外伝 アスラン 9
空を見上げると、曇天が広がっていた。厚い雲は太陽を覆い隠し、決して温かさに触れることは出来ない。
そのはずなのに、とても居心地の良い暖かさがあった。
「大丈夫だ。おやすみ」
その声は、泣いてしまいたくなるほどに優しい声色をしていた。
パチッと目を覚ますと、またベッド上に僕はいた。気を失ってしまっていたのだろうか。
服は男の子用のものに戻っており、首に駆けられていたドミニクから貸してもらったネックスレスはなくなっていた。
部屋をノックする音が聞こえてしばらくすると扉が開いた。
「あぁ、目覚めたか。大丈夫か?」
部屋に入ってきたのはガートレードであり、ベッドの横まで来ると椅子に座り言った。
「いろいろとすまなかった。疲れただろう」
「あの、ネックレスは? ドミニク……様? から借りて……」
そう伝えると、ガートレードは優しく微笑んでいった。
「大丈夫。あれはきっちりと返してきた。壊れなくて良かったよ。お前の魔力はあんなもので封じられるようなものではないからな」
「え?」
「とにかく、まずは健康になってからだ。今日からひと月ほどは一緒にゆっくりと過ごしていこう。寝てばかりは暇だろうから、動ける範囲で無理のない程度に時間の予定を組んでいこうと思う」
その言葉に僕は首を横に振る。
「あの、もう大丈夫です。動けます」
「いやいや、残念だが君の体は栄養失調で、自由に動けるような状況ではないんだ。君が動けているのは、魔力のおかげだ」
「魔力の?」
「あぁ。特殊な事例だ。とにかく、今はゆっくりと休んで、体調を整えていこう。私のことは好きに呼んでくれ。席を共にするから、パパでもダディでも」
「じゃあ……先生と呼んでもいいですか?」
「……先生か」
ちょっと残念そうな先生。僕は変わった人なのだなと思いながら尋ねた。
「あの、本当に僕ここにいてもいいんですか」
「もちろんだ。これから魔術師として様々なことを私が教えよう」
「ありがとうございます。これから、一生懸命学びます。よろしくお願いいたします」
これまで自分の主となる人には出来る限り丁寧に接するようにと学んできた。その方が優しくされるし、生き延びられる。
「……あぁ。よろしく。だが、無理しないことが一番だ」
「え?」
先生は僕の頭を優しく撫でると、言った。
「これまで君はよく頑張って生きてきた。君のおかげで、大賢者ジル様も保護することが出来た。ありがとう」
その言葉に、僕は驚く。
「あのおじいさん、まだ、生きていたんですか」
先生はうなずく。
「かなり健康状態は悪化していたが、大丈夫だ。すぐに治療班に見てもらったからな」
「……よかった」
あの人にはたくさん教わった。だから、生きていてくれて嬉しい。
「さて、食事を持ってこさせよう。それを食べて、ゆっくり体調を整えていこう」
「はい」
「この部屋は君の部屋とするから、自由に使ってくれ。足りないものはこれから揃えていけばいい」
「え? いや、そんな。こんないい部屋は、僕には」
「なんだ。遠慮か? はっはっは。先ほども言ったが籍を入れた以上、君は私の息子だ。だから気にするな」
気にする。というか、籍を入れて息子……本当にいいのか。というか、僕を弟子にするだけならば籍にいれる必要はなかったのではないだろうか。
籍に入れなければならない、何か理由があった?
僕はそこまで勘繰るものの、考えることをやめることにした。
これは僕が考えたところでどうにかなる問題ではないような気がする。
部屋にレイブンが料理を運んできてくれた。そして僕はそれを先生に見守られながら食べる。
この感情はなんだろうか。
僕はとても温かな部屋でご飯を食べた後はまた眠りにつく。ひどく幸せで、少し怖かった。
どうか夢でありませんように。
僕はそう願った。
それからのひと月はあっという間に過ぎていった。
眠って食事して少し散歩したり勉強したり。体調が整い始めたら先生が僕に文字や学問の基礎を教えてくれるようになった。
勉強というものは楽しい。こんなにも面白い物がこの世界にはあったのかと、嬉しくなった。
ドミニクは何度も何度も謝罪に来てはそのたびに先生に追い返されていたけれど、僕がもう大丈夫だか
らと伝えると、ガートレードはしぶしぶドミニクを許したのであった。
ドミニクは悪い人ではない。このひと月毎日ここにきている姿からそう思った。
ガートレードは少し不満げだったけれど、許すタイミングというものを考えていたようだったので、丁度良かっただろうと思う。
生活面では、奴隷の時はただ言われたままに生きればよかったのが、ここではそうではなくて、それがすごく難しかった。
そしてもう一つ、難しく、慣れないことがあった。
「アスラン」
ガートレードの声がして、僕はハッとする。
「アスラン。やっと気づいたか。今日は魔術塔を案内しようかと思っている。いいか?」
「……あ、はい。魔術塔、ですか?」
「あぁそうだ」
アスラン。それが今の僕の名前となった。
おい、お前、餌、そうした通称で呼ばれていた僕につけられた名前。
未だに慣れない。
名前で呼ばれるたびに、自分のことだと思えなくて一瞬戸惑う。
ただ、先生が一生懸命に考えてくれた名前だったので、大切にしようと、そう思った。
僕の名前はアスラン。
魔術師の弟子、アスランだ。
聖女の姉のコミック2巻が
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どうぞよろしくお願いいたします。








