106 シェリルの力
シェリルの亜麻色の髪を左右の三つ編みにしていたら、フレッドが声をかけてきた。
「ねえ母さん、捜している本がどうなったか、なんか聞いてる?」
「聞いてないわ。王家の助力を頼むらしいから、そのうち解決するんじゃないかしら」
するとシェリルが三つ編みされながら「お母さんは本のことで呼ばれるよ」と言う。
「呼ばれるかしら」
「うん、呼ばれる」
するとフレッドがシェリルをからかうような口調で聞いた。
「なんでシェリルが自信満々なんだよ」
「なんでって……お母さんの後ろに見えるから」
「は?」
フレッドが驚き、私は固まった。私の後ろに見える? それって私が記憶を見るときみたいに見えるってこと? しかも、記憶じゃなくてこれから起きることが見えるの? もしかして、この子には予知能力がある?
「何がどう見えるのか、お母さんに教えてくれる?」
「だからぁ、お母さんの後ろにぃ、お母さんが男の子の手に触っているのが見えるの。お母さんの隣に魔法協会のスパイクさんがいるよ。もう、なんでわからないの? それと、今夜は『ミゼル』のパイなのも見える」
今夜のメニューはもう決まっていて、下ごしらえも済んでいる。パイを買って済ませるはずはないんだけどなあ。
「今夜は甘いソースに漬けこんである豚肉を焼く予定なの。パイを買うつもりはないわ。パイは明日にしましょうか」
「嘘じゃないもん! 今夜は『ミゼル』のパイだもん!」
「そんなに怒らないの。嘘とは言っていないわよ」
シェリルが癇癪をおこしたから、私は急いでその細い肩を抱いた。
フレッドはシェリルの様子に驚いているけれど、「シェリル、それは夜になればわかることだぜ」と言う。
そんな慌ただしい朝を過ごして、子供たちを送り出した。
私は午前中だけ通っている小児科医院へと向かった。シェリルに特別な能力があったら嬉しいと思う一方で、「魔法なんて一切使えずに平凡なほうが幸せになれるのではないか」という、自分の少女時代には考えもしなかった思いを抱えている。
少女時代、私は魔女になりたくて必死だった。平凡な人間になったら人生は終わりだとさえ思っていた。一緒に暮らしていた師匠が腕利きの魔法使いだった影響もあっただろうが、魔法を使えないことで、私は精神的に追い詰められていた。
そんな私がシェリルに対しては魔法を使えない平凡な人生のほうが苦しまずに済むのかもと思ったりする。我ながら身勝手だ。
小児科で腹痛の一歳児の心を読み、新生児の吐き気を読み、生後半年の赤ちゃんの汗疹の痛痒さを読んだ。午後は自分の店で恋占いと失せもの探しの助言だ。
学校が終わる頃にシェリルを迎えに行き、二人でバスに乗った。シェリルは今朝のことが尾を引いているらしく、私を見てもむすっとしている。
「機嫌を直して。明日はミゼルのパイにするから」
「やっぱり信じてないのね。もういい!」
近いうちにロルフさんのところへ行って、シェリルを鑑定してもらおう。覚悟を決めるべきだ。こんなことを繰り返していては、子育てに悪影響が出る。
バスを降りてアシャール城に向かって歩いていると、レクスさんが窓から手を振って「おかえりー!」と声をかけてくれる。
レクスさんは玄関まで出てきて、私とシェリルをハグしてくれた。
「おかえり、ニナ、シェリル」
「ただいま、お父さん」
「ただいま、あなた」
不機嫌だったシェリルがレクスさんに抱きついた。
「ニナ、スパイクさんから電話があった。魔法協会に折り返し電話してほしいと頼まれたよ」
「そう。ありがとう。すぐに折り返すわ」
魔法協会に電話をすると秘書の若い女性が出た。秘書さんによるとスパイクさんは外出中らしい。スパイクさんは現在取り組み中の古書の捜索に、私も参加してほしいと出先から電話をくれたそうだ。
「古書の件は、王家のお力に頼ることになったのでは?」
「それが、王家のお力をもってしても芳しくない状況のようです。会長はニナさんの力が必要だとおっしゃっていました。できれば今すぐスタイナー侯爵家に向かっていただけますか?」
「今から?」
「ええ。急な依頼で申し訳ありません。会長はまだ侯爵家にいるはずです」
断る理由はない。夕飯をどうしようという困惑だけだ。依頼を受ける旨を伝えて電話を切った。
「レクスさん、魔法協会から急な依頼なの。スタイナー侯爵家まで送ってもらえないかしら」
「いいよ。送っていく」
「夕食は作れそうにないわ」
「じゃあ、夕飯は『ミゼル』のパイを買って済ませるよ。君は安心して仕事に集中して」
絶句した。今朝、シェリルが言ったことをレクスさんは聞いていない。昨夜遅くまで仕事をしていて、まだ眠っていたのだ。今だってシェリルは夕食がパイになる話をしていない。
「どうした? 幽霊を見たような顔をしているよ?」
「ええと……。詳しいことは車で話すわ。シェリルも乗せて行きましょう」
三人で車に乗り、出発した。フレッドはまだ帰ってくる時間ではない。車に乗るなりレクスさんが、「で? なにがあったの?」と聞いてきた。
「シェリルを鑑定してもらうべきときが来たみたい」
運転席のレクスさんが、バックミラーで私をチラリと見た。後部座席で私の隣に座っているシェリルは、「鑑定?」と首をかしげている。
「もしかしたらだけど、シェリルは未来が見える能力を持っているかもしれないのよ」
「……そうか。かもしれないという段階なんだね」
「ねえお母さん、鑑定ってなに?」
「魔法を使えるかどうか、見てもらうことよ」
「やった! 私も魔法使いになれるの?」
「それはまだわからない。その人はお母さんの力を読み取れなかった。お母さんの力は、普通の魔法使いとは違うからね。もしシェリルの力が未来を見るものだったら、その人に見てもらってもはっきりした答えは出ないかもしれないの。でも、一応ね」
「そうなの? なんだ……」
シェリルの表情が期待から落胆へと変わる。膨らんだ風船が急激にしぼんでいくように元気がなくなった。しょんぼりしているシェリルが可哀想で、思わず小さな手を握った。するとレクスさんが提案してくれた。
「先に、ラングリナ師匠に見てもらったら? もしシェリルの力が君と似ているものなら、師匠に見てもらう方がいいんじゃないかな」
「そうね……。まずは師匠に見てもらおうかしら。それより、レクスさんはなぜ『ミゼル』のパイにしようと思ったの?」
「なぜって……。フレッドもシェリルも僕も、あの店のパイが好きだからだけど」
シェリルが「ね?」と言いながら私を見た。
「シェリルが見たとおりになったわね」
「えへへ」
「よし! 決めたわ。シェリル、今回の仕事が片付いたら、ラングリナ師匠に会いに行きましょう。そしてシェリルに特別な力があるかどうか、見てもらいましょう」
「やったあ! ラングリナ師匠に会える! 私、ラングリナ師匠が大好き!」
やがて車がスタイナー侯爵家の前に着いた。
「じゃ、行ってきます。帰りはスパイクさんに乗せてもらえると思うから、心配しないでね」
「わかった」
「お父さん、『ミゼル』に行くんでしょ?」
「ああ、行くよ。シェリルがパイを選んでいいよ」
「わあい! じゃ、お母さん、頑張ってね」
私は穏やかに微笑んでいるレクスさんとはしゃいでいるシェリルに手を振って、スタイナー侯爵家の門番さんに声をかけた。
「魔法協会のニナと申します」






