禁制魔法①
<another side>
夕暮れ時。赤みがかかった日差しが窓から降り注いでいる。
男は今時にしては珍しい、しっかりとした書斎で調べ物をしてい。書斎の仕事机の上には、羊皮紙でできた白紙の本が広げられている。
読んだり、調べたりというよりは、日記でも書こうとしているように見える。
そして男は、インク瓶に浸かった羽ペンに向かって話しかけ始めたのだ。
「――では、私の記憶に作為的な欠如が見られると」
すると、男の声を受けて羽ペンが紙面の上で踊り始める。しなやかで、かつ綺麗に整った字体で文章が綴られる。その内容は男に対する返答のようだ。
‘ええ。あなたの妻と、あなた自身の息子に関して。前者に至っては、配偶者にも拘らず、ごっそりと。まるで、あなたと出会っていないかのように’
‘でも少し前まで、あなたは自分にかけられた記憶の修正に疑問すら抱けないでいた。それが――’
「……、奇妙なことにね。違和感を持ち始めたのは、結婚指輪を盗まれた時からなんだ。まるで、ずっとかけられていた呪いから、解放されたかのような感覚だったよ」
皮肉ね。羽ペンは吐き捨てるように、少しだけ荒っぽい字体でそう記した。夫婦の契りを交わすものに、それを忘れさせる魔法がかけられていたとは。誰が何のためにそんなことをしたのか。男にはとんと分らなかった。
男が首をかしげると、それに合わせて羽ペンも軸を傾ける。
すると、男の背後で南向きの書斎の窓からガタガタと音が鳴った。内側からでないと開かないのにもかかわらず、鍵がひとりでに動いたのだ。だが、男は動じずに開け放たれた窓の向こうから降りてくる影を凝視していた。
「記憶魔法か。荒、いよいよお前もボケが始まったか?」
影は、顔の左半分を不気味な老木の仮面で覆っていた。頭にかぶっているとんがり帽子は、彼女が魔女であるということを示している。魔女は窓枠を跨いで書斎に土足で上がり込む。そして、懐から納豆パックを取り出して、男の眼前へと突き出す。
「物忘れがひどいなら、納豆でも食べるが良かろう。納豆は健康に良いからのう」
「わざわざマーケティングに来たのか。簀巻」
「まあまあ、カリカリするな。そろそろコイツを返そうかと思ってのう」
ぱかりとジュエルケースのような音を立てて、納豆のパックが口を開ける。発泡スチロール製の容器の中に、納豆まみれになった荒の結婚指輪が鎮座していた。昨日、彼女が強奪したものだ。
「いや、なんで納豆まみれなんだよ」
「固いこと言うな。キャラ付けじゃ」
「いや、もう充分だよ! 充分あんたキャラ濃いよ!」
粘りのある糸を垂らす銀色のリングを苦い顔をしながら受け取る荒。手に触れた瞬間、脳裏に声が聞こえた。懐かしい声だ。懐かしいと感じたのは、きっとその声の主をずっと忘れさせられていたからだろう。
『ごめんなさい。私は耐えられなかったの。私は過ちを犯してしまった。だから、私はいなくならないといけない』
『あなたには、迷惑をかけてしまうけど。二度目は許されないの。一度目の過ちで、あの人は狂ってしまった。あの人は二度目を許さない。だから決して、あの人に見つかってはいけないの』
声色はひどく憂いを帯びていた。ひたすらに語られるのは、自らが犯した過ちに対する懺悔。声の主は、取り戻した記憶をたどるに、自分の妻のものに相違ない。
だがまだ不完全だ。まだ繋がらない。それが全て繋がれば、自分が実の息子を手にかけたという悪い冗談も合点が行ってしまうのか。荒は、真実を知りたいような、これ以上知りたく無いような宙ぶらりんの心境だった。ぶら下がりゆらゆらと揺れる心臓にずどんと簀巻の声がのしかかる。
「彼女が犯した過ちこそ、禁制魔法じゃ。この世に毒を生み出す禁制魔法。妾の読みは当たったのじゃ! この指輪の解析で全て判明した! 荒、お前の妻は毒姫じゃ! 今に神の裁きが来るじゃろうて!」
両手を広げて、目をひん剥いて、簀巻はけたけたと笑いながら叫ぶ。だが、笑い事ではない。魔導士たちの間で語り継がれている毒と毒姫の伝承では、「毒は世界に破滅をもたらす」と。毒の正体が何なのか、実のところは定かではない。「膨大な魔力の塊」だとか、「世の理を乱す歪みを修正するもの」だとか。長い歴史の中で、いろいろな尾ひれがついてしまっている。
だが、どう転んでも、それが大事であることには変わらなかった。荒は動揺を隠せない。以前に、簀巻に言い寄られた時はしらを切っていたのが、ここで反論する術が無くなってしまったからだ。
「……、この屋敷の地下室。そこに妾の目を置いておいた。おかげで面白いものが見れた。お前、実の息子を殺しかけたことがあるそうじゃな」
荒が肩をびくつかせる。見られていたか。心の中で大きく舌打ちをした。
「おまけに、お兄ちゃん子の娘の前で。道理で娘にきつく当たられているわけじゃ」
「他人の家庭事情に、首を突っ込むな」
終始、こちらを嘲り笑う態度にいら立ちが募り、荒の声には怒りの色が見え始める。だがそんな態度は嫌味たらしい魔女にとってはむしろ逆効果でしかない。彼女は味をしめて増長するばかりだ。
腹を抱えてひとしきり笑った後に、すまんすまんと冗談でしかない詫びを入れる。
「息子にはよく伝えておくことだな。夜間授業の内容はしっかりと聞くようにとな」
指をぱちりと鳴らすと、彼女は煙に巻かれて消えてしまった。どうやら本当に結婚指輪を返却しに来ただけらしい。納豆まみれになった銀の指輪を握りしめる。すると、静寂が戻った書斎に、羽ペンが羊皮紙をこする音がした。
‘あの、少し思い出したことがあります’
羽ペンが書いた文字は、そう記していた。この魔導具には、荒の記憶の中から情報を紡ぎ出すように設定が施されている。つまり、思い出したというのは、荒自身の記憶が舞い戻ったということになる。
‘あなたの息子、唯は、幼いころに事故に遭ったことがあります’
<main side>
黒板の上でカツカツと音を立ててチョークが躍る。今日の授業内容は、魔導においての制約について。魔導は、神との契約の上で成り立つものとされ、それゆえに様々な制約がかかるそう。昨日と相も変わらず現実離れした内容だ。
だが、昨日はこの夜間授業でうとうとしてる間に、魔女の襲撃を受けたのだ。その後、家に着いたかと思えば妹とクラスメイトの美月が魔法で決闘。今朝は、学校近くの雑居ビルが忽然と姿を消し、ランチタイムにはドッペルゲンガーから襲撃を受けた。そんな現実離れした現実の数々を目の当たりにした後では、まだすんなりと授業内容が耳に入ってきた。
箇条書きで三つの文章が。よっぽど大事なことなのか、大きな字ででかでかと書き記されている。三つの禁制魔法。魔導における制約で、犯してはならない最も基本の事項。
・如何なる魔法も、完全なる命を創造してはならない。死者の蘇生もこれに準ず。
・如何なる魔法をして、事実や過去の事象を改変並びに消去してはならない。
・如何なる魔法も、時の理を乱すために使うことなかれ。
魔法は使い方によれば、世界の理を乱しかねない。三つの禁制魔法は、魔法が世界の均衡を乱さぬよう、人が人の尊厳を守れるようにと作られたもの。取り決めたのは、魔導の発展に貢献した太古の大魔導士ゼルディウスだと。昨日は、その魔導の発展のために非人道的な魔導実験を行った大罪人としての扱いだったが、今回は違った。
「これらの禁制魔法を犯した者がいれば、この世に‘毒’が産み落とされる」
毒は、禁制魔法を犯した愚かな魔法使いへの天罰。しかし、それは世界を丸ごと破滅へ導くような無分別な裁きだという。むろん、そんなものが過去にあっては、この席はとうの昔に存在していないため、‘毒’がどれほどのものなのか。そもそも、その正体が何なのかということ自体分かっていないということらしい。事実に尾ひれがつくうちに、事実も尾ひれも何もかも分からなくなってしまったそれは、まさに伝承と形容するに相応しい。だけど、結局禁制魔法を犯さないようにする抑止力に一役は買っているのだろう。
するとここで、授業の合間に挙手をする者がいた。
「はい、質問ですか」
「禁制魔法についてですが、それを過去に犯した魔導士の記録はないのですか」
声からして男子生徒だ。そう言えば、昨日俺を襲った赤毛のツインテールや、金髪のチャイナ服、赤いベレー帽のBLを読んでた腐女子の面々は見当たらない。代わりといってはなんだが、その男子生徒は俺にとって見慣れた奴だった。
(ひ……、日秀っ! なぜここにっ!)
動揺する俺をよそに、日秀は教師の応答に興味津々といった面持ちで聞き入っていた。確かに単位制の履修形態をとる柊木高校では、興味のある授業にふらっと顔を出すような生徒もいないことはない。事実、勉強熱心な日秀はそれをよくやっていた。この夜間授業も、友達の俺が受けているということで、彼の興味の対象となったらしい。
「記録には残っていないです。‘毒’の伝承が事実ならば、この世界はとっくに消えているでしょうから」
教壇に立つ女教師は、両手を広げてにっこりと微笑む。だがその回答は、伝承が事実だったらという仮定のもとで成り立つものだ。
日秀は、もっと別のところに着眼を置いていた。伝承が本当だったら、禁制を犯すことなど怖くて誰もできやしない。誰かがしていたら、この世界自体無くなっている。それはそうだけど、そもそも――
「そんなに禁制って、守れるものなのですか」
「いけないことですか。死んだ人に生き返って欲しいと願うことは。魔法で死んだ人が生き返れるとして、それがやっちゃいけないことだからって、みんなが我慢できるものなんですか?」
物心つく前に母親を失った彼らしい質問だった。
<おまけSSその45>
荒「ひとつ聞きたいことがある」
簀巻「なんじゃ? 荒」
荒「私の結婚指輪を盗んだのは昨日だと言ったが、本当か? 優に半年以上は経ってる気がするぞ」
簀巻「じゃから、作中の時間と実際の連載スケジュールは、まったく一致しておらん。その辺は、創作の中のキャラならわきまえておくものじゃろう」
荒「――、実際の連載スケジュール? 創作の中のキャラ? お前はいったい、何を言っているんだ?」
簀巻「いや、それを疑問に思うなら、まず最初の質問は出てこんじゃろうがっ」
<おまけSSその46>
杏奈「そう言えば、この小説、この回からシリアス展開が多くなるそうよ」
雷雷「え、そ……、そうなのか……」
杏奈「なんでも第一章の山場のひとつになるとか……」
雷雷「そうか、それは――」
雷雷「いっぱいスケベキャラや辛党キャラらしい発言をしないと」
三井名「あたしも、BL読んで鼻血を流さないと」
杏奈「いや、シリアスだから無理矢理ボケなくていいんだよ」
雷雷「でも、あたしたちはシリアスで張り詰めた雰囲気を和らげる緩衝材としての立ち位置のキャラだから、その辺はわきまえて――」
杏奈「前回まで、あんたメインのシリアス回だっただろうがっ!」
明日華「――私も、何かボケた方がいいの?」
杏奈「いや、そこ頑張んなくていいからっ!」




