私の居場所
精霊王の代替わりが無事に終わり、一か月ほどが経った頃。
アーカンドではハディス王太子が盛大にため息をついていた。
「リアム、少しはしゃきっとしろ!」
「兄上……」
目の前には執務机に突っ伏しているリアムの姿。兄であり王太子であるハディスに呆れたように叱られても、なかなか力が入らない。
仕事はきちんとしているのだ。休憩している時間ぐらい腑抜けることを許してほしい。
精霊王の代替わり後、メルディーナがセイブス王国に帰ってしまった。
自分の側に愛する彼女がいない。長く一緒に過ごしたため、その事実が思っていたよりもリアムにダメージを与えていた。
「そんなに辛いなら、行かないでくれとでも言えば良かったではないか」
「言えるわけがないでしょう」
「まあそうだろうな。内心ではどうであれ、お前は快く彼女を送り出した。それならばあとはどんと構えて待っているしかないだろう?何をそんなにうじうじと悩んでいるんだ」
そう、言えるわけがない。セイブス王国に帰り、祖国を救いたいと願うメルディーナのあの決意と強い意志に満ちた目。いつだって綺麗な紫の瞳がこれまで以上に澄み渡り、美しく燃えていた。
(愛する彼女の願いをどうして邪魔できるだろう?)
止めるなんて選択肢は存在していなかったのだ。
それに、何もメルディーナが今自分の側にいないことだけがリアムをこうさせているわけではない。
聖女を名乗る少女がいなくなり、ロキのおかげで精霊王の魔王化がとまり、ルーチェが無事に新たな精霊王となった。そのおかげで長い間存在し続けていた濃い瘴気が消え去り、人々の気持ちがおちついた。
瘴気の影響は色々な人に出ていた。特に、愛し子であるメルディーナを失い、瘴気を払う力を持つはずの聖女が誰よりもその瘴気を生み出していたことで、セイブスの民への影響はこれ以上ないほどだった。
その影響が一気になくなったことで、セイブスの人々は目が覚めたように本来の姿を取り戻したのだ。
メルディーナの弟であるエリック、そして婚約者だったクラウスはその筆頭と言えた。
リアムは知っている。メルディーナが婚約者であるクラウスを愛していたことを。
その彼から蔑ろにされて、どれ程傷ついていたか。
けれど、それも全ては瘴気の影響があったことは否めない。
(クラウス殿下は、憑き物が落ちたように穏やかな目をしていた)
そうなれば、メルディーナの想いを踏みにじるものはもうないのである。
『精霊王の代替りを無事に終えることができたら、私の気持ちを聞いてくださいますか?』
……メルディーナは確かにリアムにそう言った。
けれど、もうその機会は来ないかもしれない――。
自分の返事を待つハディスから目をそらし、リアムはぽつりと呟いた。
「メルディーナは……もう僕の側へは戻ってきてくれないかもしれない」
そうなっても……仕方ない。受け入れるしかない。彼女の意思を尊重する。
そうは思っても、この胸の痛みに、平気な振りをすることなどできない。
そんなリアムの耳に信じられない声が飛び込んできた。
「あら、私は帰って来てはいけなかったのでしょうか?」
「――っ!?」
驚いて振り向いたリアムの目の前に、ちょっと意地悪気に微笑むメルディーナが立っていた。
◆
「メルディーナ、どうして……」
信じられない。どうやらリアム殿下は心の底から驚いているらしい。
私が戻ってこないかもって、本気で思っていたの?
私がセイブスに戻ると言ったとき、リアム殿下は優しく微笑んでくれた。
まさかそんな不安を抱いているだなんて全く気付かなかった。
そんなの……言ってくれればよかったのに。
――セイブスに帰って一か月。色んな事があった。
国中をまわり、あの不思議な種を植えて回って。今ではセイブスには花と緑が溢れている。
そうしていくのと同時に、最初は申し訳なさに俯くことが多かった人々には活気が戻り、どこにいても明るい笑い声が聞こえるようになった。
最初は向き合うことが少しだけ怖かったけれど、エリックとも改めて話をすることができた。
「姉上、本当にごめんなさい……ずっと、ずっと僕が姉上を、誰よりも傷つけて……!」
「エリック!もういいの、もういいのよ……きっとエリックも苦しかったよね」
「姉上……!」
長い間私を蔑むようになっていたエリックと和解できたことは本当に嬉しかった。
セイブスに一緒に戻ってくれていたお兄様も喜んでくれて。
……お父様とは、まだ少しぎくしゃくしているけれど。それでもこの一か月で食事を共にするようになって、少しずつ会話も増えている。お母様が亡くなって、私をいないものとして扱うようになったお父様。瘴気の影響だけじゃない。きっとお父様は心の弱い人で、そしてお母様を本当に深く愛していた。今はまだ、これでいいと思える。
そして。
「メルディーナ、本当にすまなかった。君を信じられなかったこと。私達は幼い頃から互いを知り、ずっと婚約者として側にいて、君がどんな人なのかを分かっていたはずなのに……」
クラウス殿下は今にも死んでしまうんじゃないかという程悲痛な顔で私に頭を下げた。
「殿下、もういいんです。聖女は嘘をつけないのだと、この国ではずっと信じられていました。殿下が王族として自覚と誇りを強く持っていたからこそ、私を信じるなどできなかったのだと分かっています」
「それでも……私は君を信じるべきだった。もしも聖女の言葉が本当に嘘ではなかったとしても、私だけは……愛する君を疑い、君を傷つけたのは間違いなく私の罪だ」
「え……?」
愛する君。クラウス殿下は確かにそう言った。
「私はずっと君に恋をしていた。君がニールを好きなのだと思って、情けなくも嫉妬に狂い君を大事に出来なかった」
「!!」
信じられない告白に、息が止まった。
クラウス殿下にずっと疎まれていると思っていた。リリーが現れたからではなく、そもそも殿下は私が嫌いなのだと。
でも……違った。
「今更だと分かっている。それでも、言わせてほしい。どうか、もう一度私に君とともに歩むチャンスをくれないだろうか。私は君を、心から愛している」
私は──。
「もちろん、断りましたとも」
「え……?」
顔を真っ白にして私の話を聞いていたリアム殿下が、ポカンと口を開けた。
むしろ、どうして私がクラウス殿下の申し入れを受け入れると思ったのか。さすがの私も呆れた顔をしてしまう。
ハディス殿下は何かを察して、騎士たちを連れてそっと部屋を出て行った。ここは殿下の執務室なのにね。まったく、気の利く王太子様である。
「私に居場所をくれたのはアーカンドで、リアム殿下ではありませんか。どうして戻って来ないだなんて寂しいことを言うんですか」
「メルディーナ……!」
そう、私が帰る場所はすっかりアーカンドになってしまった。それなのにそんなに不安になるなんてひどい。その責任はとってもらわなくては。
「……精霊王様の代替わりは無事に終わりました。約束を、覚えていますか?」
感極まったように、口を手で覆ったリアム殿下。それでも真っ直ぐに私を見つめて、こくこくと頷いている。
優しくて、強くて、温かい人。私の黒い狼さん。
いつだって私を見つめてくれていた金色の瞳が、今は少し潤んでいて。
ああ、なんて可愛い人だろう。
「リアム殿下、私はあなたが好きです。愛してます。狼のあなたも、人としてのあなたも。ずっとずっと、私のそばに居てくれてありがとう」
満面の笑みで告げると、ついにリアム殿下は泣いた。そしてそのまま素早く近づいてきて、私を強く抱きしめてくれる。
「ふふふ、どうして泣いてるんですか」
「メルディーナ!僕も、僕も君を愛してる!」
「……はい。これからも、ずっと愛していてくださいね?」
「もちろんだ!」
──あの日、前世の記憶を取り戻して。自分はこの世界の、ゲームのシナリオの舞台装置でしかないと絶望した。
何とか生き延びたとき、私はどこで何をしているだろう?そんなことを考えたこともあった。いろんな想像をした。
けれど現実は、どんな想像より幸せなもので。
「メルディーナ、もう離さない。ずっと君のそばにいる」
「はい、もう離れません」
『メル様、リアム、おめでとう!』
『やーっとか。リアムのヘタレめ!俺のメルを泣かせたら許さないからな!』
……どこからか、そんな声が聞こえた気がした。
きっと私は、もっともっと幸せになれる。
心から愛する人に、うんと愛されて。
〜FIN〜




