6・3 シルヴァン様のお怒り
摘み続けたおかげで、花はかごから溢れそうなくらいになっている。
「そのぐらいでいい」とシルヴァン様。「次は執務室に戻って選別だ」
「そちらも『穢れなき乙女』限定ですか?」
尋ねながら足を踏み出した、そのとき――
かごで見えなかったけれど、足元に段差があったらしい。
足を滑らせ、バランスが崩れる。
「あっ!」
転ぶ!
かごだけは守らないと!
咄嗟に抱えて、自分は地面に激突することを覚悟した。
――でも、そうはならなかった。
転倒するはずだった私の体は、誰かに抱き留められている。
私の重さによろめいていたけれど、それでも私をしっかりと捕まえてくれていた。
ねえ、ロクサーヌ。『誰か』って、この場にいるのはふたりだけよ?
目の前に広がる紺色のものは、魔術師の制服よね?
私、シルヴァン様の胸に顔をうずめているのよ!
そう認識したとたんに、心臓が爆発したかのように跳ね上がり、体温が急上昇した。
慌ててシルヴァン様から身を放す。
「ごめんなさい!」
「気をつけろ!」頭上から、鋭い叱責が飛んでくる。
「本当にごめんなさい。大切なお花が……」
足元を見ると、いくつかの花が零れ落ちていた。
地面に膝をつき、急いで拾い上げる。
「もう使えませんか?」
訊きながらシルヴァン様を見上げると、憤怒の表情で私をにらみつけていた。
「……もう一度摘めばいい」
「はい。ごめんなさい」
ラッキーな出来事に一瞬でも喜んだ自分が恨めしいわ。
せっかくの楽しいひと時を、自分でダメにしてしまった。
しかも足首が痛い。
しおしおとした気分で、だけどなんともないフリをして立ち上がると、シルヴァン様が無言で私の腕からかごをとりあげた。
私には任せておけないということね。
有用性をアピールしてきたのに、大失態だわ。
◇◇
ネコをかぶっているシルヴァン様は優雅にゆったり歩くけれど、素のときは颯爽と足早に進む。
花園は王宮の敷地のなかでも最奥にあるから、魔法省までの距離はそこそこある。
足首が痛むのを隠してシルヴァン様のとなりを歩くのは、かなりつらい。
ケガは考えていたよりも酷いものだったのかもしれない。このままシルヴァン様に気づかれないでいられるか、心配になってきたわ。
動きに集中をして、黙々と歩く。
と、シルヴァン様が足を止めて、こちらを向いた。不機嫌な顔で、私をじろじろと探るようにみる。
「おしゃべりなお前が黙っているなど、おかしい」
冷ややかな声で告げられたことに、反論ができない。そのとおりと、私でも思うもの。
「先ほどので怪我でもしたか」
「……はい」
「なぜ言わない」
「評価が下がるのは嫌ですもの。でも、思ったより重症だったようです。シルヴァン様は先にお戻りください。私はあと――」
「怪我はどうするつもりだ」
シルヴァン様は苛立たし気に、私の言葉を遮った。相当ご立腹みたい。
これ以上怒らせたくないけれど、そうも言っていられない。
「あとでアロイス魔術師様の治療を予約してもよろしいでしょうか」
途端にシルヴァン様の柳眉が跳ね上がった。
「もちろん、『穢れなき乙女』として必要な作業が終わったあとでのことですわ」
「お前の怪我を放置したと、俺が非難される」
「……そうですわね」
私としたことが。思わぬ事態の連続に、頭の回転が鈍くなってしまっていたみたい。そんなことも気づけないなんて、情けなさすぎる……。
シルヴァン様が唐突にしゃがみこんだ。花のかごを置き、私のスカートのすそをまくりあげる。
「……ひっ!」
この世界では、女性の足は隠しておかなければならないもので、私も使用人以外に見せたことはない。
それをシルヴァン様が!
ためらいもなく!
恥ずかしい!
でもこの無駄のなさが、ラスボスらしくて素敵!
だけど絵面が!
シルヴァン様が私の前に跪いてスカートをつまみあげて中をのぞいている……!
なにこの暴力的な光景!
羞恥と興奮とで体が震える。
だめ、気が遠くなりそう。
だけどシルヴァン様はそんな私に気づくこともなく
「腫れがひどい」と、不機嫌そうに言って、私を見上げた。「一瞬で治るが激痛を伴う黒魔術と、時間がかかる通常の魔術。どちらがいい?」
「黒魔術で」
どんなに痛かろうが、今すぐ治ったほうがいいわ。
でないと私がもたない。倒れてしまいそう。
「座れ」と命じられ、そのとおりにする。
シルヴァン様が投げだした私の左足首に触れた。続けて呪文を唱える。
しばらくすると、足首を切り落とされたかのような激烈な痛みが走った。
「……っ!!」
叫びそうになるのを、必死に耐える。
幸いすぐに痛みは消えた。
いつの間にか瞑ってしまっていた目を開くと、立ち上がったシルヴァン様が呆れた顔で私を見おろしていた。
「叫んでよかったんだぞ。誰にも聞こえやしない」
立ち上がり、
「これ以上シルヴァン様の前で無様な姿は見せたくありませんもの」と答える。「治療をありがとうございます。お代は――」
「いるか!」
怒ったような声を出してシルヴァン様は、スタスタと歩きだした。
でも治癒魔法は使える魔術師が少なく、ささいな術でも高額なはず。
「お前は、俺が仕事中の怪我でも金をとるケチな男だと、思っているのか」
あ……。
「違いますわ!」
急いでシルヴァン様のあとを追う。
「シルヴァン様にお手間をかけさせてしまったことが申し訳なくて。対価をお支払いしたかっただけです」
「だったら俺の役に立て」
彼に追いつき、その美しい横顔を見上げる。
「もちろんですわ」
この失態分は、絶対にすぐ取り返す!
シルヴァン様の返事は、鋭い目つきによる一瞥だけだった。
でも彼はツンデレだもの。ひと睨みくらい、ご褒美でしかないわ。
◇◇
執務室に入ってきたシルヴァン様は後ろ手に扉をしめたとたん、うんざりとした表情になった。
私の「お帰りなさい」との声かけも無視して、机に向かう。そしてドカリと椅子に身を沈めて足を組んだ。
「どうかなさいましたか?」
「惚れ薬」と、不機嫌な声が返ってくる。
一週間ほど前に完成したアレね。すでに件の令嬢にのませたはずだけど――
「結果がかんばしくなかったのですか?」
「強力な効果はあった」
「それなら――」
「たった二日間だけな」
「あら。あんなに労力がかかったのに、それは残念ですね」
シルヴァン様が深いため息をついた。
「コストに見合わない」
「そうですわね。では令嬢はまたシルヴァン様に夢中になってしまったのですね」
「いや」
そう言って、シルヴァン様がにやりとした。とてつもなく悪そうな笑顔で、ラスボスにぴったり!
「もう俺にはまとわりつかない。そこだけはうまくいった」
シルヴァン様はそれ以上はなにも教えてくれなかった。
だけどニ、三日ほどで、うまくいったと言った理由がわかった。令嬢の醜聞が社交界を席巻したから。
その内容は、彼女が妻子ある男性と不倫の関係を持ったとか、未遂だとかいうものだった。どちらが事実なのかはわからない。いずれにしろ、白い目で見られることには変わりない内容だ。
男性のほうはもともと浮名を流している方だったから、ダメージはないようだけど、令嬢は都を去った。
シルヴァン様、随分とえげつないことをしたのだわ。
さすがラスボス。容赦がない。




