第18日-5 彼女達の面影
迷った末、やはりマーティアス・ロッシとアヤ・クルトの顔を確認しておくことにした。
仮に俺が知っている彼女達がそうだとしても、もう故人だ。そこから何か手掛かりがつかめる訳でもないのだが、気になったことをそのままにして潜入捜査という危険度の高い任務に赴くのは精神上、良くない気がした。
ミツルに確認を取ると、午後ならアルフレッドさんも来賓室にいる、ということだった。
過去のO研の資料の解析も進み、今はイーネスさん達が交替でO監に出勤しているのもあって、アルフレッドさんはイーネス姉妹とも協力をしつつ〈クリスタレス〉の解析を進めているという。
「しかしリュウライ、一度休息を取った方がよいと思います」
ミツルが珍しくそんなことを言った。
二日がかりの護衛任務や夜中の潜入調査など、拘束時間が長かったり特殊だったりする特捜は休みも不規則だ。ミツルが表向き「○○現場へ出向」などの指示を警備課に出し、休みを確保したりする。
とはいえ基本的に人使いは荒いし、そんな健康を気遣うような言葉をかけることなんて今まで無かったように思うんだが。
「昨晩も任務でしたから、あまり寝ていないのでは?」
「まぁ、それは」
「今日の午後から明日まで、休暇を取ってください。警備課に指示を出しておきます」
ラキ局長から渡された設計図やサルブレア製鋼の資料の束をちょっと掲げて見せる。
「リュウライが集めた情報を元に、サルブレア製鋼の管理状況や警備状況をこちらの方で確認しておきます。リルガも同行するということですから、念には念を。リュウライには明日の夜、もう一度サルブレア製鋼に行ってもらいたいのです」
あ、そういうことか。
確かに、俺一人で忍び込むのとは勝手が違う。念入りに下調べをした方がいいだろうな。
グラハムさんは確たる証拠を挙げると言っていた……けれど、実質二日じゃ厳しいだろうし、いざ証拠が挙がらなかった場合に潜入捜査に不備があっても困るし。
「分かった。アルフレッドさんの部屋に行ったらそのまま直帰する」
「はい」
確かに、昨夜は奇妙な物を見たせいでちょっと落ち着かない。
過去の彼女たちが気になるのも、精神が不安定になっているからかもしれない……。
そんなことを考えながらミツルと別れ、とりあえず昼食をとるためにO監を後にした。
* * *
近くの店で買ったパンを口の中に放り込んだだけの昼食を終え、午後の開始時刻と同時に五階へと上がる。
アルフレッドさんの部屋に行くと、彼は
「ああ」
と眼鏡を額にあげ弱々しく微笑んだ。ゴリゴリと右手の親指と人差し指で眉間を揉んでいる。相当お疲れのようだ。
「お忙しいところ申し訳ありません」
恐縮してそう言うと
「いや、そうではなくてね」
と言ってアルフレッドさんは苦笑いをした。
「アロンの論文資料を見返していたのだが、やはり悪筆だと思ってね……」
「は?」
これだよ、と一枚の紙を見せてくれる。
どうやら何らかの計算式と彼なりの見解を書き連ねているようだが、それはそれは凄まじい字だった。
まず長くなればなるほどどんどん右下に下がっている。そして変なところで改行した挙句、矢印で引っ張って全然違う場所に続きが書かれていたりする。
「……凄いですね」
「清書前の下書きだから余計にね。ただ、こういう風に走り書きしてる部分に重要なヒントがあるかもしれないしね」
「なるほど……」
「ところで、今度は何の用事かな?」
「あっ」
アルフレッドさんに言われて、本来の用事を思い出す。
「O研の過去の名簿を、もう一度見せて頂けないでしょうか?」
「構わないが、何かあったのかい?」
「……アロン・デルージョの履歴についてもう一度確認しておこうと思いまして」
何となく、本当の理由は伏せてしまった。
任務には直接関係なく自分が単に気になるだけ。
そんな理由で個人情報を漁るという行為に、後ろめたさを感じたからかもしれない。
アルフレッドさんはそんな俺の後ろ暗さには気づかなかったようで、
「ああ、なるほど。どうぞ」
と彼の背後にあるファイルの束を左手で指し示した。
「ありがとうございます」
と一礼し、ファイルの山に向かう。
オーパーツが発見されてO研が設立されたものの、シャルトルトではオーパーツ犯罪が相次ぐようになった。そうして二年後にできたのがオーパーツ監理局。
それと同時に、O研にはO監警備課が派遣されるようになった。研究および研究者の護衛という意味もあるが、主にオーパーツを違法に持ち出していないか、無関係な人間が出入りしていないかの確認もしていたはず。
だからO研所員のデータは顔写真付きで警備課に保管されているはずなのだが、アロン・デルージョの写真はなかった。アロン・デルージョの写真はこの部屋で見つかったファイルにあったもの。
そしてマーティアス・ロッシとアヤ・クルトの写真も無かった。だからマーティアスという名前だけで男だと思い込んでいた訳だが……。
確かこの表紙だったな、と青い表紙の分厚いファイルを手に取る。アルフレッドさんを筆頭に副所長、主任と続き、四人目がアロン・デルージョのデータ。写真の他、O研に来るまでの経歴なども書いてあるのだが……。
――マーティアス・ロッシとアヤ・クルトのページは、どこにも無かった。
彼女たちがO研に入ったのは、アロン・デルージョの失踪より後だったはず。無いはずはないのに……。
二人に関する詳細なデータは、事件のせいですべて破棄されたのかもしれない。どうするか……。
「ん? 困り事かい?」
「あ……」
思案しているのが顔に出ていたのだろうか、アルフレッドさんがふと手を止めて俺の方に振り返った。
「いえ、ついでにマーティアス・ロッシとアヤ・クルトについても目を通しておこうと思ったのですが、見つからなくて」
「ああ、ひょっとしたら事件の際に抜いたのかもしれないな。当時は大混乱で、所内でも『とにかく無かったことに』みたいな雰囲気だったし……」
「そうなんですか」
「ただ、破棄はしていないはずだよ。資料の破棄は重大な職務規定違反だからね。私は許可していないし、次の所長もそんな指示は出さないと思うが」
「ではどこかに保管してあるんですね」
「恐らくは」
とは言え、このファイルの山からまた探さなければいけないのか。
かなり辛い……。
「彼女達は大学の博士課程にも籍を置いていたから、そちらを当たる方が早いかもしれないね」
「いえ、内々に調べておきたいだけなので、どうにか探してみます」
「そうか」
長期戦覚悟で臨んだが、前に名簿を見つけた周辺のファイルを探すと意外に早く見つかった。名簿というよりは、本人が提出した履歴書のようなものだ。
意外に早く見つけられた理由は、先ほど目にしたアロン・デルージョの筆跡が目に止まったからだが。
どうやらO研に入る際に必要書類として提出したものらしい。右上の隅に在籍ファイルと同じ写真が貼ってある。しかし本当にヒドい字だな……。
心臓の音がやや早くなるのを感じながら、紙をめくる。
十枚ほどめくったところで、見覚えのある顔が目に飛び込んだ。
黒くて長いまっすぐな髪を両肩からさらりと垂らした少女。
少女とは言ったが、童顔気味だったからそう感じただけで、経歴を見れば二十三歳の大学院生だと分かる。
――アヤ・クルト。
大きめのしっかりした綺麗な字で、きっちりと項目が埋められている。知性的で理性的な人柄を思わせる。大きめの菫色の瞳が印象的な、幼さが残る顔とのギャップを感じる。
そして、このギャップには覚えがあった。簡潔に物を言い、余計なお喋りをせずテーブルに来た料理も味わっているのかどうかも分からない速度でさっさと平らげてしまう。合理的でいかにも無駄が嫌い、と言った振舞い。
確かに、食堂のランチによく来ていた女性二人組の片方だった。
そして……。
一呼吸置いてから、パラリと紙をめくる。
あちこちがやや飛び跳ねたような、あまり綺麗とは言えない字が目に飛び込む。急いで書き散らしたような右上がりの字。
写真の彼女は金色の髪をポニーテールにし、吊り目がちの碧の瞳でまっすぐに正面を見据えていた。
やや緊張しているのか、口元は強く引き結ばれている。
――マーティアス・ロッシ。
七年前、実家の食堂で見た。
黒髪の女性、アヤ・クルトが「マーサ」と呼んでいた。
忘れ物のハンカチを届けた――まさに彼女、だった。




