毒と毒姫⑭
―§交渉§―
巨大な花弁が、甘ったるい匂いを放って揺れている。
校舎の壁を臙脂色の蔦が覆う。月明り、星の光さえ入らない校舎の一室。窓のない部屋に特有の閉塞感が、窓のある部屋に漂い始める。
シャンデリアの灯り。――まだ部屋は薄暗い。
マホガニーの書斎机の上に、紫煙が踊る。
「……許容量をついに超えたか」
諦観は、宙に白い煙の輪っかを作った。
初老の皺の入った顔。男は顔をしかめて、皺を増やす。
男の苦い表情を不安げな顔で、女が見つめていた。
「お館様。あれでは、ランドマークのようなものですよ。あれは目立ってはいけないものです。我々があれを所持していることは、知れてはなりません」
「そうはいっても――」
男は、もったいないといった表情をした。自身の首に下げられた首飾りと臙脂色に閉ざされた窓を、照らし合わせるように交互に眺めた。
「これは可能性の塊だ。魔力とは、熱力学でいうポテンシャルにあたる。それが高ければ高いほど、エネルギーを産出する可能性を秘めている」
おもむろに男は窓辺に立ち、臙脂色に閉ざされたガラスに手を置いた。恍惚とした表情を浮かべ、残りの煙を唇から吐いた。
「これは、宇宙を丸ごとぶち壊すことも、作り上げてしまうこともできるんだよ。美しいことだと思わないか」
にんまりと邪な笑みを浮かべたその瞬間。
ぴきり、ぱきりと窓ガラスにひびが入り始めた。蔦から捕虫器の如く捕食機能を持つ蔓が伸び、部屋の中に侵入してきたのだ。
男は窓から侵入してきた蛇たちに向かい、掌を翳した。紫色の糸でできた結界を張り巡らせ、それ以上の侵入を妨害する。
「とはいえ、制御が効かないとなっては、ただの危険因子であることも変わりはない」
ぱんぱんと手を打ち払う。紫色の糸で格子状に編まれた網は、バリケードとなって蔓の侵入を妨げた。男は、何食わぬ顔だが、女の方はやはり心配そうな顔つきをしている。
「これからどうするおつもりですか。これを誰かに嗅ぎ付けられでもしたら」
「加賀見には手を打ってある。最もそいつが余計なことをしたかも知れんが――」
「妾を忘れてはおらんかえ?」
男の背後からねっとりとした声がした。
「ミラージュは穏やかな性格とその美貌、そして治癒魔法への貢献から人望があった。蘇生魔法を完成させたという噂もあるしのう」
重たい木製の扉を開けて部屋に入って来たそいつは、見かけは齢十もいかない少女のよう。しかし、声色とその笑みには老獪という言葉が似つかわしい。
魔女であることを強く主張するとんがり帽子。そして顔面の左半分を覆う、老木でつくられた不気味な仮面。奇妙な出で立ちをした少女は、ずかずかと部屋の中に上がり込む。
「ゼルディウスは軍事魔法への貢献。特に百年戦争への尽力も語られておる。
じゃが、己がためにしか魔法を使わなかった、欲望の塊は注目さえされんということか――」
「……。ラグドール・モンヴォワザン。いや、こちらでは――」
「簀巻藁葉じゃ。久方ぶりじゃのう。私立柊木高等学校理事長にして、魔導管理局長。柊木紡錘師よ」
この侵入者――簀巻――に、女はあまり良い顔をしなかった。警戒心を攻撃的な表情に変えて、睨みを利かせていた。
「お館様。こいつは危険です。お下がりください」
女は柊木の前に躍り出る。
身を包む袖口や裾から白いフリルの覗くビロードのワンピース。そのスカートの裾をたくし上げ、刃渡りが自身の背丈も越えようかという大鉈を一対取り出し、それらを重ね合わせて、巨大な裁ちバサミを作り上げた。
一対の刃は、シャンデリアの灯りを反射して鋭利な輝きを放つ。
「ほうー。随分と不躾なめかけじゃのう。てっきり玩具でしかないと思うたが、護衛もさせておるのか。安心せい。柊木よ。お前がレプリカ禁制法を敷いておきながら、勤しんでいる趣味を責めはせんでの。ただ、ちいと交渉に付き合ってもらおうと思うてなあ。
単刀直入に言おう。お前の玩具で戦争がしたい」
その一言を簀巻が放った瞬間、女は身を屈めて低い姿勢から裁ちバサミを突き出した。刃先はひとつに閉じられ、挟まれしものを切り刻む。
大動脈、大静脈、胃、心臓。臓器も血管も骨も肉も無差別に切り裂いた。簀巻の身体は胸のあたりでちょうど真っ二つに分断され、どちゃどちゃと血、肉を滴らせた。上半身はぐちゃりと床に転がり、板張りの床に大きな血の池を作った。
やがて、下半身もその場に倒れ込んだ。
「やったの――」
あまりにも手ごたえがない。女はそう思った。まるで向こう側に戦う意思がなかったかのように、簀巻は肉塊となった。――いや、気配がする。
女はぴくりと耳を動かした。――背後? いつ、回り込んだ?
そう思ったのも束の間。女は腰の辺りに鋭い痛みを感じる。
「いいのう。魔女と魔女の闘いは、こうでないと面白くないわい」
ピアノ線の如く鋭利な糸が、ビロードのワンピースごと女の下腹部を貫いている。ピンと張ったそれは、何十にも放射状に分かれて、花が咲くように伸びていく。
「あ、ああ。あああ――」
女の前に力なく転がる簀巻の死体。
そして、女を背後からピアノ線で串刺しにするのもまた、簀巻だ。同じ部屋に、同じ人間が二人いる。
理解を超えてしまったことと、目の前で放射状に伸びていき、やがて背後の簀巻の手元に吸い込まれていくピアノ線に対する恐怖。両方の意味で女はがくがくと震えた。戦意喪失。女は血みどろの巨大な裁ちバサミを床にごとりと落とす。
恐れのあまり極限状態にまで達した女は、やがて股から水を滴らせた。
「命は粗末にせんとなあ」
ぎゅんっと簀巻はピアノ線を手繰り寄せる。
鋭い糸はビロードのワンピースを貫いて、女の身体に下腹部――ちょうどへその辺り――を中心として放射状に肉を裂き、頭から四肢の先まで、女はぶつ切りになった。
床には既に女と、簀巻だったもの、二人分の肉塊が転がっている。
「どうじゃ。柊木、次の玩具をよこしてもよいぞ。妾の分身もごまんとある故、いくつ殺しても痛くとも痒くともない。お前のお気に入りの書斎をカタコンベにしても良いが――」
「交渉に乗ろうか」
「話が分かるのもつまらんのお。もうちっと風情があっても良いものじゃ」
やれやれといった具合に簀巻は、転がる女の肉と、かつての自分の肉の上を蹂躙する。やがて肉たちは融けてどろどろの液体となり、それも蒸発。後には藁人形と、毛糸をぐるぐる巻きにして作った糸人形――ブードゥー人形――が残った。
簀巻と柊木は、書斎の一角にある応接セットに向かい合わせに座った。
革張りのソファーに腰を下ろすや否や、簀巻は懐からプラスチック製のパックを取り出す。
それを開くと黄土色の臭気を放つ、ねばねばしたものが。
簀巻はその匂いを鼻孔をひくつかせて堪能した後、カツオの香りがするつゆと、鼻を刺す臭いのする辛子を加え、箸で丹念にねりねりとかき混ぜ始めた。
「……いや、なんで納豆をねりねりし始めたんだ。交渉は?」
「腹が減ったんじゃ。仕方ないじゃろう。――ああむ、んまい」
簀巻は箸先から唇までをぬらぬらとした糸でつなぎながら、話を移す。
「交渉というのは、あれを引き渡してもらいたいと思うての」
「あんなデカブツをどうなさるおつもりで」
「あれを受け取るのは妾ではないぞ。別の魔女じゃ。妾の知り合いでの。ちょうど、この場に呼んでおる。――迦楼羅、ついでじゃ。茶を用意しろ」
板張りの床に、光る魔法陣が現れ、そこからぬうっと背の高い女と、その側近である一つ目の男が現れた。
女は迦楼羅という名の、中国の魔法使い。とんがり帽子から黒いベールが垂れさがっていて、素顔はよく見えない。口元の白い肌と紅い唇だけが覗いている。身を包むのは黒い中華服。
「迦楼羅と申す。お見知りおきを。こちらは私の傀儡の娃娃だ」
側近の男はというと、ひとつ目を宿しただけの頭部にあとは黒で塗りつぶしたような簡素な身体。明らかなレプリカだ。
「娃娃。お茶を注げ」
迦楼羅の命にこくりと頷く娃娃。
懐、真っ黒に塗りつぶされた闇の中から金箔の塗られた急須を取り出す。やけに注ぎ口が長い。そして茶器を三人分用意する。ラジカセを取り出し、その音色に合わせてしなやかな舞を踊り始めた。
イーチャ、オイシイ、メチャオイシイ、カーオリターカーク、イケテルジャン♪
イーチャ、オイシイ、メチャオイシイ、カーオリターカーク、イケテルジャン♪
「……簀巻」
「なんじゃ?」
「この歌と舞に何か意味はあるのか」
「妾も無駄じゃと思うておる」
うんざりしたような面持ちを浮かべる簀巻。
迦楼羅はその会話を小耳に挟んで、不機嫌な咳払いをする。
「がたがた言うな。これは中国四千年の歴史が産んだ太極茶道だぞ」
「迦楼羅。お前、中国四千年という言葉言いたいだけじゃろ?」
「な――、だ、断じて違うっ」
口ではそう言うが、明らかな動揺が。
それを落ち着けるために、娃娃の注いだ中国茶を飲む。
「柊木と言ったか。あのデカブツを引き取りたい。こんなことになってしまって、困っているだろうからね。なあに、アクセス権はしっかりと残しておく。その代わりちょっとこっちにも使わせてもらいたい。
中国に竜頭という、面白い取引相手がいるんだ」
平静を取り戻した迦楼羅は、黒いベールの奥で紅の笑みを浮かべた。
<おまけSS その105>
柊木「そういうわけで、新年早々初登場の重要キャラだから、覚えておくれ」
めかけの女「でもあなたは、むしろ第二部がメインでしょう」
柊木「――まあ、そうなんだがなあ」
めかけの女「ところで今夜はどのように、いたしましょう?」
柊木「あとの控えと合わせてご自由に。私を満足させてくれ」
めかけの女「そうですか、ときにあの校舎の怪物ですが、ものすごくビオランテに似てますよね」
柊木「それを本編でまんま書くと怒られるぞ」
<おまけSS その106>
簀巻「ああむ。んんー。お餅に納豆の組み合わせも美味じゃのう」
テオドール「あの、簀巻様」
簀巻「なんじゃ? 今回出番のなかった妾の使い魔」
テオドール「いや、ちょっと今回のお話でおかしいと思った箇所があったのですが――」
簀巻「なんじゃそりゃ?」
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簀巻と柊木は、書斎の一角にある応接セットに向かい合わせに座った。
革張りのソファーに腰を下ろすや否や、簀巻は懐からプラスチック製のパックを取り出す。
それを開くと黄土色の臭気を放つ、ねばねばしたものが。
簀巻はその匂いを鼻孔をひくつかせて堪能した後、カツオの香りがするつゆと、鼻を刺す臭いのする辛子を加え、箸で丹念にねりねりとかき混ぜ始めた。
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テオドール「ほらっ! マジックカットに失敗した描写がカットされているっ!」
簀巻「いや、あのときはたまたま成功したんじゃ!」




