8.仮面舞踏会
ティア・バディル。
グローブ・クローバーの想い人にして、バディル領土に住んでいた。
領主である父親から、釘を刺される。
「バディル領土は今や第三王子との関わりの深い商人ばかりだ。彼らが居なくなってしまっては、我が領土は成立しない」
「はい……存じております、お父様」
バディル領土は実質的に、第三王子の庇護下に置かれていた。
そんな中で、第十王子との恋仲になったティアは肩身の狭い状況に置かれていた。
もしもグローブと婚約すれば、それは第三王子への反旗を意味する。
王族によるバディル領土の庇護は無くなる。
「私は……第十王子グローブ・クローバー様とは結婚致しません」
ティアは家族を、領土の民を裏切る訳には行かなかった。
「すまないな……だが、お前がグローブ様と結婚したところで、誰も喜んでは貰えまい」
「分かっております。大丈夫です、私が我慢をすればよいだけのことですから」
その笑顔は、貼り付けたような冷たい笑顔であった。
万有の森を攻略したことで、他の王族から嫌な視線を向けられていたのは……第十王子グローブ・クローバーだけではなかった。
「仕方ないのだ。第三王子を、敵に回すことだけは決してあってはならない」
*
月夜の仮面舞踏会。
ここにティアが参加するとの情報を受け、私たちは入り込んでいた。
これ以上、グローブを手助けすることはリスキーである。
レイラの忠告はおおむね正しい。
だが、今回は危険を晒すほどの価値がある。
もちろん、怪しまれないためにも靴底を上げたり体格を少し変えたりと……弄っている。
荘厳な装飾品に飾られ、一流の料理に一流の音楽。
その中に混じり、誰とも会話をしないよう、優雅にダンスする。
この美しい女性と、音楽に合わせて足並みを揃えた。
「とてもスタイルの良い女性がいるぞ……」
「どなたかしら……」
「良い女だな」
思わず半眼になる。
おい、逆に目立っているではないか。
目立たたないための変装ではないのか。
「クロム様、ダンスもお上手なのですね」
「嗜む程度だが、体を慣らすのにもちょうどよくてな」
美しい女性はレイラであった。
白を基調とした美しいドレスに、仮面で顔を隠している。
ドレスの背中が露出しているせいで、色っぽさが全開である。
随分と派手なドレスを選んだものだ。
忠言を無視した私への当てつけ……だろうな。
「レイラ、質問がある」
周りに溶け込みながら、話をした。
「お前、本当は何者だ?」
「しがない召使いでございます」
「違うな、お前は召使いにしては優秀すぎる。それに私の考えを多少なりとも理解している」
見ている視点が近いのだ。
同じ目線で物事を見れる人間というのは、本当にとても貴重だ。
だからこそ、自分に近い人間だと分かる。
「情報網から見ても、元々はその筋にいた者だ。ともすれば、大方王族に昔から仕えている一族辺りだろうか」
レイラは返事をしない。
「だが構わない。お前のような優秀な奴は好きだ」
レイラによって救われたことも多くある。
情報を司る人間だからこそ、自分の情報の重要性をよく理解している。
深く関わろうとすれば、レイラは去るだろう。
「……あなたはやはり、賢すぎます」
「褒めてくれてありがとう」
微笑んで返した。
レイラをリードし、周囲を圧倒するようなダンスをする。
目立つつもりがなくとも、それは自然と視線を集める。
その優雅さとパートナーであるレイラの美しさ。
皆が、その人物に疑問を浮かべる瞬間……カツンと音がした。
そちらへ全員の視線が向く。
「レイラ、どうやら主役が登場したようだぞ」
グローブ・クローバーであった。
ふふっ、仮面舞踏会だというのに……仮面のつけ方を間違えている。
あれでは仮面が全く機能していないではないか。
グローブの奴め、相当緊張しているようだな。
キョロキョロと見渡し、私を見つける。
そうして今度は、恋人であるティア・バディルを見つけたようだ。
「ティア!」
おい名前を叫ぶな!
ここは仮面舞踏会だぞ!
名前を呼ばれたティア・バディルは人ごみに紛れていく。
あまり顔を合わせたくないような様子だ。
「ま、待ってくれ!」
走るな! 歩いていけ!
レイラが呟いた。
「失礼ながら……グローブ様は天然なのでは?」
「……かもしれぬな」
私もティア・バディルを観察していたが……これといって男性と喋っている様子はなかった。
グローブを見る目も輝いていた。
概ね、両想いなのは間違いないのかもしれないな。
だが……逃げるということは、何かがある。
「行くぞ、レイラ」
「はい……ですがクロム様、ダダパイを回収しなくてよいのですか?」
私は今回、社会勉強という意味合いでダダパイを連れてきていた。
これがまた驚くことに、ダダパイを磨いて綺麗にしてみたら、なんと美人が出てきたのだ。
馬子にも衣装というが、あそこまで美形であるとは思わなかったぞ。
ダダパイを見る。
「ふんが! ふんが!」
ガチャガチャ!
凄い勢いで飯を食っている。なるほど、道理で先ほどから料理人が血相を変えてバタバタと走り回っている訳だ。
かなり美味しいようだ。たくさん食べるといい、どうせタダ飯だ。
レイラが頬を引き攣らせた。
「なぜダダパイを連れてきたのですか……」
「ハハハ! なぜって、面白いからに決まっているだろう!」
「あなたという人は……」
なんだ、悪いことか。
外見はそこらへんの貴族よりも美人だぞ。ドレスも似合っている。
あっ、仮面を捨てた。
おい待て、他の貴族を威嚇するな。
「ふふっ……やはりあいつは面白いな」
「笑いごとではないです」
ダダパイの良さは、誰にも縛られない自由な所だ。
その利点を、私たちで縛って苦しめてしまう方が可哀そうだ。
「ダダパイを見て、少しは肩の力を抜くことを覚えろ」
「え?」
「お前が倒れたら、情報の質が著しく落ちる」
レイラは堅苦し過ぎる面がある。
自由なダダパイとは真逆だ。
「では、私は先に行く」
*
仮面舞踏会のバルコニーにたどり着いたグローブは、ティアを見つめた。
「もう行けないのです。私はグローブ様と一緒には……」
「その理由を教えてはくれないのか……?」
「それは……」
ティアが言えない、といったように口を閉じた。
「私は……家族を、領土の民を裏切ることはできません……。私がグローブ様と結婚すれば、それは……それは……」
涙が頬を伝った。グローブはその涙を見て、彼女がどれほどの痛みと葛藤を抱えているのかを理解した。
ティアが両手を握りしめ、苦しむように座り込んだ。
月の陰りが差す。
冷たい夜風がグローブの頬を通り抜けた。
そして、冷たい声音が響いた。
「無駄ですよ、兄上」
「な……なに?」
カツン、カツンと足音がする。
背広が風で靡いた。
「兄上の気持ちも、想いも、ティア・バディルは理解している」
それでいてなお、気持ちを受け取る訳にはいかない。
そんなことをする理由など、大抵は決まっているものだ。
「結婚はできない。なぜなら、それはバディル領土の破滅を意味するから」
「あなたは……?」
静かに仮面を取り、月下に姿を現した。
「第十四王位継承権……クロム・クローバー。未来のお義姉様のために参上致しました」
小さく微笑む。
「生憎、これでも私は金の流れには詳しいのです」
自分がどこに何を売ったかくらい、把握している。
そしてそれが、どこに流れたかも……。
物の流れは探るよりも、手を突っ込んだ方が早い。
グローブはただ無駄に、私が宝を売っていると思っているようだが……。
「金の流れというのは、言うなれば血の流れ。そして、それは勢力図に直結している。結構これが面白いのです」
どこまでその人物の力が及んでいるのか、徐々に分かってくるからだ。
「な、なに? どういうことだ!」
「バディル領土は、第三王子の隠れた支配下なんですよ」
グローブが驚愕の面持ちを浮かべる。
笑顔で続けた。
「そこで、提案があります」
ティアが怪訝そうな顔をした。
「提案……?」
グローブが掴みかかる。
「また宝が欲しいか……! お前は宝、宝と! 恥というものを────‼」
「違います、兄上。宝は要りません」
「は……?」
「宝よりも価値のあることをして頂きます。それは万有の森で採れる魔石の権利を独占すること」
クロムの言葉は、この場にいるグローブ、ティアですらも全く思いつかないほどの内容であった。
「兄上……ややこしいな。ごほんっ、第三王子の息のかかった商人で街が成立しているというのなら、グローブ兄上だけで成立させてしまえばいい」
大金を稼ぐどころか、街一つくらいはそれで余裕で補える。
ティアが不安そうな声音で漏らす。
「でも、それじゃあバディル領土は第三王子を敵にすることに……」
「もう遅いですよ」
指をパチンッ、と鳴らす。
ダダパイとレイラが二つの人影を投げた。
ゴトンッ!
「うんが!」
「連れて参りました。クロム様」
「この者たちは誰だ……?」
ダダパイは耳がとても良い。
だから、『第三王子』という単語が聞こえたら、私かレイラに報告しろと伝えていた。
「第三王子の息のかかった者たちです。あなたたち……もう第三王子に目を付けられていますよ」
ぎくり、と二人が背筋を伸ばした。
親指を立てて笑った。
「随分と大きな喧嘩を吹っ掛けましたね!」
「笑顔で言うな!! これが笑いごとか! 流石の俺でも、まだ第三王子には勝てない……!」
なら、どうするというんだ。
「では、絶望して諦めるのですか?」
最初から結ばれるはずのない二人であった、とそう諦めるのか。
人を好きになるというのは、その程度の想いなのか。
「第三王子に立ち向かって、ティアを守るか」
徐々に、コツンコツンと私は距離を詰めた。
「それとも、戦いを避けて彼女を諦めるか」
さぁ、選んでください。兄上。
グローブのこぶしが震えている。
そうして、拳を突き上げた。
「……やってやる。俺が、第三王子をぶっ飛ばして、ティアの故郷を守ってやる!」
「グローブ様……!」
「俺はきっと、生涯で君以外を愛することができない! 何があってもティアを守る! 必ず、必ずだ!」
月の輝きが一層増した気がした。
それは夜空が二人を祝福するように、輝いているのだと思った。
冷たい夜風がグローブの頬を通り抜ける。
そして、グローブが亡き母の形見である指輪を差し出した。
「俺と、結婚して欲しい。ティア・バディル」
「……っ! 喜んで……」
お互いの結末。
それは二人で築いていく未来だ。
小さく拍手を送った。
確かに、私はグローブを応援した。
幸せになれる男女を応援したくなるものだ。老婆心に近いかもしれない。
「レイラ。私の優秀な商人を使い、グローブ兄上を手伝え」
「はい」
なんだ、何を笑っているレイラ。
私の顔に何か付いているのか。
ただ、兄上も安定して仕事に励めると思っただけだ。
グローブが私の方へ向いた。
「クロム」
「なんでしょうか、兄上」
「俺は今、ようやく理解した。お前が居なければ、俺は今ここにはいない。万有の森で破滅し、ティアとの結婚を誓えなかった」
静かに顔を俯く。
肯定もしないし、否定もしない。
ただ静寂の中で、グローブの言葉を待った。
「俺は今ままで、クロムを金もなければ権力もない。落ちこぼれと憐みをかけられ、後ろ盾もいない。哀れな弟だと思っていた」
それで、この前謝られたな。
あれは驚いたものだ。
グローブは真に迫る瞳で、はっきりと私を見ている。
それは王子……いや、王の片鱗にも見えた。
「第十王位継承権グローブ・クローバーは、この場において認めよう」
この世界に降り立ち、落ちこぼれと言われていた。
なんの才能もない、優しさだけが取り柄の王子。
自分より上の者に、認められてはいない。
「お前は、掛け値なし────本物の天才だ」
プライドが高く、他の者よりも自分は優れていると信じていたグローブ・クローバーは変わった。
継承権の低い弟を、自分よりも才能があると認めた。
力強く誓うように、グローブは自分の胸を叩いた。
「クロム、お前の後ろ盾になってやる!」
「────っ!」
思わず目を見開いた。
それは、下手をすれば自分にも飛び火が来る行為だ。
王子を王子が守る……そんなこと、聞いたことがない。
「お前は俺が守ってやる! 俺を盾として使え!」
初めて、少し迷った。
人を信じることは好きだ。
「お前に、俺の命を預ける」
でも、これを信じるのは生半可なものではない。
計算や恐怖では得られないものだ。
「……良いんですか」
「当たり前だ! お前は家族だ!!」
少し、笑みがこぼれた。
嬉しい。
その感情がはっきりと分かる。
「ええ、私と兄上は家族ですからね」
我ながら、素敵な笑顔をできたと思った。




