禁制魔法⑧
<another side>
教室の廊下は、穴ぼこだらけになっていた。リノリウムの床には壁や天井が崩れた残骸が無惨に散らばり、凄惨な状態だ。
そんな足下がおぼつかない中で、さらにおぼつかない足取りでいるのが日秀だ。いつもかけている眼鏡が、吹き飛ばされた衝撃でなくなってしまったのだ。四つん這いになって、しきりに床をたたくような仕草をしている。どうやら、普段かけていた眼鏡はかなり度がきつく、それがない今は目がよく見えていないらしい。
「眼鏡、眼鏡……」
プールの中で目を開けたときのような、ぼやけてしまった世界の中で、フレームの細い眼鏡を探すというのは、なかなかに困難だ。おまけに瓦礫が散乱している中でだ。掌にガラスの破片が食い込み、赤い血がぽたりぽたりと染みをつくる。それでも、心許ない視界のままで過ごすわけには行かない。
「あ、あった!」
どたどたと手を突き回っているうちに、やっとのことで眼鏡を探し当てる。これで心許ない視界が少し回復するかのように思えたが、眼鏡を取り戻した視界はなぜかぐわんぐわんと回り回って、気持ち悪いことこの上ない。足下がふらふらで、余計に足下がおぼつかなくなってしまった。
「これちょっと、度が薄いんだけど……」
日秀がふらついているところに、少女の声が。教室の廊下ではち合わせたふたり。お互いの顔を見合わせて、状況を悟る。両方が互いに度の合っていない眼鏡をかけてしまっているのだから、考えられる状況はひとつしかない。
「あの……、眼鏡かけちがえてませんか?」
日秀と街田、ふたりは声を合わせた。ふたりの眼鏡があべこべになっていたのだ。街田の眼鏡はフレームが赤で、日秀のそれはフレームが青だが、必死に眼鏡を探している状況ではそれを取り違えてしまっても仕方がない。おまけに、どちらもフレームの細いものだったので、ぼやけてしまった視界では、その区別は用意ではなかった。
あべこべの眼鏡をかけてしまった者同士。なんとなく、ふたりの間に気まずい緊張が走る。
「それ、あたしのっ。返してっ」
街田はとがった瞳で日秀を睨みつけ、乱暴にその耳にかかっていた赤縁の眼鏡を奪い取る。突然の粗暴な振る舞いに日秀は動揺する。なにか怒らせるようなことでもしたのだろうか。
「ご、ごめん……」
「ほら、返すわよっ」
そして返すときも、荒っぽく突き返すといった具合だ。
「あの……、もしかして怒ってる?」
「何をよ――」
「いや、パンツ見たこと……」
「蒸し返すんじゃないわよっ! このスケベッ!」
デリカシーのなさすぎる発言に街田は手をぶんぶんと振り回して、集るハエを払うようにして日秀を遠ざける。相当に気が立っていたのだから、火に油を注いだといったところ。やがて吐き捨てるかのようにため息をひとつ。
「まったく、どいつもこいつものん気ね。――あんたたちは、明日自分が死ぬとか、考えたことないんでしょうね」
頬に一筋の河を走らせ、宛てつけな物言いをする。
父親の魔力を頼りに生きている自分が、一度は死んだはずの自分が、今さら死ぬのが怖いと力を求めている。無様なのも、それがエゴでしかないことも、そんなことは街田自身が一番知っていた。
「……、ごめん。無遠慮なこと言ってしまって、え、えっと……、名前が分からないから、縞パンさんでいいかな?」
「現在進行形で無遠慮なこと言ってますけどっ! 人をパンツの柄で呼ぶ奴があるかっ! 街田だ、街田っ!」
「街田さんは、お父さんのおかげで生きている。でも、それももう長く続かない。……、確かに俺は、明日自分が死ぬだとか、そんな切羽詰まったことは考えていないよ。苦しいとも辛いとも思うけど、俺にも俺の守りたいものがある。だから、唯には手を出さないでくれっ」
お願いだっ。そう念を押して頼み込む日秀。だが街田も、そこで首を縦には振らない。彼女は、頭を下げる日秀を差し置いて、瓦礫の転がる廊下をつかつかと歩き始めた。
「唯が持つ力は、あたしが生きる意味なの」
天井が崩れて、上の階が覗いている。
日秀と唯と美月。三人の前に街田が現れたところまでやってくると、廊下に面した教室は、これまたひどい有様。廊下と教室を間仕切る壁は崩れて、中に並べられていた机はどれもこれもが倒れ放題。崩れ落ちた天井で瓦礫の山に、割れて大穴が空いた黒板。爆発でもあったのかという惨状だ。
そんな中で、とんがり帽子を被った幼い少女としか見えない魔女が、背の高いもうひとりの魔女と見合っているというのは異様な光景だ。
「見て。面白いものが見れるかも知れないわ」
街田が指さす先に映っていた光景に、日秀は目を見張った。
とんがり帽子の魔女、簀巻が持っていたのは、刃渡りが自身の身長を優に超えようかという大鉈。傍からは幼い少女としか見えない簀巻きが、そんな大物を軽々と扱っていることも目を見張るに値する。しかし、左腕をぶった切られ、血をぼたぼたと垂れ流す美月の様子には、視線を置かずにいられない。それも、彼女の左腕の周りは空間が歪んでいるようで、陽炎のごとく揺らめく透明な球体の中では、まだ彼女の腕はつながっていた。
「魔法は、常識を超越する力。時の流れる速さを変えることもできる」
時の流れる速さの違いによって生み出される時空の歪みが、美月の左腕の周りを覆っている蜃気楼のような揺らめきなのか。その外には、おびただしい量の血だまりが広がっているのだ。たとえ時の流れが遅れていても、行き着く先は出血多量による死のみだ。蜃気楼の中で、ゆっくりとゆっくりと彼女の腕は切断されていく。こんなもの、死までの苦しみを悪戯に長引かせるだけではないか。
「月の魔法。時間の流れを遅らせることはできても、逆戻りはできない。この刃はお前の心臓に届いている。力はむげに使うものではないぞ。今更、時間を引き延ばしても何の得にもならん」
簀巻が日秀の思ったままを口走る。
そうだ。致命傷で死を待つのみのところを引き延ばしたって。それに美月の身体には、大鉈の刃が肉を抉り、血がほとばしり、筋肉や神経、血管がちぎれる凄まじい痛みが走っているはず。なのに、どうしてか、彼女は笑っていた。
「木枯くん、甘ったれないで。そんなの木枯くんじゃないでしょっ!」
そして、美月は日秀のよく知る友の名を呼んだ。
ちょうど、彼女の隣で呆然と口を開けている少年だ。自分の無力さをよく知っていて、だから目の前の光景に圧倒されることしかできない。
「いつだって、あたしを助けてくれたじゃないのっ! だから今度は、あたしが木枯くんを助けるんだって、こんな気持ちにさせた責任くらい、取らないと承知しないんだからっ!」
「ごめん、美月さん。それはきっと誰か違う――」
「うるさいっ、木枯くんはあたしを助けてくれたんだもんっ」
「俺には魔法なんて使えないっ、美月さんを助けることなんてできな――」
「木枯くんに魔法の才能だとか関係ないっ! 木枯くんは、木枯くんなのっ! あたしの大好きな、ヒーローなのっ! 信じろ、バカっ!」
彼の戸惑いなんて、美月は意にも介していないようで。彼女の中の「木枯くん」を彼に押し付ける。
でも、よく知る限り、彼は凡庸な少年で。今目の前で起きている非日常極まりない事態をどうこうできるわけではない。
日秀はそう考えていた。
それは、彼――唯自身も一瞬はそう思った。
だが、それはすべて塗り替えられてしまった。
日秀の視界の中で、唯が叫ぶとともに、その右腕から淡い蛍光グリーンの光が広がった。まばゆい閃光に包まれる中、日秀の目には唯の右腕に紋章のようなものが、右腕から放たれたものと同じ蛍光グリーンに光って浮かび上がっているのが映った。
『魔法は、常識を超越する力』
街田が言った言葉が、日秀の脳内で反響する。
まさに、常識が超越された瞬間だった。左腕をぶった切られて、血をぼたぼたと垂らしていた彼女が、無傷で立っている。床にはべったりと血だまりが残っていて、なのに、彼女の肌には傷も血の跡も残っていない。
「見た? 彼は助かるはずのない彼女の致命傷を治したの。彼女が死ぬという運命を変えた。彼が持っている力は、あんなものじゃない。――彼は、死んでしまったものさえ、塗り替えられる。そんなものが目の前にあると知ったら、欲しくて……欲しくて、たまらなくなるというのが人間の性じゃない」
街田は教室のひび割れた窓ガラスに手を当てて、すりガラスの目に爪を突き立てて、カリカリと音を立てる。歯をぎりぎりと嚙み締めて、口を歪める。
「あんただってそう思うでしょう?」
その声は、日秀の頭の中で深く反響した。
常識を超越する力。それを以ってして、自分は何をしたい。ぼんやりと思わず想像する日秀。
「人間はね。できないことを諦めることは簡単なの。だけど、できることを諦めることはとっても苦しいことなの」
街田の言葉が、心の奥底に呼びかけてくるようだった。
記憶の片隅に、心の奥底に。いや、そうじゃない。もっと普段から知らぬふりをしてきた、その感情が。余計な心配をかけさせまいと我慢してきたその感情が、呼び起される。
『また父さん、海外に行くの』
『ああ、でも日秀はもう高校生なんだから、大丈夫だよな』
頭の中に浮かぶのは、もう慣れた父との会話。
「あんたにだって、変えてしまいたい現実くらいあるでしょ?」
変えてしまいたい現実。――ないわけではない。
だけど、日秀は首を横に振った。
「だけど、そのために唯をどうこうしていいわけじゃないっ」
反論をした日秀に、街田は一瞬唖然とした表情を浮かべる。やがて、何かをかみつぶすような口の動きをしてから、眼鏡のレンズ越しに攻撃的な眼差しを差し向ける。
「いいわよ。どうせ、木枯唯は、あたしにとって、そのための存在でしかないもの。彼の力が欲しいだけで、彼のことなんてどうでもいいの。なんでって、あたしにとって、彼自体は何の存在でもないからよ。あんたみたいに、友達だとかいうおめでたい関係じゃないの。赤の他人をどうこうするべきを、赤の他人に指図されるいわれはな――」
「だったら、俺がなってやる」
日秀が思ってもみないことを言ったので、街田はあっけにとられた。目を見張るようにして、後ずさりをする。
「な、なにを言ってるのよ」
「俺がお前の友達になってやるって言ってるんだ。友達の指図くらいは聞いてくれるよな」
<おまけSSその59>
安奈「それでは、パッチワークソウル連載一周年、おめでとうございまーす! いやあ、それにしてもまさか、この小説が一年持つとは思わなかったわー」
雷雷「そうね、はじめなんて、あたしのキャラだいぶ模索中だったし。その過程で、スケベキャラやら、子供嫌いだとかいろいろな属性つけられて、激辛メシマズキャラはまだしも、最近全然中国キャラじゃなくなってきているしっ」
三井名「あれ、でもちょっと待って、その前に、あたしたちって半年近く本編での出番ないよね」
雷雷「じゃ、じゃあ……、キャラがどうこう以前に存在が危ないってこと?」
安奈「これはまずいわ。パッチワークソウルきってのギャグ要因存命の危機よ!」
三井名「じゃあ、あたし作者に抗議しに行ってくる。あたしたちの出番と、美少年のカップリングを増やせと抗議してくるわっ!」
安奈「後者は単なるお前の願望だろうがっ!」
<おまけSSその60>
風香「あたしの本編での活躍もなくなって久しいんだけど」
荒「今はメインが、唯のまわりで展開されているから仕方がないだろ」
風香「あたしのお兄ちゃんの隣にずっと、あの泥棒猫が出ているかと思うと虫唾が走って仕方ないわっ。ちょっとあたし、あの泥棒猫とお父さんをこの作品から永久追放するように抗議してくる」
荒「いや、なんで私まで永久追放されてるんだよっ!」




