103 シェリルとフレッド
少しずつですが、その後のニナ、レクス、フレッドの話を書き綴ろうと思います。
私が首都に来てから十年、結婚してから八年が過ぎた。
私は三十三歳。レクスさんは三十八歳。フレッドは十五歳で、この秋から高等学園の生徒になった。我が家にはもう一人、私とレクスさんの間に生まれた女の子、シェリルもいる。シェリルは私の亜麻色の髪と茶色の瞳を受け継いだ六歳児。初等学園の一年生だ。
フレッドが朝食を食べ終え、まだ食べているシェリルに声をかけた。
「シェリル、早くしないとバスに乗り遅れるぞ?」
「待ってよお兄ちゃん。もう少しで食べ終わるから」
「待つけどさ。お前はほんとよく食べるな。それでなんでそんなに細いんだ?」
その言い草がおかしくて、私が思わず口を出した。
「フレッドだって細いわよ。たくさん食べた料理は、どこへいっちゃうのかしら」
「それはオレにもわかんないぜ」
フレッドのことはもう、君づけしていない。それは私がシェリルを授かった時に、我が子と同じ対応にしたくて決めたことだ。
二人は仲のいい兄妹で、並んで建っている初等学園と高等学園へ一緒に行く。
シェリルは面倒見のいい兄が大好きだ。フレッドがシェリルに同行してくれるから、私は安心して送り出せる。
バター焼きパンを最後まで食べたシェリルが、フレッドと手をつないで家を出た。糸杉の小道を歩いていく二人を見て、レクスさんが目を細めた。
「子供って天使で生まれて、だんだん世俗の色に染まるんだろうなと思っていたんだ。だけどシェリルはまだ天使だね」
「ああ、うん、そうね」
世俗の色に染まったかどうかはわからないけど、シェリルには可愛いボーイフレンドがいる。レクスさんはまだ知らないことなんだけど、隣の席の男の子から「僕、シェリルが大好き!」という言葉を添えてビーズのブレスレットを贈られたそうだ。私には嬉しそうに話してくれたのに、「お父さんには内緒にして」と口止めされている。
「どうして秘密にするの?」と聞いたら、「だって……」と困った顔をする。
「お父さんは私のこと、『お父様の小さな天使』って呼ぶでしょう? 私にボーイフレンドがいるって知ったら、悲しみそうなんだもの。お父さんを悲しませたりがっかりさせたりしたくないの」
都会の子供はおませさんだなあと苦笑したものだ。『ビーズの君』がいつまでボーイフレンドでいるかもわからないから、今のところはレクスさんに言わないでいる。
子供たちが学園に出たら私も仕事だ。私の仕事はシェリルが生まれてからだいぶ変わった。
午前中は小児科で働いている。赤ちゃんの心を読むのだ。
以前は子供の心を読めなかった。現実と妄想の区別があいまいな幼い子供の心を読むと、私が酔ってしまうからだ。だけどシェリルが生まれてからはそんなことを言っていられなくて、新生児シェリルの心を読みまくった。
シェリルを産んだ後、「オムツを替えた。ミルクも飲んだ。なのになんで泣くの?」という日々が続いた。私が疲れ果てるだけでなく、心配性のレクスさんが泣き声で眠れなくなり、仕事に支障が出たのだ。
「ええい! もう記憶酔いしてもいいわ。酔って苦しむか眠れなくて疲労困憊するかなら、シェリルが泣いている原因を探るほうが、まだいいわ」
破れかぶれになって小さなシェリルの額に手を当てたら、もちろんまだ言葉は読めないのだけど「背中が熱い」ことはわかった。ベッドとシェリルの背中の間に手を差し込んだら、確かに熱がこもってホカホカだ。
小児科の検診のときに「赤ちゃんは背中が熱くて泣いたりするみたいですね」と聞いたら、お医者さんは「まだ寝返りを打てない赤ちゃんは、背中が熱くなると泣いて訴えるものです」と言う。身近に子育て経験者がいなかった私は、そんなことも知らなかった。
レクスさんは「ニナの能力は本当に実用性が高い」と繰り返しほめていたっけ。
全力を子育てにつぎ込んだ新生児期を乗り越え、シェリルが言葉を話すようになった時期は感動の連続だった。
おなかがすいた。水が飲みたい。庭に出たい。それらを言葉で伝えてもらって理解できるありがたさよと、何度我が子の成長に感謝したことか。
そんな経緯があって、午前中は夜泣きや不機嫌を繰り返している赤ちゃんの心を読む仕事を引き受けている。お医者さんは「産後は母親の精神状態が乱れがちだ。二年か三年後に子供が言葉を話すようになるけれど、その前に参ってしまう母親は少なくないからね」と言ってくれる。
それだけではない。数は少ないながらも、私の能力で内臓の疾患からくる不快や痛みを見つけたこともある。
午後は自分のお店で恋占いと失せもの探し。夕方まで働き、シェリルを学園まで迎えに行って、買い物をしてバスに乗って帰る。平凡だけど、幸せな日々だ。
料理しながら「私は今の普通の生活が大好きよ」とシェリルに話したら、おやつのクッキーをかじっていたシェリルが首を傾げた。
「人の心を読めるって、普通じゃないと思うの」
「あ、うん。そう言われたらそうかもね」
「お兄ちゃんも魔法を使えるから、お兄ちゃんも普通じゃないと思う」
「個性が豊かでいいことよ」
「私は? 私もお母さんやお兄ちゃんみたいに魔法が使えるようになる?」
「どうかしら。お母さんにはわからないわ」
この会話は過去にもう何回も繰り返している。
魔法が使えるということは、同時に悩みや苦悩も一緒に抱えることだ。そう思っているから鑑定ができるミルク店のロルフさんの話をしていない。行けば結果がわかってしまう。私はまだ結果を知りたくない。このままゆるゆるふわふわと子育てを楽しんでいたい。
だけどシェリルはどうしても魔法が使えるようになりたいらしい。
夜、レクスさんと二人でコーヒーを飲みながらその話をした。
「シェリルは魔法使いになりたいらしいわ」
「ロルフさんのところへ連れて行かないの? 六歳は魔法を習い始める時期って言ってなかった?」
「そうなんだけど」
私もフレッドも五歳のころにはもう、それなりに能力を発揮していた。シェリルには今のところ、それがない。
「低い能力を持っていたばかりに苦しんでいた、アン・シャーレイを思い出してしまって。見てもらいに行く気になれないの」
「アン・シャーレイって、ニナの次にラングリナ師匠の弟子になった人だよね。前の魔法協会の会長の孫娘で、仕事は……」
「モデルさん」
アン・シャーレイは優秀な祖父に比べ、魔法の能力が低かった。そのせいでずいぶん屈折していた人だ。大人でも自分の能力はたいしたことがないのだと、認めて受け入れるのは苦しい。子供の時にそんな経験をしたら卑屈にならないだろうか。アン・シャーレイ以外にも、劣等感でいっぱいの大人を私はたくさん見てきた。
「たった六歳のシェリルがそんな経験をするのは早すぎないかしら。もっと後でもいいと思うの」
「そうか……。難しいね。ニナの不安はよくわかるよ。僕は子供の頃、父にどんなに否定されても書かずにはいられなかった。もしシェリルに魔法の才能があるなら、きっと何かしら発散したくなる日が来ると思うよ。それまで待とうか」
「ええ、そうしましょう」
そんな会話をした今日は、九月の上旬だ。






