第四十九話 アンジュン辺境伯(4)
「・・・うう・・・。俺はいったい・・・・」
オレはまどろみの中で目を開けた。辺りに戦いの喧噪はなく、広いホールは静まりかえっている。遠くからは男達の怒声が聞こえてくるので、戦場は城の奥の方に移動したようだ。
「く、こうしては・・・」
すぐに領主様の所に駆けつけて加勢しなければ。なんとしてもオーガどもからアンジュン辺境伯とご子息だけは守らなければならない。特にご長男のレイン様だけはなんとしても。
しかし、直前に戦った蘭丸という男に左腕を切り落とされてしまった。胸にも深い傷を負っているはずだ。生きているのも不思議なくらいだが、命ある限り戦わねばならない。それが騎士としての矜持だ。
「・・ん?お前は?」
胸の上に何かある。起き上がろうとしたところ、胸の上に女の頭が見えた。黒いストレートヘアで、角がない。耳も長くないので人族だろう。そして、この世界で黒髪は珍しい。この城を襲ってきた信長や蘭丸達と同じ髪だ。
“この女は、敵?”
そんな事を思っていると、その女がゆっくりと目を開けてオレを見つめてきた。どうやらこの女も眠っていたようだ。
「・・・よかった・・・意識が戻ったのね」
その女はゆっくりと上体を起こして、右の掌をオレの左胸に当ててきた。女の服や頬は血で汚れている。
「オレを・・・助けてくれたのか?」
その問いかけに女ははっとした表情をした後に、視線を逸らして下を向いた。
「ご、ごめんなさい。余計なことをしてしまったかも。でも、命の炎が消えかけていたあなたを放っておけなかったの」
そしてオレは自分の傷を確かめた。大きく裂けた左胸。切り落とされた腕。その両方が繋がっていた。くっきりと残った傷跡が、蘭丸に負けたのは嘘ではないと語っている。
「まさか、あの傷を治せるのか?あ、あなたはもしや伝説の賢者様?」
魔力をほとんど持たない人族の中で、ほんの一部の部族にだけ伝承されている神話がある。10回目の千年紀、人族の中から世界最高の魔力を持った賢者が誕生するというものだ。その者、暴虐と炎の嵐の中に降り立ち、人族を困難と絶望から救い清浄の地平へ導くという。
あれだけの傷を治癒し、切り落とされた腕までつなぐことが出来るなど、人族には到底不可能。ユウシュンには目の前の女が賢者であると確信できた。
「えっ?あ、あの、そ、それは言えないの・・」
賢者様は少し体を引いて横を向いた。明らかに詮索して欲しくないという素振りだ。その表情は、まだそれを明かして良いときではないと語っている。
「命を救っていただいたことを感謝します。しかし、私はアンジュン様とレイン様をお助けに行かなければ・・」
オレは状態を起こし立ち上がろうとした。しかし、賢者様がオレの手を握って引っ張った。
「うぉっ!」
なんて怪力だ。まるでオーガの戦士のような力で引っ張られてしまった。いや、これが賢者様の力なのだろう。まさに人外の力だ。
「私たちはね、エルフや他の種族に虐げられている人族をなんとかしたいの。このアンジュン辺境伯も奴隷を差し出したりしてるんでしょ?私は、エルフの国で狩りの獲物として殺されている人族の子供を見たの。私の腕の中で死んでいく子供を助けてあげることが出来なかった。だからね、そんな事がもう無いように、人族の国を強くして対抗していくのよ。まずはこの領地を手に入れて、そして豊かにして誰一人奴隷になったりひもじい思いをしなくてすむようにしたいの」
賢者様は真剣な眼差しでオレを見つめてきた。その瞳に嘘はないことがわかる。賢者様は人族のこの状況をなんとかしたいのだ。
「し、しかし奴隷の供出は国王からの命令です。地方の一貴族がそれを断ることなど出来ませぬ」
それは嘘だ。先代の領主様は犯罪奴隷を供出していたが、愛玩用や狩り用の奴隷は出していなかった。国王に対してきっぱりと出来ないとはねのけたのだ。それも、このアンジュン辺境伯がイーシ王国随一の武力を持っているから出来ることだった。オレたちは、王国から高度な自治を勝ち取るために日々鍛錬してきていたのだ。しかし、当代の領主様になってから、国王の要求のままに女子供を奴隷として供出している。今年は犯罪奴隷ではなく、貧民の女と子供を強制的に奴隷として差し出した。
「国王の命令で仕方がないのも理解できるわ。でもね、やっぱりそんな事は許せないの。だから、王国にも、エルフの国にも勝てるだけの力を付けるのよ。あなたとなら、きっと出来るわ」
賢者様の言葉とまなざしは真剣その物だ。“あなたとなら”という言葉に少々違和感があるが、賢者様が出来ると言えばなんとなく出来そうな気がしてくる。
「人族が、ひ弱な人族がエルフに勝てると?」
「そうよ。私たちなら、私とあなたなら人族を導くことが出来るわ」
「わかりました、賢者様。しかし、私もアンジュン様に忠誠を誓った身なれば、このまま主を殺させるわけにはいきません。この戦いを止めに行きます」
――――
領主城 領主の間
「ひいいいいぃぃぃぃぃーーー!近寄るなぁーー!近寄ったらこの女を殺すぞーーー!」
メイドの一人を人質にとっているのは、ここの領主であるアンジュン辺境伯だ。何が起きているのかわからないだろうが、それと向き合っている信長達にも理解できない状況だった。
「いや、おっさん、そのメイドはお前の家来だろ?それを人質にして俺たちがひるむとでも思ってるのか?バカなのか?」
信長達の仲間を人質に取るなら理解できるが、アンジュン辺境伯が人質にしているのは自分のメイドの女だ。そののど元に短刀を押しつけている。人質にされた若いメイドは、何故こんなことになっているのか理解できていない様子だ。ただただ恐怖で顔が引きつっている。
「うううるさい!お前達はメイドを殺さないように戦ったのだろ?聞いているぞ。女は殺せないのだな。だからこの女を死なせたくなかったら兵を引き上げさせろ!今なら許してやるぞ!」




