自覚がなければ、愛には気づかない
遠い遠い記憶が、私を包み込む。
お父さんはいつも私に甘かった。悪いことしても、勉強さぼっても、私を怒るのはお母さんの役目。お母さんは怒ると怖かったけど、いつも笑っていて優しくて温かくて……。
お父さんもお母さんも、間違いなく私のことを愛してくれてた。
怒ってても、笑ってても。怖い顔をしてる時だって、私への愛に溢れてた。
愛されてるって自覚があったから、どんなに怒られても、喧嘩になって酷いことを言われても私は2人を嫌いになったりしなかった。
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「――ろ」
温かい光景が遠くなっていく。
「――きろ、――――」
誰?私ちょっとまだ眠いんだけど。
「――きろ、――…ナ!」
お父さん?お母さん?それともお兄ちゃん?誰でもいいけど、あと5分だけ、寝かせてよ――……。
あと5分したら、ちゃんと起きるからさ。
「――起きろ!!メルディーナ!!!」
大声に導かれるように、一気に意識が覚醒する。
どうやら私は夢を見ていたらしい。体を揺さぶられていたようで、掴まれている肩が少し痛い。目の前には、視界いっぱいに私を睨みつける人。
「え……?お兄、様…………?」
「お前は!一体何をして捕らえられたんだ!!!」
働かない頭で辺りを呆然と見渡す。
広く清潔なベッドの中にいるようだけど、この部屋は見たことがない。整い方からしてどこかの客室のように見えるけれど、セイブス王国の客室よりよほど広い部屋。ここは……どこ?私はどうしたんだっけ?眠りにつく前のことがよく思い出せない。
「いたっ……」
お兄様の迫力に、思わず身じろぎして背中が痛んだ。背中と言うより全身がなんだか痛い。
その痛みが呼び水になって、頭が冴え、記憶の整理がついていく。
そうだ、私はリリーに嵌められ冤罪をかけられ、地下牢に捨て置かれた。そして、衛兵に助けられて逃げ出して、森の前で黒い狼に助けられて――。それからどうなった?
狼さんはどこにいるの?
「お兄様……何が何だか……ここはどこですか?」
「ここはどこ、ですって?」
答えたのは兄ではなかった。子供特有の甲高い声。
いつの間にか、部屋の中に小さな女の子が立っていた。
お兄様が慌てて私から体を離し、その場に跪き少女に向かって礼を執る。
何が何だか分からないままに、咄嗟に私も礼を執ろうとした。しかし体が痛み、瞬間的に硬直し動けずにいる。
「ここは誇り高き獣人の国、アーカンド!お前のような人間が今ここに存在することすら烏滸がましい場所!」
「ここは、アーカンド……?」
アーカンド。一度は来てみたいと憧れた獣人の国。
信じられない言葉に、思わず口に出して繰り返す。こちらを睨む少女の透き通るような黄色の目がより鋭くなった。落ち着いて見ると、その少女の頭には獣人の証である獣の耳が……。
この子、獣人なの?では本当にここはアーカンド?
「罪人はいつだってそうやってとぼける!いいか、分からないと言うなら教えてやろう!お前は許可証もなく我が国に侵入した犯罪者である!……楽に死なせてもらえればいいな!」
何が何だか分からない。反応できない私の代わりに、兄がより深く頭を下げた。
「王女殿下!我が国の人間が申し訳ありません!」
少女――王女殿下が言葉を続けようと口を開いた瞬間、また別の声が部屋に響く。
「ジェシカ。ここで何をしている?」
声の主は部屋の扉に体を預けるようにして立っていた。すらりと背が高く、体格のいい体。さらりと靡いた漆黒の髪と、同じ色の耳と尻尾。何よりも美しいのが、金色に煌めく瞳……まるで、私の大好きな黒い狼さんのよう。あの子がそのまま人間になったとしたら、こんな感じかしら?美しい男の人だった。
思わず見惚れた。
「ふん!ただ様子を見に来てやっただけですわ!」
ジェシカと呼ばれた王女は部屋を足早に出ていく。
「なんだ……?まあいい」
こちらに向き直った獣人の男性に、ハッと我に返る。
その人はお兄様には目もくれず、じっと私を見つめている。
さっき、王女殿下は私を犯罪者だと言った。
「私があなたを見つけ、ここまで連れてきました。どうやら国王はあなたを受け入れるつもりのようだが、他の貴族たちは皆反発しています。当然だ……私が愚か者の目を覚まさせましょう。楽しみにしていると良い。ここにいるのも、あと少しです」
そういうと、彼は一度だけ兄の方を見て、すぐに部屋を出ていった。後にはお兄様と私だけが部屋に残された。
――何が何だか分からない。黒い狼さんはどうなったの?なぜ、お兄様がここにいるの?
だけど1つだけわかるのは。どうも私はここでも犯罪者として扱われているらしい。『愚か者の目を覚まさせる』それはつまり、私を受け入れると血迷ったことを言う国王を説得するということ……?
お兄様が体をぶるぶると震わせ、もう一度私につかみかかった。
「お前はなぜここにいる?」
聞いたことがないほどの兄の低い声に、思わず身震いし、逆らえず、私は覚えている限りのことを話した。お茶会のこと。聖女殺害未遂の罪を問われたこと、地下牢で死にかけながら逃げ出したこと、狼に助けられ、目が覚めるとここにいたこと――。
兄はわけがわからないと数回頭を振り、私を睨んだ。
「とにかく、お前はここでも命の保証はされていないらしい。お前が死ぬのは別にいい、だがここで罪に問われ処刑となると、調べ上げられ私がお前の兄だとバレる可能性が高い。……そうすれば、きっと私も無事ではいられない」
「そんな……そもそもお兄様はなぜここに?」
「私は外交官だ!ここアーカンド担当になったばかりのな!」
お兄様がアーカンド担当の外交官?セイブスがアーカンドとの外交を再開する話があることは私も聞いていた。ただ、とても実現しそうにないただの噂話として……。
「そんなことはどうでもいい!!」
声を荒げたお兄様は、私に向かって灰色のローブを投げつけた。
「私に迷惑をかけたくなければ今すぐそれを着てここから去れ!絶対に捕まるな!……私の妹だとバレる場所で死ぬな」
冷たい言葉を投げつけられながら、事態が上手く呑み込めないまま。私は追い立てられるようにして慌ててローブを着込み、その部屋を後にした。
ドアの前には誰もいなかった。それどころか、不思議なことに誰とも鉢合わせすることなく、廊下を通ることができる。まだ運は私に味方しているみたい。
とにかく、考えるのは後だ。お兄様の言う通り、このままここにいては犯罪者として裁かれ、処刑される可能性が高そうだ。
――私、なんだか処刑の危機に見舞われてばかりね……。
鉢合わせになりそうになる使用人や騎士らしき人達をなんとか躱しながら、どうにか城の外を目指す。当たり前だけど、見かける人は全て獣人だった。
◆◇◆◇
メルディーナを追い出し、部屋に1人残った兄のイーデンは大きく息を吐いた。
彼女は気づかなかっただろうが、あのローブには認識阻害の魔法が込められている。アーカンドを担当し正式に国に滞在する許可を貰っている自分でも、街中を普通に歩くことはできない。獣人側からしても、人間はいまや嫌悪の対象だ。
あのローブは、人間がこの国を歩くには必要なものだった。
(メルディーナ、無事に生き延びてくれ……)
メルディーナは知らない。傷つけるような冷たい言葉で彼女を怒鳴りたてたイーデンが、本当はどんな気持ちでいるのか。
やがてしばらくすると、メルディーナが美しいと見惚れた男が部屋に戻ってきた。
その男をイーデンは知っている。
獣人の国、アーカンドの第二王子。リアム・アーカンド。
部屋にイーデンしかいないことに気付き訝し気にこちらを見たリアムに向かって、イーデンは地に伏すように跪き、頭を垂れた。
「――アーカンドの誇り高き第二王子殿下。どうか、あの子を見逃してはくださいませんか。あの子は私の愛する、大切な妹なのです。……代わりに私の首を捧げます。それでどうか、許してはくださいませんか」
メルディーナは、怒りと無関心に装い隠された兄の深い愛に、気付いていない。




