7話 スパイ
人種王国第一王女リリスのメイド長ノノは、幼い王女の側近候補として顔を会わせた。
リリスがまだ6歳で、母である王妃を亡くし悲しみに暮れる頃、ノノが側に付く。リリスは最初こそ母親代わりとしてノノに甘えたが、次第に姉として慕うようになる。
ノノもリリスを実妹のように可愛がり、心を鬼にして教育のため叱ったり、小言を言ったりもしたが、2人の仲が拗れて険悪になることはなかった。
それだけ互いの絆が昔から続く深いもので、リリスがノノを心から信頼していたからだ。
――その絆が解れ始めたのは、『巨塔の魔女』の街を視察した後である。
「ノノ、これからお茶はユメに淹れてもらうから。貴女は他の仕事に回って頂戴」
「……姫様?」
最初はなぜかノノのお茶を飲まず、見習いメイドのユメに淹れさせるようになった。
以後、ユメは一メイドとして、ノノのポジションだったリリスの側付き扱いになっていく。
流石にこの扱いに対してノノが、リリスを問いつめた。
「……姫様、なぜ最近ユメを優遇し、ノノを遠ざけるようなマネをなさるのですか? ノノは気付かぬうちに姫様のお怒りに触れてしまったのですか?」
「話があると言うから何事かと思ったら……」
夜、寝室のソファーに座りながらユメ(偽)の淹れたお茶を口にしながら、リリスは呆れたように声音を漏らす。
現在、リリスの寝室にはノノの希望でユメには席を外してもらって、2人っきりで向き合っていた。
リリスの態度にノノが切り込む。
「……近頃の急激な変化を前にすれば、言いたくもなります。最近、ユメもメイドらしくなってきましたが、姫様の側仕えをするには若すぎますし、経験も足りません。にもかかわらず、ノノを遠ざけ優遇する理由をお教え下さいませ」
「もうノノは大袈裟ね。昔から細かい事を気にし過ぎるんだから……」
リリスは姉にぼやくように漏らすが、ノノは真剣に自分が遠ざけられる理由が分からず問うていた。
その空気を感じ取り、カップをソーサーに戻し返答する。
「別に深い意味は無いわよ? ノノの言う通りユメも最近メイドらしくなってきたから、本格的に私の側に置いて育てようと思っていただけ。ノノも『使えるメイドが少なくて大変だ』って口にしていたでしょ?」
「……それは以前、確かに口にしたかもしれませんが」
ノノの目を盗み、さぼる若いメイドも居る。
その際、愚痴の一つとしてリリスに漏らしたことはあるが……あくまで気を許す妹に軽口を漏らした程度のものだ。
メイド長としてはある程度の部下の緩みは仕方ないと諦めているのだが、実際に文句の言葉を口にしたため否定し辛い。
リリスが笑顔で告げる。
「だから、ユメを私の側に置いてノノの負担を少しでも減らしてあげようとしているのよ。ノノだって私の世話をする時間が減って、他の仕事に手を回せるようになったでしょ? 文句を言われるどころか感謝されてもいいと思うわよ」
「……それは」
ノノが言葉につまる。
確かにリリスの指摘通り、負担が減り他の仕事に割ける時間が増えたのも事実だ。
『自分を気遣って、妹のようなリリスがあえてユメ(偽)を起用しているのだ』と考えれば筋は通っている――が、
(……嘘は付いていないけど、本音を口にしていない感じ)
長年リリスの側で姉として、メイド長として見守ってきたのだ。
隠し事をしていることなど一発で分かる。
故にノノはリリスが『嘘をついていないが本音も口にしていない』というのにすぐ気付いた。
「…………」
「ノノ? どうかしたの黙り込んで」
「……いえ、何でもありません。ノノのためにお時間を作ってくださってありがとうございます。お陰で疑問を晴らす事ができました」
「そう、よかったわ」
リリスが笑顔を浮かべる。
上手く笑っているが、ノノは一目で『心から笑っていない』と見抜く。
これ以上、追求するのは不味いと本能が訴えた。
ノノは一礼して、寝室を後にする。
彼女は廊下を移動中に、考え込む。
(……姫様が隠し事をしている。昔、子猫を部屋で黙って飼おうとした時と似ていますね)
リリスが10歳頃の時、庭に迷い込んだ真っ白な子猫を捕まえて、自室で隠れて飼おうとした。
『どうせ飼いたいと言っても反対されるから』と言うのが本人の意見だ。
10歳になると知恵が回るようになり、嘘を吐いてもすぐにばれるから、あえて口にしないように立ち回ったのだ。
それでもすぐノノに気付かれ、子猫は没収。
流石にドレスや布団、絨毯が毛だらけになるし、家具が爪研ぎで傷つき、匂いが移ってしまうためリリス自身が飼うことは出来ない。
結果、ノノの部下であるメイドの実家に飼われることになり、そこに送られた。
今ではその子猫も立派に成長し、のんびり生活している。
先程の会話も、当時の態度を数十倍も洗練し心を上手く隠した対話技術だった。
長年リリスに仕えているノノだから、気づけたレベルである。
だが流石に『何を隠しているのか』までは分からなかった。
(……子供の頃のようにまた子猫を隠して飼おうとしているなんてありえないでしょうし、なら好いた殿方が出来て恥ずかしくてノノに隠している?)
実姉のような自分に知られるのが恥ずかしくて、ユメを側仕えにした可能性を考える。
リリスも年頃の女性で無い話ではないが……先程の態度を鑑みてどうもしっくりこない。
(……他の可能性、ユメを側仕えにしてまで、ノノを避ける理由……スパイだとばれた!?)
頭から爪先に落雷が走り抜けたような衝撃にノノの足が止まる。
嫌な汗が流れる。
痛いほど張り付く喉に無理矢理唾液を流し込み、頭を回転させた。
(……ですがノノがスパイだと姫様に気付かれるなどありえません! 魔人国への報告は実家を経由していますから、姫様が知ることなど出来るはずがないですし)
人種王国王城は他国スパイ天国だ。
他スパイがリリスにノノの正体を密告した可能性も考えたが……。
(……ノノと姫様を不仲にして、代わりの側近として入り込み情報を引き出す可能性はゼロとはいいませんが、意味がありませんし)
リリスの側に居て得られる情報は、彼女の側に居なくても入手は簡単だ。
わざわざ密告してまでやることではない。
だが……証拠は無いがノノの直感が告げる。
(……あくまでこれはノノの悪い予感でしかありません、ありませんが)
だからと言って直接本人に『ノノがスパイだと知ったから遠ざけるようになったのですか』など聞けない。
「……ッ!」
リリスに自身がスパイだと知られていると想像しただけで胸が痛み、耐えきれず壁に寄りかかってしまう。
だが、ノノとしても魔人国のスパイ任務を拒絶する選択肢など無かった。
彼女が産まれる以前から一族は魔人国のスパイで、裏切れば刺客が送られ家族共々皆殺しにされてしまう。
魔人国の刺客を撃退するほどの力など、人種であるノノには無い。
故にスパイとして活動するしかなかった。
だが、そんな言い訳を口にしてもリリスを裏切って来たのは事実だ。
場合によって、ノノの手で彼女を暗殺する可能性すらあったのだから。
(……まだです。まだ姫様にスパイだとばれたかどうかは分かりません。とにかくしっかりと働き、再びお側に近付き詳細に観察しつつ、遠ざけた本当の理由を調べませんと)
実際は自分の勘違いで、本当にリリスはノノを気遣ってユメに仕事を与えているだけ――という可能性もある。
そう自分に言い聞かせて、壁から手を離す。
手を離し、王宮にある使用人部屋――ノノ自身の自室へと足取り重く戻るのだった。
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