ふたりの美月②
<main side>
「せっかく、あたしが木枯君のために、お弁当つくってきたのにー! もう、許さないんだからーっ! この化け物ーっ!」
なんだろう。目の前にいるのは、彼女のはずなのにひどく違和感がある。
髪はたしか一部銀色になっているところはあったが、今は全てが白銀に光り輝いている。――姿で言えば彼女の普段の神々しさに磨きがかかっているのだが。
「今日は木枯君のお弁当を作るために、朝の5時から起きたのよっ!」
目の前で化け物に向かって三日月刀の斬撃を振り下ろす美月。――いや、あれは美月なのか。ぷりぷりとふくれっ面をしているし。
「あたしの睡眠時間を返しなさいよぉお!」
何より、言葉遣いとか一人称とかまるっきり違うし。
いつも涼しい顔しているのに、今は情緒不安定になってしまっているし。――それにさっきまであれだけ恐れおののいていた化け物を圧倒しているというのが信じられない。
あの化け物を恐れていた彼女は、どこかに吹き飛んだのか。
待てよ。そもそも彼女が生きているということ自体、おかしいじゃないか。
そうだ。
美月は俺の目の前で喉元をあの化け物にぶち抜かれたんだ。
捻じれた槍に変形した化け物の左腕は、完全に彼女の首を貫通していた。
脊髄断裂。気道の損傷による呼吸困難。動脈の損傷による失血多量。――どれをとっても致命傷というには十分すぎるくらいだ。
ところが目の前で、あの化け物とやり合っている美月は、ぴんぴんしている。――いや、傷がない。治癒している。
どういうことだ? あの傷が一瞬で治ってしまうだなんて。
混乱する俺の視界の中で、化け物は美月に押されていた。三日月刀による斬撃で腕、胸部を損傷し、血をぼたぼたと垂れ流している。ぜえぜえと荒い息を立てて肩を上下させている。――決着が付くまでは、秒読みといった状況だった。
「……これは計算外だっ!」
当たれば、とどめの一撃となっただろう。
美月の高い打点から振り下ろした三日月刀が届く間一髪のところで、異形は姿を消した。屋上に真黒な泉が現れてそこに吸い込まれたのだ。
計算外とは、美月が見せた豹変なのか、彼女に与えたはずの致命傷が治癒したことなのか。――恐らくそのどっちもだろう。
「あーっ、もうっ!とどめ刺し損ねたじゃないのー!」
化け物が消えた後の灰色のコンクリートに地団駄を踏む美月。――昨日までとはまるで別人みたいだ。
どうボタンを掛け違ったら、あの涼し気な瞳をした落ち着いた美少女が、こんなヒステリックでやかましい感じになるのだろうか。
「木枯くん、ごめんなさいね……。せっかくのふたりきりのランチタイムなのに邪魔が入って……」
そして彼女は俺のことを、‘唯’ではなく、‘木枯くん’と呼ぶ。――どうにもむず痒い。
たった一日とはいえ、こうも印象が変わられては、どう接していいか分らず戸惑ってしまう。狼狽えるばかりの俺に、衝撃的な一言が彼女の口から告げられる。
「それから、ありがとう。あたしの傷を治してくれて」
今日、自分の耳を疑うのは何回目だろうか。
父親は言った。俺のことを「魔法とは縁がない一般人」だと。
夜間の魔導授業もちんぷんかんぷんだったし。俺に魔法が使えるわけがない。――ましてや、美月の喉にぽっかりと開いた大きな傷を綺麗さっぱり消すだなんて、できるわけがないじゃないか。
「でも、木枯君が治してくれたのは本当だよっ」
彼女は昨日まではめったに見せなかった笑顔を、俺に向かって振りまいた。‘好き’も‘愛してる’さえも、仏頂面だった彼女が初めて俺の前で笑ったのだ。
「そ、そうなのか……」
「うん、木枯くんは魔法の素質があるんじゃないかな。戦うんじゃなくて傷を治したり、痛みを和らげたり」
爛々とした瞳と、太陽のように眩しい笑み。――今自分の目の前にいる美月は、昨日までとは全く別のベクトルの魅力を持っていた。
彼女は、にっこりと笑った後、とたんに悲しげな顔をして、コンクリートの上に無残にも転がった弁当の残骸を片付け始めた。
彼女が手をつけたのは青色の二段重ねの弁当箱だった。
「あ~あ、せっかく木枯くんのために作ったのに」
「え、でも……。美月さんはその弁当箱を作ったときの記憶がないって」
それは、弁当箱を広げたときに、彼女が知らないと言ったものだった。中身は料理に不慣れな者が作ったことが丸出しのもので、正直あまり食欲はそそられなかった。
「あたしには、あるわ。――あの人は、あたしの存在を認めてくれない。だから、もうすぐあたしも、あの人に吸収されてしまう。――複雑な気持ちよ。自分の力で生きられないというのは。こんなことを言うのはおこがましいとは分かっているわ。――あの人は、どんな形であれ。あたしの命をつなぎとめてくれたのだから」
彼女はまるで、自分の中にもうひとりの自分がいるということを分かっているかのような口ぶりだった。
あのときの美月が、青色の弁当箱を‘寝ぼけて失敗した’と吐き捨てたのとはまるで正反対。
ただ、自分が認められていないとは、どういうことなのだろう? そのあとの、吸収されるという言葉も気にかかる。
「あたしの料理、へたっぴだったでしょ? あの人と違って」
「え? ああ、うん……」
「これから料理、木枯くんのために練習するねっ。あたしね。最近になってたまに自由に動けるようになったんだ。ねぇっ、どうしてだと思う?」
腕を後ろに組んで、彼女は俺に笑いかける。
彼女の質問の答えなんて俺には分らない。彼女の表情と同じく、目まぐるしく変わって情報を与え続ける現実に、ただただ唖然とするだけだった。
「え? わからないよ……」
「それはね、なーいしょっ!」
悪戯っぽく笑って頬にえくぼを作って見せる。
銀色の髪が午後の日差しをきらきらと反射して、光り輝いていた。――‘あたしを追いかけて’そう誘うように、小走りで彼女は屋上の鉄の扉の向こうへと消えていく。
見とれている間に、昼休みの終わりを知らせるチャイムが鳴り響いた。俺は慌てて、美月のあとを追って、鉄の扉を開け薄暗い階段を降りる彼女の背中を呼び止めた。
「待って、美月さんっ!」
美月は、長くたおやかな黒い髪を振り乱し、あの仏頂面をこちらに向けた。
「唯、授業が始まるわよ」
もとに……、もどった……?
<another side>
昼休みの図書室。
風香は別に本の虫というわけではないが、ある調べ物をしにやって来た。
人目をはばかるようにして探すのは、とある本。――この図書室に存在する秘密の書庫への鍵だ。
図書室には普通の文庫本や絵本、学術書、実用書、図鑑などが並べられている。風香のお目当ての魔導書などは、ここには並んでいない。
そのためには、パスワードと呼ばれるある行為をしなければならない。
「まずは、植物図鑑のマンドレイクのページを開く」
マンドレイクは魔導植物としても著名だが、醜悪な根を持つごく一般の植物としても存在する。
そのページを開いて。そこに魔導植物のマンドレイクの根を挟む。
そして本棚を移動し、悪魔信仰のオカルト本とギリシャ神話の解説本の間にそれを挟む。――するとはたりと落ちてくる本がある。
それを拾って開くと中は箱になっていて、鍵が入っている。その鍵を右手で握りしめて、拳ごと床に押し当てる。――すると床に風香を囲むようにして、青白い光で描かれた魔法陣が浮かび上がる。
そして、眩い光が彼女を包み込んでどこかへと連れ去ってしまったのだ。
これがパスワード。柊木中学校の魔導書庫に入る唯一の方法だ。
魔導書庫は図書室の数倍という話ではない。
下手をしたら柊木中学校の校舎が丸ごと入ってしまいそうなくらいの大きさだ。ここにはありとあらゆる魔導に関する本が揃えてあり、種類は問わない。言ってしまえば、人の傷を癒す魔法も、大量の死者を出すような魔法も、すべての魔導書がここにあるのだ。
風香はそこである魔法を探していた。カウンター近く、書庫管理係の目が届く範囲には、初心者向けの簡単な魔導書が置いてある。そんなものには用はない。欲しいのはもっとマニアックなものだ。
入り組んだ本棚の迷路。仕掛け棚をハンドルを回して動かす。本棚と本棚の間に、秘密の通路が口を開いた。――その奥に進む。
流石にここまでくると、ちらほらといた魔導帽をかぶった人影も見当たらなくなり、通路の薄暗さも相まって、不気味な雰囲気が感じられてくる。この通路は無限回廊とも呼ばれていて、その名の通り、通路に終わりはない。
ただ、しばらく歩き続けていくと、誰もいなかったはずの背後から声がするのだ。
「お嬢ちゃん、どこに行くんだい?」
しわがれた男の低い声。
振り返ると、そこにはフードを被った背の高い男が立っている。女子でも身長が低めの風香と比べれば、身長差は三十センチは優にありそうだ。誰もいなかったはずの背後から怪しげな風貌の大男が現れる。普通なら恐れおののくような状況の中で、風香は意志の強い瞳で大男のもとへと歩み寄る。
「あたしは、あなたを尋ねて来たの」
「これはこれは珍しい。しがない用務員に何か用かな」
「……、あなたはどんな魔法でも知っていると聞いたことがある。教えて欲しいの。あの忌まわしい事実を消す魔法を」
<おまけSSその35>
例えば三年寝太郎
日秀「なあ、唯よぉ……」
木枯「……なんだよ……」
日秀「お前、寝た?」
木枯「寝てねえよ……」
日秀「バカだな、寝た奴が寝たっていうかよ! 言えよ! おまえ、美月のことが好きなんだろ!?」
木枯「ちげえよ! 誤解だよ! っつうか寝ろよ! これただの修学旅行じゃねえかっ!」
<おまけSSその36>
たとえば蜘蛛の糸
街田「あたしは地獄に落ちてしまった」
簀巻「あいつは数多の業を犯して地獄に落ちているが、たしかスーパーで売れ残った賞味期限すれすれの納豆をいつも買っておった。ここはひとつ、納豆を大切にしてくれたことに免じてひとつ助けてやろう」
街田「いや、納豆の糸じゃダメだろ。タイトルぐらい守れや」




