クラウス殿下の葛藤
メルディーナがいなくなって約1か月が過ぎた頃。セイブス王国には少しずつ、何かおかしな違和感が広がりつつあった。
そんなある日のこと、クラウスは父親である国王に呼び出された。
「聖女の教育はどうなっている?」
「はい、教師陣が急ぎその教育をすすめてはいますが、合格点にはまだ至らぬと報告を受けております」
聖女については、そのほとんどがクラウスに委ねられている。次代の王として、そして聖女と同年代であることからも、国王よりも彼女に寄り添える立場であるクラウスが後ろ盾として適任だろうとの判断だ。事実、聖女自身もクラウスに面倒を見てもらうことを強く望んだ。
「まだなのか?随分と時間がかかっているようだが何か問題でも?」
「いえ、そういうわけでは……」
事実、聖女、リリー・コレイアは特別不真面目なわけでもなく、きちんと与えられた課題をこなしている。しかし、彼女の中に根付いた市井での暮らし、価値観が邪魔をするのか?どうしても根本的な部分で教育が根付かないのだ。
「まあいい。聖女としての本分はマナーや貴族としての教育成果ではないからな……瘴気の被害が各地で報告されているようだが?」
国王の探るような視線にクラウスは一瞬言葉を詰まらせる。
ここ最近、セイブス王国内では以前よりも瘴気が濃くなりつつある。これまでも恐らく少しずつ強くなっていっていたのだろうが、目に見えてその影響が出始めていた。
まず、農作物の収穫が格段に減り、無事に育ったものも例年に比べて随分小さいものばかりだった。そして手入れされずとも景観を美しくしていた野生の草花が枯れ始めた。王宮で屈指の腕を持つ庭師の育てる庭園でも、どこか花に瑞々しさがない。
知らぬ間に家畜が瘴気に冒され、食べた者が倒れるといった事件もぽつりぽつりと起こっている。その都度リリーが瘴気を払うために出向いているが……。そのほとんどが王都近郊であることも注視されていた。
王都は言わずもがな聖女が住まう地。聖女がいるだけでその地は守られるのではないのか?本来ならば、どこよりも清浄で影響を受けない場所のはずでは?
そんな不安も蔓延しているのか、街中では妙に小競り合いやくだらない喧嘩が増えている。
「聖女のおかげでこの被害で済んでいるともいえるでしょう。そうでなければ死人が出ていてもおかしくはないかと」
クラウスとしてはそう言う他なかった。
◆◇◆◇
「兄上!」
自分を呼び止めるその声に思わずため息が出る。
「なんだ、カイル?」
国王への報告を終え、クラウスが自身の執務室に戻ってすぐに、弟王子のカイルが飛び込んできたのだ。
「兄上、聖女様はいまだに恐ろしいことを声高に主張しています。周りも少し困惑しているようですが、兄上はどうお考えなのですか?」
年の離れた弟の、挑むような視線になんとも言えない居心地の悪さを感じる。
「……彼女も不安なんだろう。なにせ自分の命が狙われたのだ。その不安が精神の不安定さに繋がり、彼女の本来の力を発揮できなくさせているのかもしれないね」
王宮内でも囁かれていることだった。聖女リリーは不安定だ。だから瘴気をうまく払えなくなっているのではないか?だから、聖女がいるこの王都でも、これほど瘴気の影響が確認されるのではないか?
だから、彼女の不安を取り除くためにも、どうにかその望みを叶えるべきではないか?と。
「兄上は、今でもまだメルディーナ様が聖女様を害したと信じておられるのですね」
この問答も何度目だろうかとクラウスはうんざりしていた。
「私も最初は何か事情や誤解があるのではと思っていたさ。だが彼女は逃げたじゃないか!」
クラウスだって信じたかった。彼女を愛していたのだ。だが事情を聞こうと貴族牢へ向かった時にはもう彼女の姿はなかった。
あの晩――。
「!!クラウス様!メルディーナ様が……メルディーナ様が!!!」
もぬけの殻の貴族牢の前では顔を青くしたリリーと貴族牢を護衛する騎士の姿しかなく。
「正式な処罰が下される前になにかできることはないかとメルディーナ様を訪ねたいと無理を言ったのです……まさか、あの方が自分の罪に向き合うことをせず逃げ出すなんて……!!」
涙を流すリリーの姿に、クラウスは目の前が真っ暗になるのを感じた。
逃げ出すということは……やましいことがあるということだ。
(君を信じたかったのに……こんな形で愛する君に裏切られるとは……!)
落胆と憤りを感じたのも無理はないだろう。
「兄上は無条件で聖女様のお言葉を信じていますが、私にはやはりメルディーナ様が聖女様を害そうとしたなど信じられません。……そもそも本当にメルディーナ様は貴族牢に入っていたのですか?」
「……何が言いたい?」
「あの晩、地下牢で数人の衛兵が眠らされた状態で見つかった騒ぎをご存じですか?」
確かにその件はクラウスの耳にも入っていた。
収容されている罪人もいないのに、なぜかメルディーナの逃亡騒ぎがあったあの晩、3人の衛兵が地下牢の前で眠らされていたのだ。
「まさか、お前はメルディーナが地下牢に入れられていたと?ありえない」
「またありえない、ですか。兄上、きちんと調べられたのですか?メルディーナ様が聖女様を害されたという件も、あの晩、地下牢で何が起こったのかも」
地下牢にメルディーナが入れられていたわけがない。聖女リリーが証言したのだ。「貴族牢へ出向いた際、逃げ出すメルディーナの後ろ姿を見た」と。そして事情の聞き取りも待たずに逃げ出した以上、メルディーナが自身の罪を認めたようなものだった。
何より、クラウスも全く調べなかったわけではない。それでも事実は覆らなかった。リリーの証言の裏付けは確かに取れたのだ。これ以上の真実を調べるということは聖女を疑っていると取られかねない。
聖女は嘘がつけないのだから。
「……うかつな発言はするな、カイル。まるで聖女の言葉を疑っているみたいだ」
「だから、聖女様の発言を諫めもしないのですか?安心できないから、メルディーナ様の死体をその目で確認したい、だからその体の一部でもいいから死んだと分かる証拠を探してほしいと!聖女様はそう言い続けています!……どうかしているとしか思えない」
「口を慎め!」
そこで話は終わりだった。クラウスはカイルを執務室から追い出し、一人大きく息をつく。
実際、不安があるとはいえ聖女がメルディーナの死体を見たいと言葉にして言い続けることに、眉を顰める者も多かった。中には不信感を持つ者もいただろう。
しかし、聖女を疑うということは神を冒涜するようなもの。カイル以外に聖女を疑うような発言をする者はいない。おまけに、どちらにしろ彼女の望みを叶えようにもメルディーナの死体はまだ見つかってはいなかった。
(王族が聖女の発言を疑うなど……あってはならない)
メルディーナを信じたくとも、信じるわけにはいかない状況が揃ってしまっていた。
クラウスの立場で、自分の気持ちなど優先できるわけもない。
コンコン……
一人葛藤するクラウスの執務室を誰かがノックする。
「――殿下」
幼馴染であり、信頼できる騎士であるニールが、思いつめた顔で立っていた。
次話から3章に入る予定です!
(章分け初めてでちょっと適当……)




