歪み②
<main side>
家の最寄り駅は合馬。逢魔が時に由来しているらしいが、字は違うものを当てている。逢魔ではあまりにも字の持つ意味が悪すぎるからだろう。――いいや、それとも読みが同じだから、そんな縁起の悪い由来が産まれたのか。
「おはよう。唯」
その合馬駅で彼女は俺を待ち構えていた。駅の高架ホームを支えるコンクリート柱にもたれかかりながら、手を蝶のようにひらひらと羽ばたかせる。
そしてこちらに向かって、小走りで近づいてきた。――だが、顔は無表情なので、むしろ不気味な迫力がある。
「お、おはようございます。美月さん」
少し戸惑いながらそう言うと、すぐ隣からおぞましいまでの殺気を感じた。俺より背丈が十五センチは小さい風香が、まるで猪か何かのように鼻息を荒くして唸っている。
「なんで、あんたがここにいんのよっ!」
「――別にいいでしょ。好きな人と学校に行くのは当然でしょ」
こんなことを言っているが、俺と美月は昨日会ったばかり。俺はもう半年私立柊木高校に通っているが、美月は夏休み明けに転校してきたのだ。背がすらりと高い。――俺よりはかろうじて低いと思いたい。だが、ヒールを履くと抜かれそうだ。
「ちょっと、その弁当箱大きすぎない?」
目ざとい風香の視線が、不自然に大きい弁当を入れた巾着袋を捉える。――たしかに女の子ひとりで食べる量ではない。まるで運動会に母親が持ってくる重箱か、ピクニックに持っていくバスケットのようだった。
「決まってるじゃない、唯と食べるのよ」
当たり前のように言うものだから、少し引いてしまった。美月はスタイルも良く、顔立ちも美人だが。――彼女に好かれたところで、どうもしっくりこない。表情や感情に乏しく、どこか本心が読み取れないのだ。
だが、本心かどうかなど妹の風香には関係なく、言葉の上っ面だけを受け取って反発する。
「お兄ちゃんに弁当を渡す前に、妹のあたしに断るのが筋でしょ!」
……、いったいどういう道理で、出てくる筋なのか分らない。
美月も妹もどこか似ている。どちらも当たり前のように、こちらの所有権を主張してくる。妹は別に家族だから、俺に対して愛着というか、執着を持つのも分かる。――だが美月は、何を根拠に俺のことを好いているのだろう。何を根拠に俺に向かって、「愛してる」なんて言ったんだろう。
「あなた昨日、私に惨敗したばかりじゃない」
「うぐ……」
途端に何も言い返せなくなる風香。
いつもの元気な彼女ならまだしも。今の彼女には美月との対決に続く、襲撃で魔力がちっとも残っていない。
本人もそれを分かっていて、空しく拳を握りしめるのみだった。
「い、いいわっ! 今日は勘弁してあげる」
負けたということを美月に責められたというのに。風香はプライド故の噛み合わない返事をする。――彼女は悔しそうだ。まだ言い返し足りなさそうだ。
――とはいっても、すぐに言いくるめられてしまうのだろうが。
それよりも電光掲示板に示されている発車時刻が近づいている。
いつまでも高架下の改札口にいるわけにはいかない。
それを同時に悟った俺たちは急いで改札を通り、エスカレータを駆け上がる。コンクリートの天井が車両の重たい振動できしんでいた。
あの鉛のように重たくずどんと突き刺さるような夢も、こんな日々が忘れさせてくれたりやしないだろうか。夢だと言い聞かせることで、俺は平静を保とうとしていた。
しかし、学校の最寄り駅、柊木中央駅が近づいてきたところでその淡い願望は崩れ去ることになる。
「唯、あれを見て」
美月は少し狼狽しているようだった。
ポーカーフェイスの彼女でも動揺することがあるのか。――半ば感心しながら彼女の指の先を見た俺は、信じられないものを目にした。
駅前の雑居ビルが消えていたのだ。――確かに昨日までは十数階建てのビルがそこにあったはず。それが建物として確認できる部分がほとんど残っていない。まるで地面から地階ごと抜き取られてしまったように大きな穴が開いている。
混乱に何もかもが吹き飛びそうになっている頭の中。窓に額がくっつかんばかりに、つり革につかまりながら座席に向かって身を乗り出す。覗き込めば覗き込むほど、その異様さを思い知らされる。
しかし、奇妙なことがある。事態が異常過ぎて気付くのが遅れた。
「……、何よ。何も起きていないじゃない」
風香の一言に自分の耳と目を疑った。――もしや、あの赤毛ツインテールの魔女が使っていたのと同じく幻覚魔法によって化かされているのか。
「それはないわ。むしろその逆ね」
「逆……?」
「ええ。本当は破壊されているビルが、幻覚によって、そこにあるように見せられている。それも恐らく……私たちを除く全員にね」
風香には、昨日までと同じく地下にネットカフェのある灰色のコンクリートビルが見えている。風香だけでなく俺と美月を除く全員に。
「そんなこと可能なのか? あのビルを目にする不特定多数に、魔法をかけるだなんて……」
「簡単な話よ。場所そのものに魔法をかけるの。仕組みは簡単でも、相当な魔力が必要よ。――それにしては……、有効範囲が広すぎる気もするけど」
「ある地点に魔法をかけた場合、そこから届く魔力の強さは、距離の6乗に反比例するわ。――静電気によるクーロン相互作用と同じね」
「は……、はあ……」
小難しくてよく分からないが、要するに魔法の効果はそれから少しでも距離が離れただけで大幅に減少するということらしい。――そのため、衛星写真などの遠隔からの観察があった場合は、それに影響を及ぼさせることはほぼ不可能。
電車の中の人混み。街を行き交う人々。その誰もがほころびに気づかない。事実を隠す幻覚魔法。――最も奇妙なことは、俺と美月には、その魔法の効果がないということだ。
「おわっ」
考え事に耽っていると、電車がホームに差し掛かかって停車した。ビルの惨状を食い入るように見つめて前かがみになっていた俺は、少しよろけてしまった。
柊木中央駅。――学校の最寄り駅であると同時に他の路線への乗り換えや、学校とは反対側の方向にオフィス街もあるため乗り降りの流れが激しい。
人の群れの川に流されるようにして、改札を出る。高架下を抜けてすぐ、視界にはビルが丸ごと引っこ抜かれたような大穴が映る。しかし、それを取り囲む人だかりや野次はいない。
事実を俺と美月だけが認識できているというのは何とも不可解だ。そしてデジャヴ。――この認識の差は、どこか見覚えがある。
「なに難しい顔してるのよ。ふたりとも」
認識の差からこちらの会話にいまいち入り込めていない風香が、怪訝な顔つきでのぞき込んでくる。彼女には雑居ビルが昨日までと同じくそこに建っていた何の変哲もない風景が見えているのだから。頻りに首をかしげているこちらが奇妙に映るのも無理はない。
とくに風香は美月のことを気に入らないようで、半ばガンを飛ばすような勢いで睨み付けている。
「ご、ごめん。美月さん……、こいつに悪気はないんだよ」
「いいえ、悪気しかないわ。お兄ちゃんに寄り付く悪い虫は排除よ!」
「……このビルには魔法痕がひとつしかないわ」
だがそれでも美月は、冷静に現場を分析していた。
「魔法痕……?」
魔法痕とは魔法を使った痕跡のことを言うんだそう。大きく分けてふたつあり、ひとつは魔法を発動するために魔法陣を描いた跡。もうひとつは魔力そのものの発動によって残った爪痕なのだという。――ここにあるのは爪痕だけ。
大穴の底をうっすらと光るひび割れのような模様が走っている。それがこの場所に残された魔法痕。――ただ、そのひとつしかないというのが、美月にはひどく不可解だという。
「魔法をかけた対象には必ず魔法痕がつくわ。ここには最低でも、ふたつの魔法痕があってしかるべきよ」
「ふたつ……?」
「ビルを消した魔法と、ビルを消したことを隠す魔法よ。そのふたつが最低あって然るべきなわけだけど、でも、ふたつというのもおかしいのよ」
「は、はあ……」
「強力な魔法を発動させるには、魔法陣による媒介が不可欠になるわ。あれだけ大きな対象を動かす魔法が魔法陣の助けを借りずに発動できるとは到底思えない。――これがどういうことか分かる?」
……。情報量が多すぎてピンと来ない。
要するに、このビルを消した魔法使いは相当にヤバい奴だとでも言いたいのだろうか。それよりも、魔法痕はふたつないとおかしいというのは、ビルにかけられた魔法がふたつと考えていたからではないだろうか。――もし、ビルにかけられた魔法がひとつだったとしたら。
俺は先ほど感じたデジャヴをもう一度考えてみる。
俺と美月と、それ以外の人の間に認識の差が生まれている。
それはちょうど、俺が母親が死んでいて、生前の母親に対して記憶が殆どなかった。そして、その記憶のなさを少しも不思議に感じていなかったということとどこか似ている気がする。
俺は、母親の死とそれに関する記憶の喪失を認識していなかった。
「なあ、もし……このビルにかけられた魔法がひとつだったとしたら」
「そうなると、人の記憶や感情を左右する催眠魔法が考えられるけど。――それでは不特定多数を対象にはできないわ」
「じゃあ、このビルが消えたという事実を消すことが出来たら?」
美月は丸くした目をこちらに差し向けた。俺の言葉に驚いているというより、もっと別の何かに怯えているような目だった。
「そんなことをしたら、禁制を犯すことになるわ。――世界の秩序が犯される。神に殺されるわ」
俺は美月が悪い冗談でも言っているのかと思った。――美月の言動は理知的で論理だったものだった。もちろんそのロジックには魔法に関する言葉が並んでいたが。とにもかくにも、先ほどまでの冷静な彼女と神に殺されると怯え、肩を震わせる彼女がどうも不釣り合いに見えたのだ。
「……でも、可能性はゼロじゃないわね」
まだ顔から怯えの色が抜けない。――それになにか、鈍い痛みを堪えるような表情。記憶の封印が解けかけていた父の顔つきとどこか似ている。
「それだと辻褄が合うわ」
「……、事実を消す魔法……」
風香が何か引っかかったように、事実を消すというところを復唱する。
「何か心当たりがあるのか? 風香?」
「い、いや……な、なにも。あははは」
何故か少し取り乱したような応対を風香は見せる。なにか考え事でもしていたのだろうか。そうこうしているうちに柊木中央駅には次の電車が入り、落ち着いてきた高架下の人波も再びどっと溢れ出す。
そして自分たちがビルの異変に気を取られて、電車一本分通学路の途中で足止めを喰らっていたという事実を知らされる。
今入ってきたのが、登校時刻に間に合う一番最後の電車だ。歩き始めた俺たちの背中を、呼び止める声が。いつもは朝早い日秀が今日は珍しく、登校時間ぎりぎりの電車に乗ってきたらしい。
「朝のニュースを見ていてびっくりしてさ。続きを見ていたらいつもより遅くなっちまってよぉ」
これを見てくれと突きつけられたスマートフォンの画面には、見覚えのあるビルが。
今は大穴が開いていて跡形もなく消えているビルは、画面の中に場所を移していたのだ。
場所は鳥取砂丘のど真ん中。砂漠の真ん中にたたずむモノリスが如く、駅前の雑居ビルはそこにそびえ立っていた。
「見ろよ。これ! そこにある雑居ビルと同じ奴だよな!」
<おまけSSその27>
簀巻「まあ納豆のためなんぞというのは冗談じゃ。あの娘の正体が大方予想した通りじゃったのでな。もう、情報集めは十分じゃ」
街田「それで……その、あの娘の正体というのは……」
簀巻「何から話そうかのう。700年余り前まだ妾がぴちぴちのギャルじゃったころの話からじゃから、長くなりそうじゃわい」
街田(ハッ、まさか――その700年分の話を聞かされるのではっ??)
<おまけSSその28>
簀巻「あの頃の妾は青春じゃったのう~。魔導学校でちょうど隣の席が、妾の憧れの人だったんじゃ。しかしのう。そやつは妾とは違う娘、それもしみったれた魔法なんぞに現を抜かすようなやつにゾッコンでのう。それはそれはもうジェラシーじゃよ」
街田(どうしよう。興味で聞いては見たものの、案の定果てしもなくどうでもいいんだけど)




