9・3 シルヴァン様からのご褒美
温かいものに包まれている。
すごく心地よい。
シルヴァン様のような良い香りもする。
ずっとこのままでいたい。
もう少し眠っていよう――
『眠って』?
あら?
今はいつだったかしら?
朝?
お休みの日?
でも、屋敷のベッドではないような……?
目を開く。
見覚えのある濃紺の制服が、視界いっぱいに広がる。
「……んん?」
「起きたか」
シルヴァン様の声がした。頭の上から。
えっと?
私、もしかしてシルヴァン様の胸にもたれかかっているの?
そんなまさか!
バッと身を離す。
シルヴァン様の冷ややかなアイスブルーの瞳が私を見ている。
「ごめ……」
謝ろうとしたところで、ぐらりと体が傾く。
「バカかっ! 急に動くな!」
腕を掴まれ、引っ張られる。
ふたたびシルヴァン様の胸に身を預けてしまう。
「本気で無茶をするやつがいるか! お前になにかあったら、俺の立場が悪くなるんだぞ!」
シルヴァン様は怒っているみたいだ。
その勢いに、段々と状況を思い出してきた。
私はシルヴァン様がシンボルツリーに回復魔法をかけるのを、手伝っていたのだわ。
それが少しばかり、大変で。きっとそれで気を失ってしまったのね。
シルヴァン様は私を抱きかかえながらシンボルツリーに背を預け、地面に座っているみたい。
なんて夢のようなシチュエーション!
でも推しに負担をかけるなんてこと、できない。
それに私の心臓も、ドキドキしすぎてもちそうにないもの。
「ご迷惑をおかけして、申し訳ありません」
今度はゆっくりと、身を起こす。
そっとシルヴァン様を見上げると、憤怒の表情で私をにらみつけていた。
少しでもうかれていたことが、恥ずかしくなった。
「もう大丈夫です。それに、無茶をしたつもりはありませんの。己の状態を見誤ってしまいましたわ。反省します」
はぁっとため息をつくシルヴァン様。
「……気をつけろ」
「はい。ごめんなさい。もう、ボートなんて言いませんわ。早く帰りましょう」
シルヴァン様を地面に直に座らせるなんて、申し訳なさすぎるもの。
「いや、まだダメだ」
「どうしてですか? まさか――」
シンボルツリーを見上げる。
最初に見たときより、樹皮がよくなっているような気がするけれど、術は失敗だったのかしら。
「そうじゃない」と、シルヴァン様。「お前の体には魔力の負荷がかかっている。今転移魔法をしたら、重篤な魔法酔いになって危険なんだ」
なんてことかしら。コーンウェルには転移できたから、当然帰りの馬車はない。
私の状態が良くなるまで、ここにいるしかないということ?
「じゃあ、ええと。散策でもします?」
ボート遊びは願わないと言ってしまったばかりだし、推しとほぼゼロ距離で並んで座っているのは、心臓に悪い。
「いや。お前の体内に残った負の要素を取り除く」
「そんな方法があるのですか? 先ほどみたいに、魔力を流すとか?」
「吸い取る」
「吸い取る?」
思わずおうむ返しをしてしまった。
え?
私の体内にある負の要素とかいう得体のしれないものを、吸い取るの?
「どうやって?」
「口で吸う」
……クチデスウ……?
「もとは俺の魔力だから」と、真顔で話すシルヴァン様。「俺が持つ魔力に呼応して、戻すことができるんだ」
「……ええと、それって……」
シルヴァン様の唇が私に触れるということ!?
え。そんな、私に都合が良すぎる展開なんてあるの?
いえ、ちょっと待って。ただの雑用係の私が、シルヴァン様の唇に触れてもいいの?
よくないわよね!?
ラスボスを手に入れるつもりではいるけれど、急にこういうのは、心の準備ができていないというか。
まだその段階ではないというか。
「どこにする?」と、シルヴァン様。
「ちょっと恐れ多すぎて。他の方法はありませんの?」
ラスボス様が嫌味たらしい笑みを見せる。
「普段はうるさく絡んでくるのに、小心者か」
「だって」
「早く決めろ。俺の時間を無駄にするな」
そ、そうね。こんなことで戸惑っていたら、ラスボス様を手に入れることなんて、きっと無理ね。
「で、では!」
右手を差し出す。
「お願いします!」
シルヴァン様が目をすがめる。
それからおもむろに身を起こして私の手をとると、上下をひっくり返して、てのひらに口づけた。
柔らかで少し暖かい唇の感触が、ダイレクトに伝わってくる。
それはそうよね。直接だもの。
ああ、なにこれ。
とうてい現実とは思えない状況だわ!
シルヴァン様が低い声で、呪文を唱え始めた。
私のてのひらの上で、シルヴァン様の唇が動く。
……ダメ!
心臓が破裂しそうだわ。
耐えられなくなり、目をつぶる。
本当なら、至近距離のシルヴァン様のお顔を堪能したいところだけど。
無理だわ。
もっと異性に慣れておけばよかった。
やがて、シルヴァン様の声は止み、私の手も解放された。
恐る恐る目を開くと、シルヴァン様は再びシンボルツリーに寄りかかっていた。
「転移魔法ができるまで、まだ時間がある。俺は寝る。お前も休め」
まるでいつもと変わらないラスボス様。
令嬢の手にキスすることなんて、なんでもないことなのね。
「わかりましたわ」右手でそっと胸を押さえる。「まだ、動けそうにありませんもの」
鼓動は早いし、体に力も入らない。
そんな私をシルヴァン様が、冷たい目でにらむ。
「倒れるなよ」
「大丈夫ですわ」
私の言葉にうなずくと、シルヴァン様は目を閉じた。
……大変。彼の寝顔を見るのは、初めて! 堪能しなくては!
閉じられた目、その縁を彩る長い睫毛。
綺麗な稜線を描く鼻は、ほんの少し角ばっていて男性らしい。
その下の唇は、ほんの少し前まで私のてのひらに――。
そこでふと、シルヴァン様の言葉を思い出した。彼は私に、吸い出す場所を『どこにするか』と尋ねたわ。
もし。
「『口で』と答えたら、キスしてくれたのかしら」
呟くと、シルヴァン様がぎろりと目をむいた。
「そんなわけあるか」
「ですよね。ごめんなさい、お昼寝の邪魔をして」
すぐに目を閉じてしまうシルヴァン様。
でも、だとしたら、ほかにどこが候補だったのかしら。
頬?
首筋? これだと吸血鬼みたいね。
あ、シンボルツリーのときのように、背中かもしれないわ。
そうよ、直接肌に触れる場所を選んだから、シルヴァン様は睨んだのだわ、きっと。
背中は身長差的に、やりにくそうだけど。腕とかが候補だったのかも。
でも、それならなぜ怒らなかったのかしら。
すぐに文句を言う人なのに。
もしかして、ろ過装置としてがんばった、ご褒美かしら。
シルヴァン様は、ツンデレ属性もあるものね。
きっと、それが正解ね。
明日は2話アップします




