「猫の王、檻に入る」
領都ローグシーを出て少しのところにある、新しい牧場のお話です。
◇◇ 猫の王、檻に入る ◇◇
「処分はまかせるぞ」
「殺すんですか?」
── あっけらかんとした大男の声。
吾輩は大きな檻の中で身を起こした。ゆらぁり。きさまら、猫の王の本気をみたいわけだな?
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「ここはどこだ、きさま何者だ!」
吾輩は王である。猫の王である。
唯一の王、故に名前はない。
王土の力なきもののため、正体を隠して見守り、日夜、巡察を続ける… 危険は覚悟。命を狙われることもあった。
だが、まさか生け捕りにされるとは…
こやつ、あなどれん。
「なにが目的だ!── いってみよ、悪いようにはしない。ほれ」
檻の格子から片足を出してやる。
目の前にいる老人は、ぶすっとした顔をびくとも動かさぬ。こいつ、表情筋が老衰しているのか?
── 昨日会った宿屋の小娘は、吾輩の美肉球をふし拝んでもみもみした。すっごくゆるんで、他人に見せてはいけない表情だった。
吾輩を檻に閉じ込めたのがこの老人なら── 不覚なことに、まだ記憶が曖昧だ── ヒトの英雄級にちがいない。
剣聖、ドラゴンキラー、キューテー魔術師、シノビスレイヤー……正体は何だ? 吾輩は巡察の途中だった。どうやって前後不覚にして捕らえたのか。
ナゾを暴かなければ、この場所での脱走は無意味といえよう。
檻からはすぐ抜け出せる… 気がする(勘だ)。
ぎいイィ
『スンマセ…『 ばかもの!!!』
『うわっ[:どだぁん!:]』
「うにゃっ!!」
…… びっくりしたなぁ。
どこから声を出した老人。あと、派手にずっこけた馭者よ、無事か?
馭者?
……吾輩、今、なぜわかったのだ?
── あ。
『こんな猫を試験牧場へ入れおって。しかも、目立つ馬車の幌の上に載せたままだ!』
…… そうだ。たまたま飛び乗った幌の弾みがいい具合で。日向に留まって、ぽかぽかしていて。
そうちょっと座ったら、ごく自然にウトウト……
「ここは、グリーンラビットの牧畜だけじゃあない。
生け捕りにした魔獣や、よくわからん新種の標本なんかもあるんだ。探ろうとするよそ者も、うろつき出した。あれほど、出入りの荷物や馬車の点検に気をつけろと──」
うむ、すまん馭者。
吾輩、つい、隠身魔法を効かせていたかも。ご機嫌に眠くてな……馬車のゆれ具合もよい加減だったぞ。
グッスリだった。
**
「にゃ〜 あ〜〜♪」
黒猫が檻の中で、気の抜けた鳴き声を上げた。思わす説教が途切れた。
老ハンターはギロ、と、睨むが黒猫は怯えない。図太い。もういいと話を終えた。
「処分は任せるぞ」
「殺すんですか?」
── 気のせいか黒猫の雰囲気が変わった。老人は太い息を吐いた。
「このまま檻から出すな、試験牧場のそばで放すな。街中まで檻ごと運んで逃がしてやれ」
「すごく重たいです」
「魔獣用の空いた檻が、このデカイのしかなかった」
「魔獣用?」
「……勘だ。入れ替えたりするんじゃないぞ」
老ハンター、いや、現在は、ウィラーイン伯爵家の直轄のグリーンラビット試験牧場の職員は、黒い街猫を警戒するワケをいわなかった。いや、説明しようとするとうまく言葉にならない。
無防備に寝ているすがたを見たとき、酷い違和感があったのだが……
当然、その警戒心は、目の前にいる大男にこれっぽっちも理解されていなかった。
「とにかく、余計なことをするな。このまま荷台に乗せろ。ローグシーへ運ぶほかの荷がそろうのをまて。全部そろったら荷馬車でまっすぐ街へもどれ。つくまで絶対に、絶対に檻を開けるんじゃないぞ」
「ふりですか?」
「なにをいってるかわからんが、今考えたことはするな。正直、お前らを置いて、今ここを離れるのもまずい気がする…… しかし、グリーンラビットの毛刈りテストを遅らせるわけにも行かん」
「お前ら── ? 猫とひとくくりされました」
老ハンターは、最近の牧場に出入りするようになった運送仕事の馭者と、意味もなくみつめあった。 ほわっ、とした笑顔の大男…… 怒っている様子はない。いつも、なにを考えているのやら。
黒猫はいつの間にか身を起こし、大きな檻の内側を熱心に観察しだしていた。老ハンターは変化に気がつかなかった。
『グリーンラビットの毛刈りテスト』
ただの黒猫なら反応するわけないワードへの興味。
「それじゃあ、わしはゆく。くれぐれもこの猫を敷地で逃すなよ、マシュー」
○グリーンラビットの試験牧場
ウィラーイン伯爵家が取り組む、草食魔獣の飼育事業の実験施設です。領都ローグシーの壁外にあります。
グリーンラビットの多頭飼育や魔獣素材の採取と加工について、新たな知見を得ていますが、今のところ、産業化の見通しは立っていません。
開設直後、「とんでもないグリーンラビット」が紛れ込んでいて大騒動になったり。 実は、タフでなければ務まらない、賑やかな仕事場です。
○老飼育員
本名不詳。元ベテランハンターの老人です。
自分の体力に陰りを感じて転職し、第二の人生をスタートさせました。顔が広く、引退後もかれを師匠と慕うもの、借りを返す機会を探すものは多くいます。
魔獣ハンターから試験牧場へ、転職したときのエピソードはこちら──
『おいちゃんの第二の人生』(作者;NOMAR)
https://book1.adouzi.eu.org/n4627ff/117/




