第33日-3 核心 ★
オーパーツ監理局五階、局長室。
「さて、困ったことになったな……」
右手の人差し指で自分の額を突きながら、ラキ局長が呟く。これだけ困惑顔の局長を見るのは初めてだ。
今朝、オーラスはエペ区のハマー丘陵公園から忽然と姿を消した。
「どちらがオーパーツを扱うに相応しいか、見てみるといい!」
と豪語した直後に。
公園は完全に包囲し、袋の鼠。確たる証拠も得られ、ここで絶対にオーラスを捕まえなければならなかった。
それがなぜこんなことになってしまったのか。
局長室には俺とグラハムさん、ミツル。それに加え、アルフレッドさんとキアーラさんもいた。
オーラスが消えた原因は間違いなくオーパーツによるものだ。研究者としての二人の意見を聞きたかったからだろう。
「首謀者が行方不明では、しまらなくて困るな。本当なら、捜査員を総動員してもここでオーラスを確保すべきなのだろうが……どう思う?」
「普通なら、逃げたと考えるのが妥当なのでしょうが……」
ラキ局長の問いに答えながら、あのときの光景を思い返す。
どこかにテレポートした、という可能性も無い訳じゃない。そうなってくると、それはもうファンタジーの世界だ。途方もなさ過ぎて、どうすればいいのか見当もつかないが。
そもそも、オーパーツでそんなことは可能なのだろうか? いくら〈クリスタレス〉とはいえ。
「落ちたわね」
キアーラさんが言葉を吐き捨てる。
しかしそれでは端的過ぎてよくわからない。
「落ちた?」
「……はい」
ラキ局長の問いに、キアーラさんが小さく頷いた。
「オーパーツがRT理論に絡んだものなら、その可能性は大いにあります」
「RT理論は、ワームホールの形成に基づくものだったな。ということは、オーラスはオーパーツを使用したことで自ら形成した穴に落ちたということか」
「あくまで可能性の話ですけれど」
「だとしたら、どうしようもねーじゃねーか!」
グラハムさんがたまりかねたように叫ぶ。ガシガシと乱暴に頭を掻いていた。
確かにどうしようもない。
全世界で指名手配しようとも――この世界には既にオーラスは存在しない、ということになるのだから。
オーラスは、過去へと遡ったのか?
確か、人間一人のエネルギーぐらいでは時間旅行なんて不可能、という話だったはず。
「このまま〝事故で行方不明〟で終わりかよ」
天を仰ぎ、ブスッとした声で呟くグラハムさんに、
「事故とは限らないわよ」
とキアーラさんが語気を強める。
「マーティアス・ロッシが意図的に起こしたのかも」
「えっ、そんな……っ!」
反射的に声が出たが、かろうじて「まさか」という言葉は呑み込んだ。
そんなまさか、と言えるほど、マーティアスを知っている訳ではない。
……だけど。
「何故そう言える?」
ラキ局長がちらりと俺に視線を寄越したあと、キアーラさんにさらなる説明を要求する。キアーラさんは考え込むように組んでいた両腕を下ろし、局長へと向き直った。
「彼女、オーラスを囮にしたのでしょう? でしたら、殺そうとしてもおかしくはないはずです。ついでに、実験もできますし」
「実験?」
「本当に、人間一人が入れるくらいのワームホールを作りだせたかどうか」
その言葉に、背筋にゾッとするものを感じて、思わず身震いする。
そうだ……確か以前、小さい穴を開けるぐらいがせいぜいだとキアーラさんは言っていた。
それがもう既に、人間一人が入れるほどの穴を開けられるのだとしたら。
七年の研究で、そこまで辿り着けたのだとしたら。そしてオーラスまで利用してその確証を得たのだとしたら。
『過去へ遡る』というマーティアスの執念の、向かう先は……?
前に、キアーラさんに「甘い」と断じられたことを思い出した。
マーティアスはもうあのときの『マーサ』とは違う人間。そう考えなければならない。
「彼女の目的は、過去に遡ること。ワームホールを作りだし、そこを潜り抜けて目的の時間に辿り着く。しかし、メイ・メラニーのオーパーツが作りだせるのは、数秒の時間を引き延ばせる程度の小さな穴です。人が入り込めるだけのものとは思えません。現に彼女は、〈クリスタレス〉の影響だけしか受けていない」
「ひと一人が入れるほどのものではなかった、と」
ラキ局長の問いに、キアーラさんが静かに頷く。
「一方で――これ、ずっと気になっていたんですけど、リュウライくんがヴォルフスブルグの工場で見たという怪現象」
「手が壁から生えるって奴か」
キアーラさんとグラハムさんの言葉で、あの夜のことを思い出した。
背の高い人影とその陰にいたもう一つの人影。壁から伸びた枯れ木のような長い腕。
思えばあれは、マーティアスとピートだったんだろう。サルブレア製鋼で、彼女はずっと研究し続けていた。
「あれももともとは、時間操作のオーパーツによるものでしょう」
「何故だ? 私も見ていないが、推測するにその現象は時間でなく空間に作用するものだろう。作用するものとベクトルが異なるならば、オーパーツの力は働き得ないと思うのだが」
「私たちの考えは少し違います」
キアーラさんは首を横に振ると、あの夜の現象とオーパーツの作用について説明し始めた。
絨毯についた埃を吸おうと掃除機をかけたとき、その吸引力に引き込まれて絨毯も形を変える。しかし掃除機には絨毯全部を引き込むほどの間口もパワーも無いため、その場に残る。
埃が時間、絨毯が空間、掃除機がワームホールと考えれば、ワームホールによって時間が吸い取られると同時に空間も吸い込まれてしまう。
掃除機の電源を切ると元には戻るが、元通りになるには時間がかかる。同様に、オーパーツをオフにすれば元には戻るが、吸い込まれた時間と切り取られた空間が元に戻るまでの時間差が生じる。
これを利用したのではないか、というのがキアーラさんの説明だった。上手く応用すれば、瞬間移動の距離も大きくなる、と。
つまり、あの壁から生えた腕はオーパーツが起動したことによって開いたワームホールを利用した『物質透過術』といったところか。オーパーツが時間だけではない、空間にも作用している確かな証拠。
「なるほど、弾が変なところに飛んでいったのは、オーラスが時間操作だけでなく空間操作もやったからっていうことか」
グラハムさんも同じことを考えていたらしい。
そしてその言葉に、キアーラさんは
「やっぱりね」
と言い、確信を得たように頷いた。
「オーラスのオーパーツが、ちょっとした時間や空間だけでなく、ある程度大きな物が入り込むだけの範囲で――それこそ、人間を取り込めるくらいの大きさの穴が開けられるとしたら」
「マーティアス・ロッシの研究は完成間近に至っていてもおかしくはないということになるな」
グラハムさんが頷く。そして続けて
「奴の目的は何だと思う?」
とキアーラさんに問いかけたが、その問いに答えたのはアルフレッドさんだった。
「おそらく……七年前の事故の日付に戻ることだろう」
その言葉に、全員が一斉にアルフレッドさんを見つめる。
アルフレッドさんは自分の白い髭を触りながら、遠い記憶を辿るように視線を巡らせた。
「事故後……ロッシが隠れて〈クリスタレス〉の研究をしていた頃か。何名かの研究者が譫言のような彼女の言葉を聴いたんだそうだ。『アヤを生き返らせなくっちゃ』とな」
「アヤ……アヤ・クルト?」
グラハムさんがやや驚いたように声を上げる。なぜここでその名前が、と思ったのかもしれない。
しかし俺の脳裏には、実家の食堂で繰り広げられていた彼女達のやりとりが急激に蘇ってきた。
何度も、何度も。
マーティアスは持論を展開し、アヤ・クルトはその持論の不備を鋭く指摘し。
その指摘を受けてマーティアスは引き下がったり、あるいは代替案を提示して食い下がったり。
そんなことを、ずっと繰り返していた。
不意に、すべてのパーツが埋まったような感覚がした。
マーティアスにとって、アヤ・クルトは絶対に必要だった。
思い込みが激しく視野が狭くなりがちな彼女が研究者たりえるのはアヤ・クルトの存在があったからだと、恐らく彼女自身が一番……いやひょっとしたら、彼女だけが強く感じていた。
でも……だからって。
「生き返らせるって……無理だろ」
グラハムさんが呆然としたように言葉を紡ぐ。その言葉にアルフレッドさんは
「そうだな」
と肯定したが、続けて
「だが、目的が時間を遡ることなら?」
と問いかけた。
「……そうか。事故から親友を救い出そうってことか」
そう言うと、まるで美談のように聞こえるが。
その根底にあるのは、雁字搦めになった自らへの呪いだ。
キアーラさんがクッと眉根を寄せた。
研究者の執念と呪いを、一番よく知っている人。
「なんにせよ、O監としては、黙って見過ごすわけにはいかない。一刻も早くマーティアス・ロッシの居場所を突き止め、阻止するぞ」
「了解」
とは言っても、どこから手をつければ……。
やや考え込みながら局長室を出る。エレベーターの前でふと足を止めた。
やはりイアン・エバンズか。確かミツルの指示のもと、彼には尾行がついているはず。
行動履歴を確認して、可能性がありそうなところを片っ端からピックアップして……。
「リュウ、ちょっと」
ぐい、と左腕を掴まれて我に返る。グラハムさんだった。
「何ですか?」
「いいから、こっち」
ぐいぐいぐい、とそのまま廊下の奥、西階段のところまで連れて行かれる。
いったい何なんだ、と思いながらやや憮然としていると、グラハムさんが
「なあ、リュウくん。ちょっと聴きたいんだけどさぁ……」
となぜか言葉を探しているかのように視線が泳いだ。
人と話をするのがある意味仕事、捜査官のグラハムさんが。何か変だ。
「ロッシのこと、好きだったの?」
「は……?」
予想だにしなかったことを言われて、一瞬頭の中が空白になった。
「なにを言ってるんですか」
続けてきちんと否定の言葉を紡いでみたが、グラハムさんは
「やっぱりなぁ。無自覚だ」
とポリポリ頭を掻いている。
「初恋の人とかだったりするんじゃない?」
「あり得ません。意味が分からないんですが?」
何だか勝手に決めつけられたようで、さすがにムッとする。
だいたい、グラハムさんにした話と言えば、マーティアス・ロッシとアヤ・クルトは実家の食堂で常連だった、だから二人の顔は知っている……と、その程度のはずだ。
そんな情報からどう発想を飛ばせばそんな結論になるのか、まったくもって理解できない。いくら人を見てプロファイリングするのが仕事とはいえ、いささか行き過ぎではないだろうか。
「別に。リュウくんが公私混同しないキャラだってのは、よくわかってるし。ただ、自分の感情をはっきり認識しておかないと、後悔するぜ」
意外なことに、グラハムさんの口調は大真面目だった。これ以上ないというぐらい真剣な顔で、ゆっくりと言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
「マーティアス・ロッシの逮捕は決まってるんだ。それまでに気持ちの整理、しっかりつけとけよ」
「……」
浮ついたコイバナというものではなかったらしい。忠告のつもりだったようだ。
昔馴染みだからと言って情けをかけるな、ちゃんと割り切れ、ということだろうか。
……いや、そういう意味じゃない気がする。それもあるかもしれないが、もっと根底の……言動ではなく心情の話だ。恐らく。
「……はい」
真意は掴みかねるものの、忠告はありがたく受け取ったという意味で返事をする。
グラハムさんが軽く頷いたのを確認して、やや頭を下げた。
「それじゃ、僕はこれで」
「え、どーすんの?」
「O監のデータベースやこれまでの報告書をもう一度見直してみます。何か手掛かりがあるかもしれないので」
「ふうん、わかった。じゃ、またな」
グラハムさんはどうやら外回りに出かけるようで、エレベーターの方へと向かっていった。
その姿が角へと消えるのを確認して、西階段を下りて三階の警備課へと向かう。
オーラスの確保に失敗し、グラハムさんに思わぬことを言われ、俺は意外に疲弊していたらしい。
その足取りは、驚くほど重かった。




