96_オキタの長い1日 朝~昼の巻
会談の後、俺とクレアは必要以上に言葉を交わさなかった。
というより、交わすと色々こじれそうだった。
それでも仕事だけは妙に噛みあっていた。余計な会話がない分動きが早くなるのだから皮肉な話だ。
デスクでの書類仕事、客人との会談に臨むクレアの背後での護衛。
やることは単純で、集中していれば時間は勝手に過ぎる……はずだった。
夜になり、気付けば俺は引き摺られるままクレアの住居へと案内された。
いや、契約は確かに交わしている。2週間の傍付き護衛で……そうだった、クレアの住居に世話になるんだった。
理屈は通っているし契約通り。通っているからこそ、余計に嫌な予感しかない。
そして2日目。
朝が来る前から目は覚めていた。正確には眠ったという感触がない。
あの男との会話が何度も脳裏を掠める。
完成、商品、値段、そして……夢無き者。
やめだやめ、今日からの護衛に集中しなければ。
(それにしても、同じ屋根の下で2週間か……)
思考がそこに触れた瞬間、かぶりを振って意識的に切り離す。
昨晩は宛がわれた部屋で一人の夜を過ごした。
何もやましいことは無かった……本当だ。
これは任務だ。2週間の傍付き護衛、その代わりに機体整備と補給を受ける契約を交わした。
その対象がクレアなだけ―――それ以上でも以下でもない。
ネイビーブルーの制服を整え、装備を確認する。
腰のレーザーガンと、胸ポケットの火薬式拳銃。
エスペランサコロニーでは不要かもしれないが、それでも外す気にはならない。
癖の様なものだし、任務であることを自分に言い聞かせる為でもある。
廊下に出ると、静かすぎる空気が耳に張り付く。
コロニーの一等地に建てられたマンション一棟、丸ごと全てがクレアの私有地だ。クレアの所有物であり、誰にも居住を許していない。それだけに、ここだけ音がそぎ落とされている。
人が暮らす場所なのに生活音がなく、喧噪の中に生きる俺には少し物寂しさを覚える。
端末で時間を確認し、クレアの部屋の前に立つ。
立ち位置は昨夜決めた通り、扉から一歩引いた位置だ。
……近いか?
自分で決めた癖にそう思う。
それでも此処から一歩引くと、それはそれで意識しているような気がして嫌だ。
扉が開いた。
クレアが出てくる。
部屋着だ。髪は纏められておらず、そのまま流されている。
昨晩”おやすみ”と分かれた時と何も変わらないはずなのに、視線が引き寄せられてしまう。
(……っと、まずい)
視線を落とす。床の反射に、クレアの輪郭だけが映る。
「おはようございます、オキタ様」
穏やかな声だ。自意識過剰と思われるかもしれないが、俺の名前を呼ぶときだけ、その声は少しだけ柔らかい。
「おはよう。体調は?」
「問題ありません、睡眠も十分です」
嘘だな、と直感的にそう感じた。少し眠たそうだ。
そんな俺の視線に気づいたのか、クレアは顔を傾けて俺を覗き込んできた。
「一緒に寝ましょうとお誘いしたのに、断られて傷付いているだけですわ」
「任務なので」
「あら、では命令です」
にこやかな声だった。
「今日からは一緒に寝て下さい。一緒の方が護衛しやすいでしょう?」
「……本気か?」
「当たり前です」
即答だった。逃げ道が見当たらない。
「…………前向きに検討します」
にこにこと笑みを浮かべる姿に、頷く以外の解答は許されていなかった。
クレアは何も言わなかった。ただ、満足そうに微笑んだ。
ああ……これは、詰んだな。これから2週間、俺は自分との戦いで眠れないのだろう。
振り返って歩き出す。半歩前、護衛の定位置だ。
廊下を進みながらだが、意識は常に背後にある。
気配、足音、呼吸。大手を振って得意だとは言えない拙い技術だが、最低限それらを感知出来るだけの心得はある。
だからこそ思う―――距離、近いって。
廊下を抜け、エレベータに乗るとそこは密室だ。
不覚、いや不可抗力。
だって仕方がないじゃないか。マンション内の移動はエレベータが基本で、寝室のあるフロアと食事の出来るフロアは分かれているのだから。
俺が立つ横に、クレアが立つ。袖が触れ合いそうな距離。
けど触れない。触れなければ問題は起きない。理論上は。
「2週間、ですね」
不意に言われる言葉に、肩が動かなかった自分を褒めてやりたい。
視線を感じるが、俺の視線は扉に固定して外さない。
「そうだな」
「長いですか?」
「ハイデマリー以外に雇われるのが初めてだから、何とも」
「個人的には?」
聞いてくれるなよ。そう思う俺の思考も、クレアには筒抜けなのだろう。
「大丈夫です。逃がしませんから♪」
クレアは小さく笑った。分かってやっている笑いだ。
食堂には簡単な食事が用意されていた。
簡単、とは名ばかりだ。
白いテーブルクロスの上に並ぶ皿は整い過ぎていて、どこから手を付けるべきか迷う。焼き色の入ったパン。香り立つ卵料理に、湯気の立つスープ。培養食材特有の癖が無く、鼻腔をくすぐるのは自然食品の匂いだ。
向かい合って腰を降ろす。
こうして落ち着いて食事を取るのは何時ぶりだろう。
船の中でも安心した食事を楽しめていたが、地に足ついて味わうが出来たのは久しぶりだ。
フォークを動かしながら、向かいのクレアを見る。
食事の所作は静かで無駄がない。だが機械的ではなく、どこか柔らかい。
用意されていた食事を堪能し、しばしの休憩時間。
普段見慣れないクレアの一面。彼女がコーヒーを口に運ぶたび、喉の動きに視線が行きかける。
いちいち見てしまうのは、普段と違うからだ。意識し過ぎている。
飲み干したカップの底に視線を向けると、声が振って来た。
「さっきから、私を避けていませんか?」
唐突な一言だった。
「避けてない」
「嘘。分かりますよ、女ですから」
即座に返されて言葉に詰まる。
「……仕事の事を気にしているだけだ」
言って、少し後悔する。
俺にとっては仕事だが、秘書はこう言っていた。クレアにとって、この2週間はただ一緒に居たいだけの時間だと。
視線を上げると、クレアと目が合った。
何も言わず、穏やかに微笑んでいる。
その表情を見ていると、肩肘張っていた自分が馬鹿らしく思えて来て、俺も笑ってしまった。
「着替えたら出社しましょうか」
クレアはそう言って席を立つ。
「今日は特に大きな予定もありませんし、穏やかな一日が送れると思いますわ」
身支度を整え、マンションを出る。
車はすぐに用意されていたが、クレアは途中で降りると言い出した。
緑の多い区画を、歩いて行きたいのだと。
周囲には最低限の警護。
それだけで成立してしまうのが、セクレトという組織の異常さだ。
民間企業でありながら、このコロニーの支配者としての意思を持って動いている。
俺はその中心にいる人物の、半歩前を歩いている。
それを改めて意識すると、背中が少しだけ重くなる。
二人で公園の道を歩く。
言葉は無いが、クレアは楽しそうな雰囲気を纏っている。
途中、前方から自転車の集団が迫ってきた。
反射的に腕を伸ばし、彼女の腰を掴んで引き寄せると身体が触れ合った。
一瞬―――いや、よろけるクレアをしっかりと掴んだその一瞬が、長い。
「オキタ様」
「待て、他意は無いぞ。衝突回避だ、仕方なかった」
「……以前は理由は仰らなかったのに」
思わず息が漏れそうになった。前とは、十中八九あの夜のことだろう。
「今は必要なんだよ」
「何故でしょう?」
「言わせんな」
意識したら色々止まらなくなる、何て言えるわけもなく。
ご機嫌が止まらないクレアの半歩前を、朝から疲れが溜まった俺は歩いて進む。
セクレト本社は遠目にも分かる存在感だった。
過剰な装飾はない。だが、ここに集まる人間と情報の量がそのまま圧力になっている。
エントランスを歩けば視線が集まる。
誰もが頭を下げるのは、隣を歩くクレアに対してだ。
ゼノンシス銀河でも指折りの権限を持つ人物で、それを誇示する必要すらない立場の彼女。その護衛を任されていることを改めて確認させられた。
この場所で働く人たちにとって、彼女はただの”上司”ではない。判断基準そのものだ。
ゼノンシス銀河では、セクレトで2番目に偉いのだから当然か。などと思いながらエレベーターに乗る。
そういえば、クレアの父……現セクレト総帥は此処にいるのだろうか。
「此処にあの人は居ませんよ。どこに居るのかも存じ上げません」
当然のように思考を読んで話を進めるクレア。
「勝手なんですよ、あの人。そのせいで、どれほど私が―――いえ、何でもありません」
何でもある言い方だった。
親子とはいえ、色々あることが窺える。一方的に話しところをみるに、触れられたくないのだろう。
セクレト本社の最上階、執務室の前には秘書が待機していた。
数回の問答を終えてから部屋に入ると、直ぐに書類整理が始まる。
クレアから見て、斜め前に俺の席が用意されていた。
同じ室内。距離は保たれているはずなのに気配が濃い。
意識を切り替えて机に向かう。
頼まれていた警備部門の訓練の前に、彼らの評価が乗ったデータを確認しておくことが今日の俺の仕事だ。
先のヴォイド殲滅戦を経験しただけはあるが、まだまだ粗削りな部分が目立つ。磨けば伸びるだろうが、生憎と俺は教官をしたことがない。
さて、どう訓練したものか。
少し集中が途切れた所で、ふと意識がクレアへと流れる。
この宇宙時代に似つかわないペンの走る音。紙が擦れる音。見て、聞くだけで宇宙艦にいる時とは違う安らぎが感じられる。それだけで意識が乱される。
「―――そろそろ、休憩しましょうか」
時間を確認すると昼時を過ぎていた。
「軽食を用意させています。ソファで頂きましょう」
軽食はソファスペースに用意されていた。
執務室の奥、来客用とは別の落ち着いた空間だ。窓の外、眼下には先程通って来た人工庭園が広がっている。
俺は自然と、出入口と窓の両方が視界に入る位置を選んで腰を下ろした。
その隣に、クレアが座る。
―――いや、近っ!
隣が空いている以上そこに座るのは自然なのだが、問題は距離だ。肩と肩の間隔が思ったよりも狭い。
クレアは何事もないように足を組み、トレーを膝に乗せる。
「ここ、落ち着きますね」
「そうだな」
視線は正面。意識して隣を見ない。
紙包みを開く音、カップを置く音。その一つ一つが妙に近い。
ふと、クレアが体を少しだけこちらに寄せた。
ソファの背に深く腰掛けるための、ほんの小さな動きだ。
だだそのせいで太腿が触れた。
触れた、というより―――当たったまま離れない。
俺は動かなかった。動けば意識していることになる。
「オキタ様」
「悪い! 近かったよな!」
不本意にも痴漢者のような言い訳が飛び出た。
「いえ」
だが返って来たのは否定、それも即答だった。
「安心します」
一瞬硬直し、直ぐには意味が分からないふりをして、俺は視線を前に固定したまま言う。
「……あまり、そういうの言わない方がいいぞ。クレアが相手だったら、喜んで勘違いする奴だっている」
「ええ、そうですね。そうであって欲しいと思っています」
声が少しだけ弾んでいる。
クレアは、わざとゆっくりとカップに口を付けた。
その過程で肘が、俺の腕に軽く触れる。
偶然を装うには、少しだけ丁寧すぎる動きだ。
(こいつ、分かってやってるな)
ため息を吐く代わりに、俺は姿勢を崩さない。
数秒。
沈黙。
その間も、距離は変わらない。
「オキタ様」
「何だ?」
「こうしていると、仕事中なのを忘れそうになりませんか?」
「忘れるなよ?」
「忘れませんよ?」
くす、と小さく笑う気配。
「でも……忘れられたら、少しは仕事も楽しくなるでしょう?」
うぐ、と返事に詰まる。それは肯定してはいけない問いだ。
だが、否定するには正直すぎる。
「……休憩中だけだからな」
結局、俺はそうとだけ言った。
クレアはそれ以上踏み込まなかった。ただ、体を離そうともしなかった。
ソファの柔らかさと、伝わって来る隣の体温。それらが混ざり合って、時間感覚が鈍る。
護衛としては、集中力を欠く環境だ。
(ヘルプ、皆。タスケテ。そうじゃないと、どうにかなっちまう)
そう思いながらも、俺は立ち上がらなかった。
来た、見た、ヤったって書けば早くていいんですけど、何というかこう……”溜め”ってやつを考えてたらこうなりました。私の気持ち的にはオードブルとスープが出てきた感じ。




