第26日 潜入二日目
二日目、バイクの後ろに毛布や日用品を入れた袋を載せ、ディタ区のイヴェール工場へと向かう。
昨日あのあと、ミツルに工場の見取り図を取り寄せてもらうように頼んだ。サルブレア製鋼同様、役所には工場の建設計画と共に設計図を提出しているはずだからだ。
あの工場は大きすぎて、普通に働いているだけでは全容を把握できない。昨日、O監に着いた時はもう夜だったし、役所の対応時間は過ぎていた。
それに今はまだO監がイヴェール工場に目をつけていることを悟られる訳にはいかない。やや非合法な手段で入手することになるだろうか……。
始業時間のおよそ三十分前に工場に着く。荷物を下ろしてプレハブに向かうと、昨日とは違い、中には五人ぐらいの人間がいた。モソモソと朝ご飯を食べている者、歯磨きをしている者、まだ寝ている者とさまざまだ。
「あのぉ……」
「……ああ、昨日の奴か」
昨日も会話したこの場所のヌシらしき男がじろりと俺を睨みつける。
そして
「空いてる場所を適当に使え」
と言って面倒くさそうに顎でしゃくった。
それを聞いた他の人間が「ふうん、新入りか」とでもいうように俺の方に視線を寄越す。
「レオンって言います。よろしくっス」
このプレハブの住人を代表するようにして喋るあたり、やはりこの男がここのヌシなんだろう。
繋ぎをつけるならこの男か、と思い頭を下げる。
「俺はロンだ」
「ロンさん。場所ってどこでもいいんスか?」
「空いてりゃぁな」
こんちは、よろしくッス、と他の四人にも挨拶しながら中に入る。
カメラの位置を確認しながら、比較的死角を作りやすい壁の中央寄りに場所を取った。荷物を開きながら男たちの顔を一人一人確認し、頭に叩き込む。
盗られて困るものだけポケットに捻じ込み、
「じゃあよろしくお願いしまーす」
と軽い調子で挨拶を済ませ、さっさとプレハブを後にした。
* * *
昨日と同じように、大量のVG鉱の積んだり下ろしたり運んだりをひたすら繰り返す。
これは確かになかなかの重労働だ。体力には自信があるが、いつも使う筋肉とは全然違うのでなかなか慣れない。
「おらぁ、モタモタすんな!」
と現場監督の男に叱られながら、黙々と仕事をこなす。
まぁおかげでチャラ芝居をしなくて済んでいる、と思うことにしよう。
プレハブにいた五人のうち、ロン以外の四人は俺と同じ運搬作業をしていた。フォークリフトを扱えるかどうかの違いぐらいで、立場は俺と全く同じと言っていいだろう。
そしてロンは全く姿を見かけなかった。恐らく工場内部で働いているのだろう。勤務期間が長くなるとそれなりに信用されるようになり、働く場所が変わっていくのかもしれない。
どれぐらい働けば立場が変わるのか……それはまぁ、慣れて世間話でもできるようになれば聞けばいいか。しかしこんなブラックな職場にそんな長い間潜入している気にはなれないのだが……。
「……?」
ふと、この工場ではあまり見慣れない小さな自家用車がすうっと正門から入って来た。来賓用の駐車場に停めると、中からスーツ姿の一人の男性が降りてくる。
右手にはマチが太い茶色のビジネスバッグ、肩からはさらにもう一つ黒いビジネスバッグを斜めがけし、ひどく猫背になってセカセカと歩いている。どうやら電話をしているようだ。
カミロではない、もっと小柄な男だ。営業マンにしてはパッとしない感じ。
この工場に出入りするのはおもに大型トラックで、そのまま各施設の前に乗りつける。来賓用駐車場に停めるのは、本社の人間とおぼしき営業マンか、二、三人のグループでやってくるディタ区の研究者らしき者たちだ。この男は、そのいずれでもない。
「こら、ヨソ見してんじゃねぇぞ!」
「す、すいません!」
とりあえず謝り、鉱石の積み込み作業に戻るが、頭の中ではファイルをめくるように目まぐるしくいろいろな人間の顔が変わっていく。
濃い茶色の髪で眼鏡をかけた、ひどく気弱そうな男の顔のところでピタリと止まった。
……そうだ、光学研の研究者の一人だ。グラハムさんが「鈍くさそうな研究者」とか言っていた。確か、イアン・エバンズだったか。
「ほら、怒られたくなかったらちゃんとやれよ」
昨日いろいろと教えてくれたマロシュのおじさんが、少し作業が遅れていた俺を手伝いに来てくれた。
「すんません、疲れてつい外に目が行っちゃってー。そしたらあの人がいたもんだから」
「……ああ、あのあんちゃんか。今日は一人だな」
うんせ、と鉱石を積みながらおじさんが呟く。視界の端で、さっきの男が研究棟の方に消えていくのが見えた。
「いつもは違うんスか?」
二か月前から来ているおじさんが「今日は一人」と言うからには、比較的頻繁に目撃しているということか。
「いつもは女上司に金魚のフンみたいにくっついて来てたなぁ。あわあわとおぼつかない足取りでよ。荷物持ちでもさせられてたみたいだなぁ」
他にもう一人ぐらい、三人で来ることもあったかな、と付け足す。
「女上司?」
「あー、すんげぇ美女を期待しても無駄だぞぉ?」
おじさんがガッハッハと豪快に笑う。
「痩せぎすで吊り目の、いかにも〝研究一筋です〟みたいなキツそうなねーちゃんだったからなぁ」
「へぇ……」
オーラス関連施設の研究施設に、女の研究者はそう多くはいない。
ましてやあの男は光学研の研究者だ。……となると、その女上司はスーザン・バルマ所長――マーティアスに他ならないだろう。
精密機器の研究を手掛けている光学研の人間が、このイヴェール工場の研究棟に来るのはそう不思議な事ではない。こうしてバイトのおじさんが顔を覚えているぐらいだから、マーティアスも表の『スーザン』として訪れていたのだろう。
グラハムさんの話によれば、マーティアスが消えて光学研は混乱を極めていたらしい。あの男もその煽りを食らって、あちこちへと使い走りをさせられているんだろうか。
もう一人いる、と言っていたしそれが誰かも確認したいところだ。
その後二日目の仕事が終わり、ヘトヘトの身体を引きずるように更衣室へと向かう。今回も何やら調べた形跡はあるが、貴重品はすべて無事だ。
今日はプレハブで寝るつもりだが、夕食は自分で調達しなければならない。一度バイクで外に出る。
昨日、今日と特に尾行はついていなかった。ということは、今のところ怪しまれてはいない、ということ。潜入は成功と言っていいだろう。
いったんディタ区の商店街に戻ったが、のんびりと店に入ってオーダーを待つ気にはなれない。
近くのスーパーに入り、適当にパンと牛乳を買って外に出た。
雑踏の片隅に手ごろなベンチを見つけたので、どっかりと腰を下ろす。
「……ミツル?」
『……受信中。何かありましたか?』
「特にはない。光学研の下っ端研究員を見かけたぐらいかな。……ふぅ」
『下っ端……』
「スーザンが消えててんやわんやになっているみたいだ。他にも出入りしている人間がいるみたいだから、しばらくこのまま潜入を続ける。設計図は?」
『入手しました。地図や工場を撮影した写真とも照らし合わせましたが、特におかしなところはないですね』
強いて言うなら北東の研究棟とその奥の倉庫と……というミツルの指示が、やや遠くに聞こえる。
『――聞いてますか、リュウライ?』
「あ、ああ。……ちょっと、疲労が蓄積していて」
『珍しいですね』
「まぁ、慣れるまでの辛抱かな」
『わかりました。今伝えた場所も、無理に調べる必要はありません。今日はゆっくり休んでください』
そんな珍しく温かみのある言葉で締めくくられ、ミツルとの通信は終わった。
正直言って、早く解決の糸口を見つけてさっさとオサラバしたい職場ではある。
……が、そんな簡単にはいかないんだろうな……。
溜息をつきながらパンの袋を乱暴に開ける。ひたすらに口の中に詰め込みながら、冷たい牛乳で喉の奥へと流し込んだ。
ミツルのアドバイス通り、バイクでプレハブに戻ってシャワーを浴びたらとっとと寝てしまおう、と考えながら。
しかしその日、プレハブではロンを中心とする飲み会とやらが始まってしまい、新入りの俺も付き合う羽目になってしまった。未成年なので、という言い訳は通用しなさそうな連中だし、意外な情報が拾えるかもしれない。
だが、話を聞きだそうにもそういう場には慣れておらず、
「へー」「そうなんスかー」
と相槌を打ちながら、ただ男たちの話を聞いていただけ。
グラハムさんならこういうとき見事に立ち回って次に繋げるんだろうなあと思ったが、そう簡単に俺の会話スキルが向上する訳がない。明るいキャラを演じるのとその辺はまた別なのだ。残念ながら。
眠りにつけたのは深夜零時も回った頃で本当にクタクタだったが、始業は九時だし八時間は眠れるだろう、と毛布にくるまった。
しかし翌日――太陽が東の空を昇りきる前に、ミツルの通信で叩き起こされた。
翌朝はバイクには寄らず直接工場に行くから、念のためにとイヤホンをつけていたのが仇になった。……いや、仇になったとか言ってはいけないのだろうが。
やはりブラックさ加減は、O監特捜部が一番かもしれない。




