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パッチワークソウル 第一部  作者: 津蔵坂あけび
Chapter 3. そして俺は恋を知る。
26/53

禁制魔法④


<main side>


 真っ暗闇の中、俺の意識だけが目を覚ます。

 自分の姿は見えているが、感覚がついて来ていない。こんな奇妙な感触も、三度目か。俺は、幻覚魔法と白昼夢には奇縁でもあるらしい。


 室内灯が俺を感知して、ひとりでに点いたように、部屋の中を照らす。目覚めた場所は、部屋だった。どこにでもあるマンションの一室のような、何の変哲もないフローリング床の部屋。だけど奇妙なことに窓はない。


 部屋の中には、おままごとセットや、着せ替え人形。洋風の一軒家や洋館のミニチュアに、小さな可愛らしい人形が住んでいるもの。いかにも、女の子のためのおもちゃが並んでいる。


るい。ほうら、お人形さんだぞ」


 優し気な、男の声が聞こえた。


「今日はね、お父さんにカレーを作ってあげるの」

るいは、本当に料理が上手だなあ」


 声に混じって、幼い女の子の声がする。ふたつの声は、仲睦まじい親子のように笑い合う。ところが、その声の主は部屋にはいない。誰もいない部屋の中で、オルゴールが鳴り響き、人形がひとりでに歩き、プラスチックでできた野菜が、くっついたり離れたり。それに合わせて笑い合う親子の声。全てが周期的に、ぐるぐると繰り返されていた。


(なんだ……、ここは……?)


 前にも、見知らぬ部屋で目が覚めたことがあった。

 女の人がぬいぐるみに刃をねじ込んで、ぬいぐるみがもがき苦しみ、血を流す。女の人は、「こんなの唯じゃない」とうわごとを呟きながら、涙ながらにぬいぐるみを殺していく。唯じゃない。俺じゃないという理由で、殺されていく有象無象の、俺になれなかったぬいぐるみたち。

 だが、今回の部屋は、あのときのものとは違う。内装も、俺に突きつけられる内容も違う。少なくとも、ぬいぐるみが血を流す夢なんかよりは、よっぽどいいものだった。


 だが、そう思ったのも束の間だった。

 突如として、床の一部が崩落し、穴が開いたのだ。穴の底では真黒な闇が渦巻いていて、中からはしくしくと泣く女の声がしていた。


 覗き込むまでもなく、穴は縁からがらがらと崩れて大きく広がる。俺はその闇の中に呑み込まれる。


 階下の部屋の床に、叩きつけられたようだ。薄暗く湿った、相も変わらず窓もない部屋。さっき聞こえていた女の泣く声は、けたたましいほどにまで大きくなっている。


「うぇっほ、えっほ」


 部屋には、血が腐ったような鼻を刺す饐えた臭いが充満しており、思わず俺は嘔吐いてしまう。

 そして今度は部屋の中に、饐えた臭いを放つ主も、泣き腫らした声の主も存在していた。


「おとう……さ……ん……」


 少女は、饐えた臭いを放つ腐乱した死体に寄り縋っている。泣き腫らした声で、お父さんと呼びかける彼女の身体は、骨と皮という形容がふさわしいほどまでに痩せ細っていた。

 だが、どこかで見覚えのある風貌だ。そう――


『木枯唯、突然だけど……。ここで命を頂くわ』


 自分に向かって奇襲を仕掛けてきた、眼鏡をかけた魔女と後ろ姿が似ている気がする。そう思うと、声も同じもののように聞こえてきた。


「……、ねえ、お父さん。お腹空いたよ」


 ただ少女の姿は、影のようになっていて人相を確認できない。

 なによりも、腐乱して肉が崩れた死体の惨たらしさのせいで、彼女を注視することができない。


「もう、我慢できない……。あたしだって、生きたいもの」


 だが、目の前の少女は、さらに目も当てられない行動をする。


「お父さんなら許してくれるよね。お父さんは言ったもの、あたしに生きて欲しいって! だから許してくれる……よね……?」


 少女は、お父さんと呼び慕う、その死体の肉に犬歯を突き立てたのだ。涙を流しながら、己の空腹に抗えず、自らの父の死体を喰らう少女。声を上げて、泣きながら、喘ぎながら、少女は父の死肉を咀嚼する。


「お父さん、ごめんなさい。お父さん、ごめんなさい」




「うぇっほっ! えっほっ!」


 たまらず嘔吐き、耳を抑え、目を閉じる。目の前に広がる光景も、鼓膜をまさぐる咀嚼音も。なにもかも、五感の全てを遮断してしまいたくなった。


「冗談じゃないっ! なんだよ! これは!」

 

 音をあげた俺に、背後から足音が忍び寄る。振り返ると、そこに俺を襲ったあの眼鏡をかけた少女がいた。両の頬にうっすらと涙の河を流し、真っ赤に腫れ上がった目でこちらを睨み付けている。


「……、冗談じゃない。あなたもそう思うでしょう?」


 眼鏡をかけた少女は、腹を抑えて屈んだ俺の顎を引っ掴んで、引きよせた。小柄な彼女との体格差のせいで、俺はまだ身をかがめた格好になっていたが、その華奢な腕からは尋常じゃない力強さを感じた。抵抗できない。


「あたしはね、幼いころに一度死んだの。でもお父さんがあたしを助けてくれた。文字通り、命を賭けてね。あたしという存在を生かせるためにお父さんは、自らの生命を全てあたしに注ぎこんだ。

そのせいで、お父さんは目覚めることもなく、もう七年も植物人間の状態よ。でもね……、それってね、みんなあたしのせいなんだ。あたしが生きているから、お父さんは苦しむけれど、あたしは怖くてお父さんのために死んであげることができない」


 彼女は俺の顎にやった手を振りほどいて、肩に爪を食い込ませて掴みかかる。


「お父さんとともに生きる方法を探す。それが自分の罪滅ぼしになるの? それとも、あたしは、死にたくないだけの臆病者? あたしが生きていることが間違ってるの? あたしは生きちゃ駄目なの? お父さんを救いたいけど、あたしはお父さんを救えないっ! なんでって? あたしがお父さんの命を削っているからよっ! お父さんは、あたしに生きて欲しいと言ったのに、お父さんのためにあたしが死ななくちゃいけないっ!」


 俺の肩を揺さぶり、返答する間も与えずまくしたてる。そして今度は、急に力を失ってだらりと俺の肩にもたれかかった。うつむいた顔からは、大粒の涙が滴り落ちている。


「……おまけにもう、お父さんは、あたしのために力を使い過ぎてね……。もう、永くないみたい……。あたしが踏ん切りがつかなかったせいで、お父さんは苦しみ続けて、あたしとともに人生半ばで死ぬのっ!」


「そんなあたしを差し置いて、みんな、好き勝手に生きていく。あたしを置いて大人になっていく。死ねないあたしのことなんて、知ったこっちゃないのよっ!」


 薄ら笑いを一瞬浮かべて少女は、俺を突き飛ばす。床に転がった俺を、引きつった笑みで見下ろす。笑顔という字面とは裏腹に、見るものを怯えさせるほどの悲壮に溢れている。両の眼からは、だらだらと涙の河を流し、眼球は渇きを訴えて、血走っている。


「こんな冗談……、あなたは耐えられる? だから……、あたしはお前の中の、あの人が欲しい」


 彼女は俺に覆いかぶさって、両腕を床に押さえつけた。仰向けになった俺の眼球を、抉りとらんばかりの目つきで覗いてくる。


「木枯……鏡花……」


 彼女は、俺の母親の名を口走った。俺がかつて、忘れさせられていた母親の名前だ。


「禁制魔法を破ったその力が、あたしには必要なの。それで、あたしは‘出来損ない’から、‘完璧’になることができる。あなたと同じ――」


 彼女の手が華奢な少女のそれから、鋭利な鉤爪を生やした禍々しい獣のそれに変わる。彼女の鉤爪が、俺の左胸の皮膚に抉りこんだ。鮮血が噴き出して、彼女の頬に真っ赤な血飛沫がかかる。


「うあああああああああっ!」


 あまりにもの痛みにもがき苦しみ、叫び声をあげる。左胸の皮膚の肉を巻き込んで、抉り取り、尚も奥深くへと彼女の爪が食い込んでいく。俺の心臓を抉り取ろうとでも言うのか。


「もう少しだよ、お父さん……」

 

 薄ら笑いながら、涙を流しながら、俺の左胸に腕を食い込ませていく。その姿は、とても、この世のものとは思えない。ここで俺は、心臓を抉り取られて、死ぬのか。そう思いかけたそのとき、声が聞こえた。


「駄目っ……、彼女に、心を許しては……」

 

 声は美月のものと似ていた。脈絡なく俺に好意を寄せて、愛してるなんて言ってきた美月。俺の隣の位置をキープして、妹には喧嘩を仕掛けられた。でも、俺が襲われたときは、必ず、俺の目の前に立ちふさがり、楯になってくれた。


ごめん。美月さん、俺は守られてばかりだな……。おまけに、最後に、守られることすらできずに、死んでしまうなんて――いや、それこそ。そんな冗談こそ、耐えられるかっ!)



 痛みに喘ぐ身体を奮い立たせ、左胸にねじ込まれている腕を引っ掴んだ。


「なっ!」


 動揺したその隙を逃すものか。身体を回転させて、床に押さえつけ、雄叫びで痛みを紛らわしながら、彼女の腕を引き抜いた。だが尚もあきらめの悪い彼女は、跳び起きて俺の鳩尾に蹴りを入れる。再び俺は床に転がる格好になった。

 抵抗の意を見せた俺に、鷹のように鋭い目を向ける。もう一度、振りかぶってから、禍々しく変化させた右腕が伸びてくる。


 だが、それは突如として、俺を囲うようにして現れた光の壁に塞がれた。何が起こったか分からず動揺する俺と彼女。俺の右腕に、丸い宝玉に植物の蔓が絡みついたような紋様が浮かび上がる。俺を囲んで現れた光り輝く壁と同じ。橙色に燃え盛っている。

 まるで俺が魔法を使ったみたいだ。だけど、俺にそんな意思はない。


「触れさせないっ! この子には、唯には触れさせないっ!」


 また美月の声だ。だけど、拳をがたがたと震わせる、眼鏡をかけた少女には、その声の主が違うように聞こえていたようだった。


「鏡花……、どうして、あたしを拒むっ」

「……あなたは、唯じゃない」


「私は、唯にだけ、力を使った。私の愛する――」

「ふざけるなぁああああああああああああああああああああああああっ!」


 少女は声を上げた。怒りのあまり、肩で息をしている。


「禁制を、自分の息子のために破れて、あたしには破れない? お前は、息子だから、家族だから特別視されて、あたしは他人……。どれだけ、あたしが惨めでも、他人は他人? だから、あたしのために禁制は破れない?」

 

 彼女の怒りの矛先は、俺というより、美月の声に向けられているようだった。いや、その前に声の主は美月なのか。彼女は、その声を、俺の母親、鏡花だと思っている。――俺は、母親の声を知らない。


「唯じゃない? あたしは、唯じゃない? あんたの息子じゃない? ああ、そうさっ! だから何だ! だから何だっていうんだっ! それで……、あたしが生きていけないことになるのかよっ!? ふざけるなっ! ふざけるなぁあああああっ!!」


 なんて自分勝手な怒りなんだろう。そう感じた。

 でも俺は彼女を、自分勝手だと責められない。そんな心無いことは、――言えない。何も言葉が見つからなかった。彼女を救う言葉が、心のどこにも見当たらなかった。

 彼女は膝を折り、もとの華奢な少女のそれに戻ってしまった拳で、床を殴りつける。どうしようもない悔しさが、音色とともに反響した。


 彼女の背後から、死体を食べていた少女が、真っ黒に塗りつぶされた顔面をこちらに向けてきた。何かを訴えるように真っ黒な顔から、真っ黒な涙を流していた。


 その涙は、いつしか俺にうつっていた。


 そこで、俺の意志とは無関係に、俺を囲う光の壁が、爆炎のように押し広がって、彼女の身体を吹き飛ばした。俺に見せられていた幻覚ごと吹き飛んで、薄暗い部屋はガラス細工のようにくだくだに砕け散った。

 破片の雨が教室の廊下に降り注ぐ中、彼女は床に突っ伏して泣いていた。


「あたしは……、生きちゃいけないの? あたし……は……、お父さんを救えないの?」


 打ちひしがれて、立つことすらできないでいる彼女の背中に、無責任な俺の唇が動いた。


「……ごめん」


<おまけSSその51>


たとえば、さるかに合戦


 意気揚々と自分の小屋に帰る猿。ばちばちと囲炉裏の火を焚いていると突然、焼けた栗が猿の顔面目がけて飛んで来たのです。


「あちちちちちっ!」


 慌てふためく猿。火傷した顔を冷やそうと水瓶を覗き込みます。すると、今度は、蜂がぶんぶんとやって来て、執拗に刺してきます。


「うわわわっ! あっち行けっ!」


 たまらず、小屋を飛び出したところ、牛の糞を踏んでつるっと滑ってすってんころりん。


「ぐえっ!」


 転んだところに、屋根から臼がずどんと落ちて来て、猿は押しつぶされて死んでしまいました。



風香「あたしの洗濯ものとお父さんのを一緒にしたら、こうなるから」

荒「いや、割に合わねぇよ」



<おまけSSその52>


たとえば、ミダース王の神話


 ミダス王は、自分のブドウ畑にディオニューソスの育ての親であるシーレーノスが、酔っぱらって横たわってるのを見て、親切心から彼をディオニューソスのもとへと、連れて行ってあげました。育ての親を救ってくれた恩人に、ディオニューソスはこう言いました。


「お前が望むものを何でも、お前に託そう」


簀巻「では、私が触れるものなんでも全てを、納豆に変える力を――」

テオドール「やめろ」



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