One week later ~ラストエピソード~(後編) ★
特別房を出ると、さきほどマーティアスの拘束を解いた警備官が待機していた。俺に向かって敬礼し、すぐさま扉を塞ぐように立ち位置を移動した。
すぐにまた目隠しと猿轡をマーティアスに施すと思っていたのだが、指示が無い限り入室できないのだろう。背筋を伸ばし、姿勢よく立ったままだ。
とりあえず、あの監視室の扉へと向かう。
しかし辿り着く前にミツルが出てきた。一部始終を見ていたのだから、タイミングが合うのは当たり前か。
「お疲れさまでした」
「……いや……」
夢から現実に帰ってきたような、不思議な気分だった。自然と返事が曖昧なものになる。
ああ、そうだ。これでようやく、すべてが『過去』になったのか。
鮮やかなあの光景の中の二人が静止画になる。フルカラーからセピア色に、そしてモノクロになっていくような、そんな感覚。
「彼女が喋る様子を見れただけでもお手柄です。この映像を参考に、専門家、精神科医も交えて対策をとることができると思います」
「……そう」
彼女と話すことはもう無いだろうが、この先どうなるかはわからない。今後また何か重大事件が起こって、オーパーツ関連で彼女の名前が出ることもあるかもしれない。
かつてない規模のオーパーツ犯罪を犯した者として。時間操作を可能にした恐るべき科学者として。
……が、以前ほど動揺することはないように思う。
もう、アルバムは閉じられたから。
「もう五時を過ぎています。今日はこのまま直帰で大丈夫ですよ」
連絡通路を渡り、ミツルの後をついて局長室に向かおうとすると、そんな言葉で遮られた。
右手で中央エレベーターを示される。
「え、報告は?」
「画像を見れば事足りますから。どうぞ」
「……わかった」
一応、ミツルなりに気を使ってくれたのだろうか。元気がないように見えたのかもしれない。
まぁ確かに、多少気疲れしたのは確かだが……。
それでも、一つのことがきちんと終わった、終わらせられたという充足感もあるのだが。
でもせっかくだから、ここはミツルの言葉に甘えさせてもらうことにしよう。
「じゃあ」とだけ言い、逆三角形のボタンを押して、中央エレベーターに乗り込んだ。
一度警備課フロアに戻り、忘れ物は無いか確認する。ミツルの言う通り終業時間はもう過ぎていて、上長と警備官の何人かが勤務先から戻ってきていた。セントラルにあるオーラス本社に向かっていたチームだ。
彼らの話によると、オーラスはやはりあれから戻ってきていないらしい。しかし社内の様子は拍子抜けするぐらい落ち着いていたそうだ。
残された経営陣が各系列のトップを代行して関連会社を指揮し、O監の捜査にも協力的らしい。
指示系統はトップダウンだけではない……もしくは既に、反対派による根回しでもあったのだろうか。
シャルトルトの王様、アルベリク・オーラスは財団内では既に『裸の王様』だったのかもしれない。この辺については、事後処理に追われていた捜査課のグラハムさんの方が詳しいだろう。
今度会うことがあれば聞いてみようか……。
「リュウライくん」
不意に名前を呼ばれ、顔を上げる。
中央エレベーターから降りた先のロビー。明らかに俺を待ち構えていたと見える一人の女性が右手を上げている。
「キアーラさん……」
俺の言葉に、すぐ脇を通りすぎていった人間が「え」とでも言うように少しだけ振り返ったのがわかる。
まぁ、この距離で彼女たち双子の見分けがつくのは俺とグラハムさんぐらいだろう。
俺の方へと歩いてきたキアーラさんは、少しだけ肩をすくめると
「お疲れ様。もう上がり?」
と声をかけてきた。
「ええ。キアーラさんもですか」
「そう」
とは言え、キアーラさんから声をかけるというのは相当珍しい。仕事の話ならともかく、いわゆる雑談においては、だ。
アーシュラさんが話しかけてきてキアーラさんはその隣で黙って頷くか時々言葉を挟む、という形が殆どなのだが。
しかし今は交替でO監に出勤しているから、ここにキアーラさんがいるということはアーシュラさんは家にいる訳で、当たり前と言えば当たり前か。
「ねえ、付き合ってほしいんだけど」
「え、ええ? はい?」
付き合ってほしいの意味が分からず、思わず聞き返してしまう。キアーラさんはわずかに右目を細めると、
「今晩。暇よね? うちでご飯食べていって」
とさらに畳みかけてきた。
こんなことは初めてで、困惑する。
キアーラさんらしくない気がする、というのは勿論だが、俺とグラハムさんはあの日――マーティアスを確保した日、ラキ局長に叱られたあとイーネスさん達からも叱られていたのだ。貴重なオーパーツを勝手に破壊した、そして俺はそれを止めなかった、という理由で。
そのときも、どちらかと言えばキアーラさんの方がより怒っていたように思う。
「――あれがどれだけ貴重なものか、解っているの?」
と冷たい声が響き、その醸し出すオーラたるや部屋全体にブリザードが吹き荒れているかのようだった。
どちらかというと口数の少ないキアーラさんのその迫力に、俺は黙って俯くしかなかったのだが。
「リュウライくんは、どうして止めなかったの?」
とこれまた静かに怒っているアーシュラさんに名指しで質問されて、逃げ場を失った。
自分なりに考えを伝えたものの、二人の怒りが完全に収まる訳もない。
「もういい」というようなことは言われたものの当然それは「許す」という意味は全く含まれておらず、その後イーネス宅出禁を言い渡されたグラハムさんも人生が終わったかのような悲痛な顔をしていた。
まぁとにかく、キアーラさんに会ったのはそれ以来で……はっきり言えば、気まずい。
「えっと……いいんですか?」
「だから誘っているのだけど」
「そうですが……もう怒ってはいないのか、と……」
恐る恐る口に出してみると、キアーラさんは
「そうね」
と無表情で呟き、
「それで?」
と聞き返してきた。
これは多分、「もう過ぎたことなので怒ってはいない」「いいから家に来なさい」ということだろう。
「ご馳走になります」
過酷な任務の連続でここ一カ月まともな食事は殆ど取れなかった。
キアーラさんの申し出は非常に有難かったので素直に頭を下げると、キアーラさんは
「そう」
と頷き、とても満足そうに微笑んだ。くるりとセキュリテイゲートへと向き直り、「早く」とでも言わんばかりに颯爽と歩き始める。
「今日はキアーラさんの番だったんですね」
「そう。でもそれも、今日で最後ね」
「最後?」
「アスタとメイ。グラハムが駅まで見送ったはずよ」
ああ……二人が保護していた、カミロに利用されていた少年と少女か。
そうか、いつまでもイーネスさん達のところにいる訳にもいかないものな。グラハムさんが午後休をとっていたのも、そのためか。
「そうですか……」
やっぱり面倒見がいいよな、グラハムさんって……と思いながら相槌を打つと、キアーラさんは
「戻る場所があって、よかったわ」
と独り言のように呟いた。
いろいろな感情をないまぜにしたようなその声色に、思わず顔を上げる。
キアーラさんは安堵の吐息を漏らしつつも、それ以外の何かが滲み出ているような微妙な表情を浮かべていた。
かつて違法にオーパーツを研究する羽目になり、結果としてO監の完全管理下に置かれたイーネスさん達。いつまでも続く、手厚すぎる特別待遇。
世間から隔離されてしまった、双子の姉妹。彼女達を外へと繋ぐのは、グラハムさんしかいない。
そんな彼女達は……戻りたい場所はあるのだろうか。
「……あの、色々とありがとうございました」
キアーラさんがしてくれた数々の助言。ピートと対峙するのに本当に助かった。クリスタルレーダーだって、彼女の分析が無ければこうも短期間で作り上げることはできなかっただろう。
気が急いていてまともにお礼を言っていなかった気がして、改めて頭を下げる。
「何が?」
「レーダーとか……」
「仕事よ」
「それでもです。それに、キアーラさんの忠告のおかげでピートと渡り合えたと思うので」
「……マーティアスも?」
「はい」
「平気?」
「はい?」
言葉の意味がわからずまたもや聞き返すと、キアーラさんは黙って首を横に振った。
その表情は、どこか柔らかい。
「……何でもない」
そんな話をしている間に、イーネスさん達が住むマンションに辿り着いた。以前と同じように建物入口、エレベータの厳重すぎる警備システムを経てエレベーターへ。やがて最上階の十階に到着する。
廊下を歩いて扉の前に辿り着き、キアーラさんがすぐ脇にある黒い三センチ四方の四角い金属部分に人差し指を押し付け、指紋認証をするが……。
「……?」
一枚隔てた向こうから奇妙な圧を感じた気がして、キアーラさんの肩の向こうの扉をじっと見つめる。
その視線に気づいたキアーラさんが
「どうかした?」
と振り返った。
「……いえ」
これまでも何度か来たことはあるし、特に様子が変だとも思わないが。
……まあ、危険は無いだろう。何しろイーネスさん達の住んでいる場所だ。
やっぱり少し疲れているのかもしれないな、と思いながら首を横に振る。
キアーラさんは「そう」と言い、鍵を差してくるりと回した。そして
「どうぞ」
と言いながらゆっくりと扉を開ける。
――が、その続きは
『パアーン!』
『パン!』
『パパーン!』
という甲高い破裂音にかき消された。
目の前を飛び交ういくつもの細長い曲線。その周りでキラキラと煌めく三角や四角の光。
よく見れば、それは色とりどりの紙テープと小さい正方形の紙吹雪だった。その向こうでは、グラハムさんとアーシュラさんが廊下の左右に分かれ、手にしたピストルをこちらに突き付けていた。
……と言っても本物ではない、拳銃型のクラッカーな訳だが。
「……今日って、なにかお祝いごとありましたっけ」
キアーラさんがわざわざ俺を待ち伏せて家に連れてくるくらいだ。しかもクラッカーまで鳴らしてのこの歓迎ぶり。
しかし今日は、俺の誕生日でもシャルトルトの休日でも何でもない。意味が分からない。
「ヤダなーリュウくん。お疲れ会よ? お仕事一段落ついてお疲れ様~って」
くるくるくる、と右手の人差し指で拳銃型クラッカーを回し、上機嫌に言うグラハムさん。
さすが銃の扱いはお手の物……と、そんなことに感心している場合じゃない。
「案件一つ片付くたびにこんなことやるんですか? っていうか、まだ事後処理が残っているでしょう」
「野暮なこと言わないの」
「ていうか、火薬はやめましょうよ。銃声と勘違いするじゃないですか。拳銃型ですし。次は蹴り飛ばしてしまうかもしれませんよ?」
「これ、エアー式。音も違ったでしょ。気づいていたくせにー。てか、本当に戦闘民族ねー、お前さん」
「……」
気づいてたけど、何が起こった、と一瞬身構えてしまったのは確かな訳で。それは俺の経験から考えれば当然のことで。
別に好きで戦っている訳じゃない、あくまで任務の一環なんだが……。
今回の事件で、グラハムさんはやっぱり頼りになるし、見習うべきところも多くあるし……尊敬すべき人であることは間違いないのだが。
どうしてこの人はすぐにふざけたがるのだろうか。今度は一発、蹴りを入れてみようか、寸止めで。
そんなやや物騒なことを考えながら頭や体についたテープを雑に払いのける。
煌々とした明かりが漏れ、香ばしい香りが漂う居心地の良い居間へと足を踏み入れると、アーシュラさんがいた。
クラッカーを鳴らしたあと、さっさと料理の準備に戻っていたようだ。俺の方へと振り返り、満面の笑顔で出迎えてくれる。
「いらっしゃい、リュウライくん。すぐにご飯準備するから、座って待っていて」
「こんばんは、アーシュラさん。お誘いありがとうございます」
きっとこの会は、グラハムさんの言う通り本当に『慰労会』なんだろう。
今回の事件は、本当にギリギリだった。神経を張り詰め、細心の注意を払って動いていたが、幾度となく命を落とすかもしれない危険が襲ってきた。
たった一ヶ月余りの出来事だったが、これほど肉体的にも精神的にも酷使する事件は初めてだった。
……いや、これが最初で最後になるといいのだが。
とすると、こうやってきちんと
「お疲れ様!」
と言って笑ったりはしゃいだりする時間を持つことは大事かもしれない(俺ははしゃぎはしないが)。
そうしてようやく悪夢は終わり、平和な日常へと戻ることができるのかもしれない……。
どこまで考えているか読めない人だけどね、グラハムさんは。
紙テープや紙吹雪で散らかってしまった廊下を箒とちりとりを持って片付けているグラハムさんの後ろ姿を眺めながら、俺はそんなことを考えていた。
こうして、創立三十年余りのシャルトルトを揺るがした一番の事件は、美味しい料理とグラハムさんのお喋り、イーネスさん達の笑顔と共に、俺の中で確実に過去になり。
数多の光景と共に記憶の中の一つの頁となり……その表紙がゆっくりと閉じられていったのだった。
- End -
これにて完結となります。
お読みくださりありがとうございました。m(_ _)m




