3・4 はじめてのお友達
退勤し、王宮のエントランスホールに向けてひと気の少ない廊下をひとりで歩く。
シルヴァン様は残業するらしい。私も残りたかったけれど、断られてしまった。不満だけど、今日は初日。とりあえず、おとなしく従うことにした。
明日からは、絶対に帰らないんだから!
でなければ、シルヴァン様が残業をしなくて済むように力になりたい。今日はほとんど、仕事らしいことをさせてもらえず、多くの時間を魔術書の精読に費やした。
知識をつけることは魔術師の雑用係として必要だとは思うけど、それは自邸でもできるもの。
ああ。それにしても私のラスボスは、今日も麗しかったわ!
私へ向ける冷ややかな目も、相手をするのが面倒になってつく気だるげなため息も、不愉快そうにしかめる顔も、すべてが美の極致! ご褒美をありがとうございますと、拝みたくなるぐらいの神々しさだったわ。
前世の記憶がよみがえって、本当によかった。生きる張り合いができたもの。
楽しい気分で足を進めていると、ふいにひとりの男が姿を現した。目立つ金色の髪に、豪奢な衣服。オラスだわ。不愉快そうな顔で、私を睨んでいる。
距離が十分縮まったところで彼は、
「なぜ相談もなしに、叔父上の助手なんて始めた!」と小さい、だけれど不機嫌をあらわにした声で私を責めた。
「陛下からお話があったはずです」
「それは聞いた! だが納得できない」
「婚約者が攻撃されたかもしれないのに、その調査に不満があるのですか? となると今回も犯人は殿下で、罪を暴かれたくないとのお考えなのでしょうか」
私も小声で、きっぱりと反論する。
「そんなはずないだろう!」と、オラスはますます顔をしかめた。「私になんの得もないではないか!」
それはそうね。
「まあいい。来い」
「どうしてですか?」
「今日の分の仕事をするに決まっているだろう」
「なんですって?」
「すでにだいぶ遅れているんだ。急げ」
「待ってください。私は帰ります。殿下の仕事なんてやりませんわ」
「そんな勝手が許されるとでも?」
「勝手はどっちですか」
オラスのあまりの言い分に、呆れてしまう。これで小説のヒーローって、どういうことなのかしら。ピアとの仲が深まれば、それらしくなるの?
だとしても私には関係のないことだわ。
お互いの意見は平行線で、言い争いは段々熱を帯びてきた。
オラスも私が従わないとは思わなかったのかもしれない。今までは、彼の要求をすべて受け入れてきた。仕方なくではあるけど。
それが彼を増長させてしまったのかもしれないと、今初めて気がついた。
怒りで顔を真っ赤にしたオラスが、
「いいから!」と私の手首を掴んだ。
そのとき、
「ベルジュ公爵令嬢様」と背後から声がかかった。
振り返ると、ルシール・シャルーがいた。強張った顔で、目が怯えている。
魔法省に属している唯一の女性魔術師で、子爵令嬢。貴族であるのに働いているのは、シャルー家が困窮しているから。だから彼女は一切社交をしていないはず。王太子の至近距離に立つのも、その視界に入るのも、初めてかもしれない。
ルシールはぎこちなく、「お邪魔してすみません」とオラスに頭を下げてから、私に向かって
「シルヴァン筆頭魔術師様がお呼びです。今日の仕事の件で、至急確認したいことがあるとか」と告げた。
まあ。ありがたいことだわ。
オラスに、「失礼します」と言って、踵を返す。
彼も、人目があるところで私に居丈高な態度はとりたくないみたい。引き留めることはしなかった。
ルシールと廊下を戻る。しばらくして角を曲がり、オラスが見えなくなったところで足を止めた。
「ありがとう、助かりましたわ」
彼女にそう伝えると、驚いた顔をされた。
「シルヴァン様が呼んでいるというのは、嘘でしょう?」
私を遠ざけたい彼が、そんなことをするはずがない。
「あ、はい、すみません」と、頭を下げるルシール。「お困りのように見えたので」
「ええ。どうしようと考えあぐねていましたのよ。良いタイミングでしたわ」
「それなら良かったです」と、ルシールは微笑んだ。
「――あなたは、私に不満がないの?」
そう尋ねると、ルシールは意味がわからなかったようで、首を傾げた。
「私がシルヴァン様の雑用係になったことですわ。王宮で働く女性たちも、魔法省に務める男性たちも、みんな私の悪口を言っているわ」
「ああ……。私はむしろ、女性が増えて嬉しかったので」
にこりとするルシール。
確かに魔法省にいる女性は、魔術師の彼女だけ。ルシールは相当な魔力量を有しているらしく、そのおかげで女性でありながら魔法省に採用されたと聞いている。それでも、男性しかいない場所で、肩身が狭い思いをしてきたのかもしれない。
「それではぜひ、仲良くしてくださいな」
ドキドキしながら、お願いしてみる。
「わ、私みたいな落ちぶれた子爵家の者でもいいのでしたら!」
「まあ、よかったわ!」
初めてのお友達、しかもオラスに忖度しない珍しい令嬢をゲットしたわ!
信じられない!
ずっと私にはお友達は無理なのだと諦めていた。
「よかったら魔法省のこと、なんでも聞いてください!」と、ルシールが自分の胸を叩く。「助手に必要な知識でしたら、筆頭魔術師様より私のほうがわかると思います!」
「まあ! 助かりますわ!」
もしかしてルシールのおかげで、今日の悩みも一気に解決では?




