29話 畏怖の剣
陽が完全に沈み切った深夜。
酒場の大半は閉まっているが、一部気合が入った飲んだくれ達が集まる店から微かな明かりが漏れている。
ドワーフ種達の笑い声、雑談も漏れ聞こえてくる。
とはいえ、基本的に日中は耳が痛くなるほど五月蠅い大通りも、深夜のため人気はなく、静まりかえっていた。
雲が空を覆っているため月明かりすらなく、人種なら暗すぎてまともに歩くことさえ出来ないだろう。
ドワーフ種は種族的に暗闇に適性があり、この程度なら人種と違って問題なく行動することができたが、好きこのんでこんな暗い中を複数人数ならともかく、単独で移動しようと思う者などほぼ居ない。
「…………」
その例外の1人であるドワーフ種のナーノが、今夜も獲物を物色するように裏路地から表通りを眺める。
顔を隠すように頭からフードを被り、マントの内側に彼自身が作り出した『禁忌の剣』秘宝級を手に見つめる。
ナーノは手の内にある『禁忌の剣』秘宝級の鞘をうっとりとした表情で撫でる。
(待っていろよ、儂が作り出した『畏怖の剣』よ。今夜も美味い生き血を吸わせてやるからな)
ここ数日ナーノは、夜間1人でうろつく人種冒険者やドワーフ種などを狙い殺害。その血を剣に吸わせていた。
夜間、1人で外出し移動するのは安全面から考えて避けるのが一般常識だが、中には守らない者達も居る。
大抵、その手の者達は考えが足りないか、若く驕っているか酒に酔って正常な判断を下せないか……もしくは、腕に覚えがある者達だ。
ここ数日、ナーノは夜間に1人外出している冒険者などを狙い殺害している。
その際、彼が手にしている『禁忌の剣』秘宝級――『畏怖の剣』によって殺害されていた。
なぜナーノが『畏怖の剣』とその剣を命名したかというと……彼の作り出した『禁忌の剣』秘宝級を前にすると、誰しもが畏怖するからだ。
どうやら作成した『禁忌の剣』は、相対する者達に強い『畏怖』や『恐怖心』を与える力を持っているらしい。
命のやりとりの最中、強い『畏怖』や『恐怖心』を抱くことがどれだけ危険か。
普段通りの技の冴えは消えて、踏み込めず狙いも狂う。普段なら正常に唱えられる魔術も、まともに詠唱できなくなる。
故にナーノは作成した剣の名を『畏怖の剣』と名付けたのだ。
さらに生き血を吸わせるたび、『畏怖の剣』の『畏怖』を呼び起こす効果が強まっている気がした。
より剣を強化するために、ナーノはこうして獲物を探して裏路地に潜んで、大通りを窺っているのだ。
(だが……派手にやりすぎたせいで獲物がおらぬな。おっても集団でまとまって移動しておるせいで手が出せぬしな)
最近、『単独で行動する者達を狙う殺人』が発生しているため、夜間外出する者達がさらに減って、単独で行動する者も減少。
ときおり大通りや裏道を通りかかるのは見回りの警備兵士か、2人、3人以上でまとまった者達だけだ。
単独で移動する者は今夜は目にしていない。
(あぁ……早く『畏怖の剣』に生き血を飲ませてやりたいわい。そして伝説の剣により近付くため、成長させてやらなければ……。今夜は最悪、スラムの浮浪者でも狙うかの)
しかし彼の心配も杞憂に終わる。
(……お、12、3才の人種子供か? いや、ドワーフ種か?)
大通りの端を黒いフード付きマントを羽織り、手には杖を持つ人物が、何気ない様子で歩いていた。
月明かりも無いのに、その歩みに迷いはなく、足取りがしっかりとしている。
ナーノ自身、冒険者としてモンスターとの戦闘を幾度となくこなし、修羅場を潜り抜けてきた実戦派だ。
レベルは300前後もある。
黒マント姿の標的は、何かしらの武術を嗜み、闇に紛れて奇襲を受けても対処できる自信を持っている。ナーノは自身の経験からそう観察した。
最初は背丈から12、3才の人種子供かと考えた。竜人種、魔人種、獣人種は角や尻尾のせいでマントを羽織ってもシルエットに特徴が出来る。さらに言えばエルフ種の子供がドワーフ種の首都を夜間歩くなどありえない。
腕に覚えのある人種子供など存在するはずがないため、必然残るのはドワーフ種のみになる。
ドワーフ種の冒険者が酒を飲んだ帰りなのかもしれない。
ナーノはそう判断を下し、分厚い唇を赤すぎる舌がねっちょりと舐める。
(ひひひ、ひぃひひひひ……ッ。どうやら今夜の生け贄が決まったようだわい)
彼はすぐに黒マントの背後を追わず、一度路地裏の闇へと姿を隠す。
気配だけは逃さず、路地裏ごしに後を付けた。
黒マントが立ち止まる。
僅かに逡巡した後、標的はスラム街へと足を踏み入れる。
(? なぜ深夜にスラム街へ……いや、このルートは宿屋街の方角か!)
黒マントはスラム街に入った訳ではない。
正確にはスラム街の境界線を通り抜け、宿屋街へ出ようというのだ。
大通りを進むより、そちらの方が近道となる。
ナーノの警戒心が一気に薄れて、『手頃な獲物だ』と認識を強めた。
スラム街の境界線は一般人、スラム住人を分ける線のため、基本どちらの住人も昼間でさえ不用意には近付かない。
下手に近付いて互いに揉め事を起こしたくないからだ。
ナーノは大笑いしそうになる口を押さえる。
(なんと都合が良い! これも女神様が天才鍛冶師である儂を後押ししているからかもしれんの!)
彼は息と足音を殺し、レベル300前後の身体能力に任せて先回りをする。
地元でもあるため、先回りは容易い。
すぐさま追い抜き、進路を塞ぐ。
人種皮膚を貼り付けた鞘から『畏怖の剣』を抜き、待ち構える。
『畏怖の剣』の刃部分は暗闇にもかかわらず、前よりも赤黒くなっているのが一目で分かった。
数分後――黒マントが通りがかり、数mの距離で足を止める。
この時、ナーノは驚きで軽く目を開く。
「ドワーフ種冒険者が飲みに出て遅くなったか、酒が我慢できず深夜飲みに出た帰りかと思ったが……お主、人種の子供なのか?」
「…………」
身長はナーノの方が高いが、正面から相対することで相手の詳細を知り得ることが出来た。
標的は黒フード付きマントを羽織り、右手に杖、顔には仮面を被っていた。マント越しからは分からなかったが、体は華奢でどう見てもドワーフ種のがっしり骨太い体型ではない。
人種子供の体格だ。
ナーノは空いた左手で髭を撫でつつ考察する。
「人種の子供がこんな深夜に出歩くとは……冒険者の先輩共に買い出しでも頼まれたのか? だとしたら人種は本当に頭が悪いわい。深夜、1人で出歩くのがどれほど危険なのかも分からぬとは……」
注意を飛ばしつつ、口元がニヤニヤと歪み出す。
これから始まる一方的な虐殺を想像し、嗜虐心が膨らむ。自身が持つ『畏怖の剣』が血を吸うことによってさらに成長することを想像し、感情が高ぶる。
「街中だからといって油断するなど冒険者として2流、いや3流のやることだわい。例えば……街中でも儂のように襲ってくる者がいるかもしれぬというのに、の!」
最後の言葉と共にナーノが地面を蹴り間合いを潰す。
黒コートの人種の子供はドワーフ種からは想像も付かない速度に驚きつつも、両手で杖を握り防御態勢を取る。
その態度にナーノは再び大声で高笑いしそうになった。
『畏怖の剣』の能力――相対する者達に『畏怖』や『恐怖心』を与える力。近距離で剣を受けるだけで、相手はその力によって恐怖に飲まれてしまう。
後は恐怖心で足がすくんだ相手を、するりと斬り殺せばお終いだ。
これでナーノは今まで数名の人種冒険者、ドワーフ種達を殺害しているのだ。
(何より儂が作り出した秘宝級の剣は、生半可な武器や防具では受けることも不可能! このまま斬り殺し、今夜の糧にさせてもらうぞ!)
ナーノはレベル300前後の腕力で『畏怖の剣』を振り下ろす!
「……ッ!?」
だが、予想外にも相手の杖はがっちりと『畏怖の剣』を受け止める。
そしてナーノが驚くと同時に、彼の腹部に黒コートの蹴りが入る。
「うぐゥッ!?」
ナーノ自身、命がかかった修羅場を何度も潜っているためすぐさま距離を取るが、浅くではあるが腹部に蹴りが入ってしまう。
離れる速度より、黒コートの足の長さが勝ってしまった。
ナーノは左手で腹を押さえつつ、顔を顰める。
(クソ! 真っ二つにできないとは、予想以上に相手の杖のクラスが高かったようだわい。それに『畏怖の剣』の能力を受けても怯えずに反撃してくるとは……。こいつ、人種の分際で見た目より強いのか?)
黒コートが持つ杖のクラスの高さにも驚かされたが、何より『畏怖の剣』の能力で怯えないことに焦燥感を憶える。
歩く姿から自らの強さに自信を持っているのだろうとは思っていたが……。『畏怖の剣』の力に抗えるほどとは想定していなかった。
レベルが高く、強ければ当然『畏怖の剣』の能力に抵抗し無効化することが出来る。
ナーノは頭を冷やされる。
見た目と違って一筋縄ではいかないかもしれないと。
ここで逃がした場合、自分の情報が外部に漏れて今後、『畏怖の剣』に血を吸わせる可能性が低くなることを心配してしまう。
――だが、そんな心配も一瞬で吹き飛んだ。
「鍛冶の腕はともかく、戦闘の腕は昔と殆ど変わっていないようだね」
「ッ!? ば、馬鹿なその声! オマエ、生きておったのか!?」
「…………」
黒コートがナーノの驚愕する台詞を聞きつつ、道化師柄の面を外し素顔を晒す。
「久しぶりだねナーノ。……奈落の底から復讐するために戻ってきたよ」
ライトが約3年ぶりに復讐相手の1人、ドワーフ種ナーノと相対する。
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