて。気づいたら、こうやって」と、アロイスはまだ掴んだままの俺の手を、にぎにぎとした。「開いてあげてくれ。よくない癖だ。誰かに悟られる前に」
「自分で気をつけますよ」
「無理だね。きっと君は自分では治せない」
なんだそれは。俺をバカにしているのか?
だけどアロイスは、慈愛に満ちた顔で俺の手を軽く叩く。
まるで弱いものを見守るような表情だ。
それがひどく癇に障った。




