8・2 夜会とシルヴァン様
軽快な音楽が流れる王広間。予想どおり、私は早々にひとりになった。
予想外だったのは、きのうの夕方、ヒロイン・ピアに待ち伏せされて声をかけられたこと。
彼女は私に、
「明日の夜会、ご一緒しませんか」と誘ってきたのよね。
どうやら婚約者の私を差し置いて王太子とともに参加することに、罪悪感を感じているみたい。
夜会ではオラスがピアを、名だたる貴族や名士に紹介してくれる約束だとか。それも彼女が力を入れている孤児院支援が目的だという。
彼女はどうしてもオラスと共にいたい、だけど案外親切な私を差し置くのは心が痛む、とのこと。
小説では、もちろんこんなエピソードはなかった。廊下でぶつかったときのことが影響しているみたいね。
あのあと間違った噂が流れてしまったことも、ピアは気にしていたみたい。火消をがんばったそうなのだけど、火に油を注ぐだけだったとか。
いずれにしろ、私の答えは
「お断りするわ」の一択しかなかったわ。
そのついでに、私はオラスとの婚約を解消したいと考えていること、だけど陛下が認めてくれないことを伝えておいた。
これで彼女も心置きなくオラスと一緒にいられるわよね。
私はいつもどおり、ひとりで会場の隅に向かう。
陰では、『王太子の婚約者』なのに滑稽だ、と揶揄されているけど、知ったことではないわ。
以前の私は傷ついていたけれど、今はもう大丈夫。
だって私には推しがいるから。その姿を眺めているだけで幸せだもの。
ラスボスは今日も善人の顔をして、自分を囲む貴族たちと談笑している。
美しい笑顔に誰もが魅了されている。
私だって大好きな顔よ。
……そうね。顔だった、ね。
今一番好きなのは、私に嫌味をいってやろうというときの意地の悪い表情。
彼は本当は腹黒い男なのだとよくわかる顔なのよ。
「あら、また氷の令嬢はおひとりなのね」
揶揄を含んだ声が耳に届く。どちらかのご令嬢が、絶妙に私に聞こえるように話しているみたい。
無視にかぎるわ。
「王太子殿下に嫌われているからって、聖人のようなシルヴァン筆頭魔術師様にまとわりついて。とんだアバズレね」
そう言いたい気持ちはわかる。
シルヴァン様は女性の陰がまったくないし、どんな女性にも節度を持って接している。
だからこそ、私が彼の雑用係をしていても、おかしな噂は立たないのよね。
人々ができるのは、雑用係を任された私の悪口をいうことだけ。
だから私はなにを言われたって、気にしないの。
「おや、ベルジュ嬢」
呼びかけられて、ハッと我に返った。いつの間にかシルヴァン様がそばに来ていた。
今夜もうっとりするほど美しい。
惚れ薬に使った花々が刺繍された豪華なモスグリーンのジュストコールに、同系統のウエストコートを合わせている。長い銀髪と美しいお顔とあいまって、まるで妖精の王のよう。
ほう、とため息が出てしまう。
「素敵ですわ……」
「ありがとう。君もきれいだね」と、ラスボスは猫かぶりの微笑みで、心にもないお世辞を口にする。それから、
「また、オラスはあなたのエスコートをしていないのですね」
と、なぜか当たり前のことを言って、善良そうに困った表情を作った。
「あとで注意しておきます」
「いえ、構いませんわ。公務を肩代わりしない婚約者など、必要がないのでしょう」
オラスの尻拭いをやめて、三ヵ月。
私の代わりに側近たちが仕事をさせられているけれど、彼らの不満はたまりにたまって、爆発寸前みたい。オラスが私に「なんとかしろ」と度々迫って来る。
でももちろん、無視。
側近たちは、私がオラスの仕事ほぼすべてをこなしていた事実を、隠蔽していたのだから当然よね。オラス共々、ぜひ苦労してもらいたいわ。
ラスボスは悲し気な眼差しをする。
「甥にもあなたにも幸せになっていただきたいのですが。難しいことなのでしょうか。胸が痛みます」
やめて、鳥肌が立つことを言わないで。――と言いたいけどそうもいかないので、
「ありがたいお言葉ですわ」と、答える。
「ですが、あなたを私の雑用係にと決めた兄は慧眼でしたね」
んん? どういうことかしら?
シルヴァン様が大嫌いな兄を褒めるなんて、おかしい。
だけどラスボス様は慈愛の天使の表情で、
「あなたにそれだけの能力があると見抜いたのですからね」と続けた。
視界の端で、気まずげに俯いているふたりの令嬢がいる。きっと先ほど私の陰口をたたいていた人たちだわ。
もしかしてシルヴァン様は、私を侮言から守ろうとしてくれたの?
国王の判断に難癖をつけるのか、と。
どうしよう。すごく嬉しいわ。
少しは私に関心を寄せてくれてると、期待してもいいのかしら。
さりげなく令嬢たちに背を向けて、小声でシルヴァン様に、
「お気遣い、嬉しいですわ」と伝える。
すると彼は天使の表情を保ちながら、聞き取れるギリギリの声量で
「違う。あれはお前を使いつづけている俺への侮辱でもあるからだ。殴られたら殴り返すものだろう?」と答えた。
「シルヴァン様って、沸点が低いですわよね。そこも好きですけど」
ふたりで声をひそめあって話を続ける。
なんだか共犯という感じがして、とても楽しいわ。
ずっとこうしていられたら、幸せなのに。
それなのに――
「ロクサーヌ!」
苛立たしげに私の名前を呼ぶ声とともに、オラスが現れた。
「一曲踊るぞ」と有無を言わさず私の手を取る。「父上に命じられた。大使が誤解しているから、お前と踊ってこい、と。ありがたく思えよ」
『別にあなたとなんか踊りたくないわ』
その言葉が喉元まで出かかったけれど、なんとか呑み込んだ。
オラスは無理やり私を引っ張って、広間の中央に向かう。
短い幸せだったわ。
私は振り返ると、シルヴァン様に一礼をした。
一応上司と部下だもの。人目がある限り、そこはきちんとしなければならない。
シルヴァン様も完璧な笑顔を浮かべて、軽くうなずいてくれたのだった。




