瘴気が与える心への影響
森の中で黒い狼さんと再会して数日、狼さんは毎日のように私に会いに来てくれている。
実はこの森のどこかに住んでいるのかな?とも思ったけど、どうもそういうわけではないらしい。毎日気がつくとやってきて、気が済むまで私の側にいて帰っていく。もう本当にここに住んじゃえばいいのにと思うくらい一緒にいる。私は嬉しいけど……一体どこからきてどこに帰ってるの?
リオ様は時々、思い出したようにぽつりと呟く。
「お前の兄は今日も元気にしているようだ」
「そうですか……」
詳しいことまで話してくれるわけではないから、私が逃げ出した後どういう事態になったのかまでは知らないまま。
「メルディーナが瘴気を払って以来、目立つ程瘴気が濃い場所はないようだね」
「よかった……」
ハンナさんのことを思いだし、黒い狼さんに話したことがあった。
「あのね、この国では私は嫌われる存在だけど、そんな私にも優しくしてくれた人がいたの。この近くのルコロ村に住んでる猫の獣人さんでね。――もう私が人間だと知ってしまったかな……ハンナさん」
狼さんは多分ものすごく頭がいい。私がどんな話をしていようとじっと聞いてくれているのが分かる。たまに耳をピクピクと動かしたり、尻尾で私の足をパタパタ撫でたり。顔を上げたり目を伏せたり、鼻を鳴らしたりして相槌の様に反応してくれている気がする。
他の子達もいつも私の側でくつろぎ、懐いてくれているけれど、やっぱり狼さんは別格だ。伊達に付き合いが長くない。この子が来てくれるようになって、今まで以上に気持ちが軽く、安らいでいるのを自分でも感じる。
「ロキ、なんだか最近嬉しそうね?」
「ん?そうだな……確かに嬉しいよ。メルがよく笑うようになった」
え?そんな理由で?
「……確かに、なんだかすっと心が軽くなった気分で、前よりもずっと笑ってるかも」
「前と全然違うよ!メルが楽しそうだと俺も嬉しい。俺はメルの魔力をもらってるから、メルが満たされてるのをすごく感じる」
にこにこと笑うロキ。
そんなに私の感情をダイレクトに感じているなら、もしかして、セイブスにいる頃は随分息苦しい思いをさせてしまっていたのかもしれない。
私達を見ながら、リオ様が鷹揚に頷いた。
「ここでゆっくり過ごし、傷ついた心が癒されているのも理由の1つではあるだろう。ただ、今までのメルディーナが特別辛く気持ちを押し込められている状態だったんだろう」
「それは……私が愛されず、蔑ろにされていたからですか?」
「何……?メルディーナが愛されず?蔑ろにされていた……?」
ひえ!どうやら私は間違ったみたい!リオ様が一気に剣呑な雰囲気を纏った。
リオ様と話しているとついついなんでもお見通しなのだと思い込んでしまうけれど、そうじゃないのだ。確かにセイブスは瘴気が濃くてあまり見えないと言っていた。
今までセイブスで長い時間、「これ以上に嫌われないように」と気を遣い、人の顔色を伺って気持ちを押し殺していた分、ここでの生活ですっかり気が緩んで言わなくていい本音まで零してしまうことがある。
ちょっとだけ気を付けよう……。
「リオ様!大丈夫です!セイブスにいる頃はそう感じていただけで……今思えば、私にも味方はたくさんいました。必要以上に自分を不幸だと思い込んでいたんだと思います」
本音だった。
そんなつもりはなかったけれど、多分あの頃の自分は自分のことをどこかで「かわいそう」だと思っていた。
確かにエリックには馬鹿にされ、クラウス殿下には疎ましがられていたけれど。
お父様は私に会いたがらないだけで決して私を虐げることはなかったし。ニールも私にずっと優しくしてくれていた。城で働く衛兵や侍女の方たちもそうだ。
全員が全員、好意的ではなかったかもしれないけれど、それは私に対してだけじゃない。そんなのどこにでも、誰にでもあること。
お兄様だって……。
ここで過ごすうちに、お兄様はひょっとして、わざと私を嫌悪するような態度で突き放し、逃がしてくれたんじゃないのかなと思うようになっていた。
貸してもらったローブは大切に保管してある。
今こうして思い返してみて、憎く感じる人など誰一人思い当たらない。
人を憎まずにいられている。これのどこが不幸だったんだろう?
穏やかにそう考える私に、リオ様は呆れるようにため息をついた。
「メルディーナも少なからず、心にも瘴気の影響を受けていたんだ。瘴気は魔力に強く影響を与えるからね。負の感情を強く増幅させてしまう。お前は精霊や妖精たちに魔力を分け与えていて常に魔力が枯渇気味だったからそれくらいですんだんだろう」
「え……?」
「魔力が強いほど瘴気の影響を受けるんだよ。妖精たちは心に影響を受けない代わりに、ダイレクトに命を脅かすことになる。人間よりも精霊たちと密接に暮らし、繋がりの強い獣人たちも、今のセイブスでは生きていくことさえできないだろうね」
だから瘴気の少ないこの場所で、私の心は晴れ、再び明るく笑うことができるようになったのだと、リオ様はそう教えてくれたのだった。




