8・幕 アロイスは見た
(アロイスのお話です)
軽やかな音楽が流れる夜会。愛妻を亡くして以降、なるたけ不参加を決め込んでいるが、公式のものとなるとそうもいかない。
諦めの境地で参加してみれば、やはり予想どおりの状況になった。僕の後妻を狙う令嬢やその両親からの、執拗な誘い。
仕方ないとは思う。僕は侯爵家の嫡男。令嬢の結婚相手には最適だ。
だが、僕は再婚なんてする気にはなれない。エレーヌとは親が決めた政略結婚だったけど、心の底から愛していたし、彼女との間に生まれたクロードがいてくれれば僕は幸せなのだ。
この二年の間、何度となくそう説明しているのに、彼らは諦めてくれない。子供には母親が必要だとか、子供はたくさんもうけておくのが嫡男の義務だとか、うるさく言う。
いい加減にしてくれ。
厄介なコバエを振り切ろうとして、ふと視界にシルヴァンの姿が入った。女性たちに囲まれて、にこやかに談笑している。
胸の奥がちりっと痛む。
僕はエレーヌを愛していた。
だけどエレーヌが愛していたのはシルヴァンだった。
もちろん彼女はそんなことは一言も言わなかった。僕を愛していると言い、そのように振る舞った。誰が見ても、僕たちは相思相愛の夫婦だっただろう。
だけど彼女がシルヴァンを見る目は、僕を見る目と違っていた。
彼に会えたときは、必死に喜びを押し隠してもいた。
それでも僕は彼女を愛していたし、いまでもその気持ちは変わらない。
だけど、ひとつだけ。僕には罪がある。
シルヴァンもまたエレーヌを愛していることを僕は知っていて、それを彼女に隠していたのだ。
言い訳をするなら、彼女との婚約が決まったときはまだ、知らなかった。
その後シルヴァンが『初恋のひとを悲しい形で失った』と言ったのを聞いて、ようやく気付いたのだ。
彼は具体的なことはなにひとつ口にしなかったが、だからこそその相手がエレーヌだと推測できた。
だって人付き合いの悪いシルヴァンが、唯一交流のあった異性がエレーヌなのだから。
彼は感情を隠すのがうまい。エレーヌと違って、振る舞いに思いがにじみ出るなんてことは一度もなかった。
だけど時たま、僕との会話の中で彼女を想う言葉が出る。それがなによりの証拠だった。
恋の淡い印を、エレーヌが気づくことはなかった。
そのまま、死んでいった。
そして女性の感情に疎いシルヴァンもまた、エレーヌの気持ちに気づいていない。
でも沈黙を選んだのは、エレーヌとシルヴァン自身なのだ。
ふたりとも僕たちの関係を壊さないことを、望んでくれていたのだと思う。
――本音を言えば、シルヴァンには複雑な思いがある。
ふたつ年下の幼馴染。
子供のころから、なににおいてもあと一歩というところで彼に勝つことができない。
どれほど努力をしてもそれは変わらず、だからエレーヌは僕を愛してくれなかったのだと思う。
悔しさから、彼がやらない剣術にのめりこみもした。
もし彼がいなければモンベル殿の後を継いで、筆頭魔術師になったのは僕だっただろう。
視線の先で、シルヴァンが女性たちから離れる。引き留めようとしている彼女たちを、やや強引に振り切っている。
珍しいことだ。
なんとなく姿を追うと、彼は広間の隅に向かった。
ロクサーヌがいる。
なるほど、不遇の部下を気にかけたのか。
思いのほか、シルヴァンは彼女を重用している。そうなってくれればよいとは思っていたが、同時に無理だろうとも考えていた。だから非常に驚いている。
「まあ、彼女はいい子だ」
うっかり呟いたら、目前にいたどこぞの令嬢が顔を輝かせてしまった。
「いや、君のことではない」
はっきりそう言って、その場から離れる。
シルヴァンとロクサーヌの輪に入れてもらおう。
心なしか『氷の令嬢』の表情も緩んでいる。楽しそうだ。
「ロクサーヌ!」
不機嫌な声が辺りに響き、オラス殿下がやって来た。無理やり彼女の手を掴み引っ張っていく。
ふたりで踊るらしい。
シルヴァンに向かって一礼するロクサーヌ。
ロクサーヌに笑顔でうなずくシルヴァン。
シルヴァンは踊り始めたふたりを、微笑みを浮かべた顔で見ている。だが――。
その手が、血管が浮き出るほど強く握りしめられていた。
よく見れば、笑みも普段にくらべれば強張っている。たいていの人間は気づかないレベルだが、幼少期からそれを見ていた僕にはわかった。
彼に歩み寄り、静かに
「シルヴァン?」と声をかける。
彼ははっとしたように僕を向いて、
「ああ、アロイス。夜会の参加は久しぶりではありませんか」と笑顔で声をかけてくる。
だけど僕の鼓動は激しい。
今、目にしたものが信じられない。
彼は恋心も嫉妬も、完璧に隠せる男だとずっと思っていた。
だってエレーヌに対してはそうだったじゃないか。
だけど違ったのか?
「シルヴァン」
「なんです?」
「確認したいのだが、君はエレーヌを愛していたよな?」
「は?」
シルヴァンは見たこともない、間抜けな表情になる。
「なにを言ってる……のですか? 彼女は君の妻でしょう?」
「『失った初恋の相手』はエレーヌじゃないのか?」
「違いますよ。なぜ突然そんなことを」
戸惑った様子のシルヴァン。
おかしい。こんなシルヴァンは滅多に見られない。本気で心当たりのないことなのだ。
なんてことだ。それなら僕は長年、勘違いをしていたというのか。
エレーヌは両想いではなかった。彼女の片思いだったのだ。
「いつからそんな思い違いを……」
そう言うシルヴァンの表情が曇っている。
「いや、最近だ。もしかしたら……と考えたら、それが正解だとしか思えなくなった」
とっさに嘘をついた。シルヴァンの表情がほっとしたものになる。
「私の初恋の相手は、アロイスの知らない女性ですよ」
ああ。
きっとそれが真実なのだろう。今さっき見たものが、まぼろしではないのならば。
「……おかしなことを訊いて悪かった」
「いいえ」
シルヴァンはそう答えると、ゆっくりと視線を動かした。
その先では、ロクサーヌがオラス殿下と手を取り合って踊っている。
動転していた気持ちが、すっと落ち着く。
僕の隣に立つシルヴァンは、一見穏やかな表情で部下を見守っている。
ふと、いつだったか、彼にロクサーヌの名を呼ぶなと叱られたことがあったと思い出す。彼にしては、珍しい指図をするものだと感じたのだった。
「君とは長い付き合いだけど、なにもわかっていなかったのだな」
感情を隠すのがうまいというのも、僕の勘違いだったわけだ。
だが、これ以上は口に出すのは、はばかられる。
ロクサーヌは王太子の婚約者だ。
こんなところで滅多なことを言えば醜聞になって、ロクサーヌとシルヴァンを傷つけることになるだろう。
幼馴染の背中をバンバンと叩く。
「僕は君の味方だ」
「いったいなんの話ですか?」
不思議そうにするシルヴァン。きっと自分がどんな態度をとっていたか、気づいていないのだろう。
嫉妬で抑えがつかなくなることがあるなんて、思いもしていないに違いない。
もう一度、彼の背中をたたいた。




