精霊王の聖地
瘴気は濃くなり、澱みは増え続け、その増えていくスピードをなるべく遅らせることが精一杯で。
理由は分かっていた。精霊王様がますます弱っている。
特にセイブス王国との国境付近は瘴気が濃く、たまに帰国しては通っていたお兄様は、ついにセイブス王国に戻れなくなった。
◆◇◆◇
浄化を急いでいるとは言え、休息を取らなければすり減り、体の方がもたなくなる。
そういったハディス王太子殿下の方針で、週に一度は休息の日が作られていた。
昨日までの浄化を終えて、休息の日のお昼前、アーカンド王宮の自室でゆっくりしていると、お兄様が訪ねてきた。
部屋の中に招き入れ、対面に置かれたソファに座る。こうして一緒にお茶をする時間をとるのが日課になっていた。
この時間はオルガやミシャにも下がってもらっていて、私が2人分の茶を淹れる。
……セイブス王国で、妃教育の一環として、身につけたことのひとつ。
それも最後にはリリーに利用されてしまったけれど。
「お前の淹れてくれるお茶は本当に美味しいね」
にこりと笑って褒めてくれるお兄様に微笑み返しながら、私もお茶を飲む。
本当はこの日課が始まった最初の頃、お茶を淹れる手が震えてしまった。
最後にお茶を淹れたのはリリーに陥れられ、毒に倒れたあの悪夢のお茶会の時で。
このアーカンドで久しぶりにお茶を淹れようとティーポットを手にした時に、あの時の光景が鮮明に蘇ってしまったのだ。
おぞましいものものを見るように私を見つめる、いくつもの冷たい目………。
「ごめんなさい、お兄様、私……」
そのまま震える手を握り締めて、お茶は淹れられない、と謝ろうとする私をお兄様は止めた。
「メルディーナ、お前の気持ちは分かる。だけどきっと私と2人だけの今のうちに乗り越えないときっとずっと乗り越えられない。……たかがお茶だけれど、あの女のせいでメルディーナの何かが奪われるのは嫌だと思ってしまうよ」
そう言われたとき、私はハッとした。……お兄様は、私のことをよく分かっている。
そうよね、これだけリリーにいいようにされて、どんなに小さなことでもこれ以上なにかを奪われるのは嫌だ。
お茶を淹れる、なんてことでも、リリーをきっかけに何かを失うことを自分に許してしまえば、きっと私はどんどん弱くなってしまう。
結局その時の私は気持ちを落ち着けて、お茶を淹れることができた。
小さなことでも、積み重なれば大きなことになる。
お兄様は、私にそれを教えてくれた。
そんなことを思い出しながら、お茶を飲む。
今日のお茶は気持ちがリラックスできるようにカモミールティーだ。お兄様もわたしも好きなハーブティー。
一息ついて、ずっと考えていることをまた口に出す。
「……セイブスは、どうなってるでしょうか」
行き来することすら難しいほど瘴気が濃くなってしまっているセイブス王国。お父様は、エリックは、クラウス殿下は……みんなは、大丈夫なのだろうか。
「最後に戻った時には、かなり息苦しさを感じたな。きっと、私もアーカンドの空気に慣れてしまったからだろうけれど……それから、相変わらずセイブスはお前を悪者にしたいようだった」
少し前から、セイブスで瘴気がどんどん増していくことは、私のせいということになっているらしい。
お兄様が最後に持って帰ってきてくれた、ビクターさんからの手紙にも同じように書かれていた。
最初は私を信じ、リリーが聖女であることに不安を抱いていた人たちも、そのほとんどが今では彼女に縋り、私を糾弾していると。
『俺は君を信じているよ』
ビクターさんが手紙に書いてくれていたそんな言葉を思い出す。
大丈夫、どれだけの人に憎まれ、蔑まれようと、私には信じてくれる人がいる。
それからビクターさんのところに、時々王宮から衛兵が訪れるのだとか。……私を、地下牢から危険を顧みずに逃がしてくれた彼らだ。とりあえず、なんらかの罰を受けるようなことはなかったとのことで、すごく安心した。
私がアーカンドにいるのではないかと噂が流れるようになり、周りがリリーを信じ始める中で。彼らもまた私を信じ続けてくれているらしい。
それが、すごく心強い。
お兄様と話していると、扉がノックされた。
「こんな時間に誰かしら?」
お兄様に断って扉に向かう。ドアノブに手をかけ、ゆっくりと扉を開きかけた瞬間、一気に扉が開かれる。
姿を見せたのは慌てた様子のリアム殿下だった。
「メルディーナ」
焦ったような顔で、ぽつりと呟く。
「リアム殿下?何があったんですか?」
廊下の向こうがやっぱり騒がしい。騎士たちが走って行き交う姿や、何かを大きな声で指示している様子が見える。後ろでお兄様も立ち上がった気配がした。外の様子を気にしているみたい。
「落ち着いて聞いてください。……精霊王の聖地が、現れました」
思わず、息をのむ。
精霊王の聖地。それは、普段は決して人には見えることのない、人がたどり着けることのない、精霊王様が住む場所。
力を失い、その場所が人の目の前に曝け出された。
それはつまり、ついに今代の精霊王が最期の時を迎えると言うことだった。
「場所は、どの辺りですか?」
「セイブス王国の近くの……あなたと私が、何度も会っていたあの森の中心のようです」
まさか。あの場所が、精霊王様の聖地……!?
黒い狼さんと会っていた場所。いつも、狼姿のリアム殿下が覗き込むように鼻先を向けていたあの泉のある場所。
「今、すぐにその場所に向かうべく騎士団の準備を急がせています。疲れているとは思いますが、メルディーナも準備してくれますか?」
「分かりました!」
「僕もこれから準備します。また後で」
リアム殿下は急いで立ち去る。とにかく私に伝えに来てくれたんだろう。
扉を閉め、その前で目を瞑り、何度も深呼吸する。ついにこの時がきたんだわ……。
セイブス王国からもほど近い場所。きっとリリーやクラウス殿下も現れるはず。
私が生き残れるかどうか、運命の時が来る。




