105 十八冊②
マイヨールがメモから私へと視線を動かした。
「これがどうかしたのかい?」
「それを保護しようとして魔法協会長が時間をさかのぼったのに、王立図書館のどこにもなかったらしいわ」
「どの時代までさかのぼったんだ?」
「戦争の少し前って聞いたけど」
「へえ。それはそれは。なるほどねえ」
マイヨールがニヤニヤしている。何かを知っていそうだ。私が「何か知っているなら教えてよ」と言うと、マイヨールは少しの間私の顔を眺めていたが「ふぅ」とため息をついた。
「あんたには世話になっているから教える。だがひとつ質問をしていいかい?」
「答えられる質問なら答えるわ」
「あんたはなんで私に親切にしてくれるんだ? 毎月面会に来てくれて、頼んだ本を買ってきてくれる。その理由を知りたい」
「長いこと通ってきているのに、いまさら? 私はあなたに恩があるからよ」
「恩? どんな恩だ?」
この人、気づいていないのか。こういうところが道を踏み外した原因かもしれない。
「あなたは私の両親がどうなったかを教えてくれたじゃない。あの記憶を呼び覚ましてくれなかったら、私は今も両親に捨てられたんだと思い込んでいたわ。幸せな家庭を持っていても、心のどこかで両親を恨む気持ちを捨てきれずにいたはず。そんな人生はつらくて苦しいもの。そうならずに済んだ恩よ」
マイヨールがニヤニヤ顔から一転して真顔になった。
「へえ……。あれっぽっちのことで、あんたはずっと面会に来てくれているのかい?」
「そうよ」
マイヨールは「そうだったのか」と言って私から目を逸らしたけれど、少しして私をまっすぐ見た。
「そのうちの二冊を持っている人を知っているぞ。ただ、それらが当時盗まれた本かどうかはわからない。その本は一冊だけ世に出したってわけじゃないだろう? 同じタイトルの他の本かもしれない」
「どうかしら。羊皮紙に手書きした本だったら、一冊だけの可能性もあるわ。持っている人の名前を教えてくれる?」
「ああ、いいよ。だが、これは私が勝手に記憶を読んで仕入れた情報なんだ」
そういうことかとマイヨールを睨んだら、気まずそうに視線を逸らされた。
「これ以上禁固刑が長引いたら困る。俺が記憶を盗み見たことは伏せてほしい」
「わかったわ」
マイヨールから聞き出した話では、消えていた十八冊のうちの二冊を持っていたのはマヌエル・スタイナー侯爵だそうな。宝石の鑑定を頼まれて値段をつけた際、言葉巧みに占いをしてやると持ち掛けて記憶を洗いざらい読んだらしい。
「マヌエル・スタイナー侯爵ね。覚えた」
「本を取り返すつもりかい?」
「国の宝ともいえる本だから、正規の手順で手に入れたのでなければ、取り返すわ」
「あんたの得にはならないだろう?」
この人はそういう価値観で生きてきたのか。口には出さなかったが、気の毒だと思った。
「私の師匠は子供を育てたことがないのに、三歳の私を保護してくれた。魔法が使えないとわかってからも私を娘のように育ててくれた。だから私は師匠を親と思って尽くしたいし、愛してる。年下の私に言われたくないだろうけど、人生って損得だけで成り立つわけじゃないと思う」
マイヨールはグッと詰まった顔になり、力のない声でつぶやいた。
「私の能力を封じたあの人があんたを育て、育てられたあんたが俺に面会に来る。不思議な縁だな」
「そう言われたらそうね」
「人生は損得だけで成り立つわけじゃない、か。そうだな。今の境遇がその証拠だな」
私は「いずれ外に出られるんだし、それまでは体に気をつけて」と告げて面会を終えた。
シェリルを迎えに行き、二人で買い物をしてバスに乗ろうとした。通りの向こう側にミルク店のロルフさんが歩いている。この十年でロルフさんはずいぶん老けた。杖を突いている。ようやく歩いている感じだ。
一瞬、(どうする? 声をかける?)と迷ったが、声を掛けずにロルフさんを見送った。シェリルに能力があるかどうか、今はまだ知りたくない。シェリルは六歳だが魔法の能力の片鱗が見えない。それでもいい。魔法を使えなくても幸せに育ててみせる。
「お母さん? どうしたの?」
「なんでもないわ。今夜はシェリルの大好きな鶏肉のグラタンよ」
「チーズたっぷりにしてね?」
「もちろんよ」
アシャール城前でバスを降り、ご機嫌なシェリルと手をつないで糸杉の小道を歩いた。シェリルが愛しくて愛し過ぎて、(私の判断は正しいだろうか。ロルフさんにこの子の能力を見てもらうべきだろうか)と何度も迷う。決心がつかない。
ロルフさんに「この子には能力がない」と言われてシェリルが傷つく姿も、劣等感で苦しむ様子も見たくない。私は自分勝手な母親だと思いながら、決断を先送りした。
お城に帰り、出迎えてくれたレクスさんにマイヨールの話をした。
「マヌエル・スタイナー侯爵か。僕は面識がないけれど、代々の当主が希少本を収集していることで有名な家だよ」
「代々? それなら戦争が起きる前に、開戦の気配を察して本を盗んだってこともあり得るわね」
「それはどうかなあ。侯爵が王立図書館の本を盗もうとするかなあ。たとえ実行犯は使用人だったとしても、犯行がバレたら侯爵家はかなりの罰を受ける。それに見合う行為かどうか、当時の当主に判断がつかないなんてことがあるだろうか。まあ、まずはスパイクさんに報告だよ」
すぐスパイクさんに電話で報告すると、スパイクさんはとても驚いていた。
「マイヨールが本のありかを知っていたのですか。ニナ、大変なお手柄です。しかし相手が侯爵とは厄介な。これは奥の手を出すしかありませんね。報告をありがとう」
レクスさんに「奥の手って何かしらね」と尋ねると、「恐らく殿下か陛下のお力を借りるんだと思うよ」と言う。それなら私の出番はない。夕食を作り、一家団欒の時間を過ごした。
「お母さん、グラタン、美味しいね! チーズいっぱいで嬉しい!」
「オレもこのグラタン好きだな。次はエビグラタンにしてよ」
「来週はフレッドの好きなエビグラタンにするわね」
「やった」
愛する夫と二人の子供。清潔な寝具と衣服。美味しい食事。幸せ過ぎて(何も失いたくない)と思う。
先日会いに行った師匠も衰えたものの、まだ自分のことは自分でこなせる状態だ。不安も不満も何もない。レクスさんと二人で横になりながら、(神様、どうか私の幸せを奪わないで)と願った。






