涙の魔女③
<another side>
魔法とは自身の中にある魔力を具現化し、第三者に対して干渉しうるものにする術を言う。
具現化において術者がイメージするものを媒体と呼び、術者の魔力は媒体が持つ姿かたちで他者に受け取られる。
オーソドックスなものは、刃物だったり重火器だったり、あるいは魔導書だったりと実際に存在する道具の形で現れる。これらは魔具といい、多くの魔導士が用いるものだが、中には血や涙、生き物そのものなど生命エネルギーが宿るものを媒介して、自身の魔力を抽出する場合もある。
そういつかの授業で習ったのを、雷雷は思い出した。目の前の少女はまさしく、魔力を媒介する術として涙を流している。
一言でいえば、その姿は異様だ。
これから攻撃を仕掛けて来ようというときに涙を流すのは、傷つける命に対して贖罪を示そうとでもいうのか。所謂オーソドックスな魔具を扱う自身としては、身がすくんでしまうほど不気味だが、勝負を仕掛けて来たのはあくまでもこちら側。雷雷に勝負を捨てるという選択肢はなかった。
(その異様さを気迫とはき違えて、圧倒されてはいけない。なにより、こいつに明日華を渡してはいけない。そんな気がするっ)
「あたしは街田涙。あんたと同じレプリカよ。――種族もナイトウォーカー。太陽に嫌われた夜に生ける者」
「今頃になって、話し合いでもしようっていうの? 三井名に攻撃を加えたのはあなたじゃないっ」
「――そうね。もともと、あんたたちと分り合うことは諦めていたし」
どこか見下しているかのような物言いが鼻につく。
街田涙というこの少女は、とどめなく涙を流しながら、その滴を周りの海に溶かしていく。杏奈が使った結界魔法だ。透き通るような青い海に、色とりどりの魚たちが泳いでいる。――術者の杏奈本人は魚の類は大の苦手なのだが。
もどかしいのは街田が自身の魔力の象徴である涙を特に使うでもなく、無下に流し続けていることだ。こちらを不敵な笑みで見つめながら、一向に攻撃する気配を見せない。
「御託はいいんだよっ!」
ただひたすらにこちらを嘲笑のタネとする街田の態度に、せっかちな雷雷はしびれを切らしてしまった。
電撃をまとった黒い高圧電線を鞭の容量でしならせ、閃光をバチバチと放ちながら、荒れ狂う蛇が街田に向けて絡みつこうとする。――腹立たしいかな。街田はそれを避ける様子すらない。
この攻撃を生身で迎え入れようというのか。
だが、雷雷が放った電撃の鞭は、街田に届くことなく、奇妙にも先端が切り取られたように虚無の中に吸い込まれてしまった。
街田に届くまでほんのわずかな距離。そこに空間のゆがみが出来ていた。――それが繋がる先は。
謀られた。
雷雷がそう気づいたときには遅かった。
ほんの一瞬の出来事、悲鳴は自分の背後。そう、雷雷が放った一撃は歪まされた空間を伝って杏奈に届いたのだ。
喘ぎもがき苦しむ様を街田が声を上げて笑っている。
「杏奈っ!」
もう一度、電撃の鞭を構える。――だが、ほんのさっき起きた出来事が脳裏をよぎり、途端に動けなくなる。――また、杏奈を攻撃してしまうかもしれない。
「あたしの涙には空間を歪ませる魔力が宿っている。もうこの結界は、見えているまま素直な世界じゃないよ」
あの涙は無下に流していたわけではなかった。
杏奈が作った結界の中に溶け込み、魔力で浸食していたのだ。杏奈はかなり深手を負ったようで、意識はつなぎとめているが、全身に火傷を負ってしまった。
もともと雷雷と街田の一騎打ちのための舞台を用意するために、自分を中心に結界を張っていたのだから、まさか自分に危害が及ぶわけはないと油断していたのだ。その全てを計算した上で街田は、状況を利用したのだ。
「お前っ……、卑怯だぞっ!」
「卑怯? あんたたちなんかに、言われる筋合いはないわ。あんたたちが木枯唯を狙っているのは知っている。――でもその目的って、単に陽の光を浴びれる身体が欲しい。たった、それだけじゃない。あんたは自分が普通に生きたいという、言わば我儘のために行動しているだけじゃない」
街田は尚も涙を流し続ける。――瞳が濁っていく。周りの透き通った海と対照的にどす黒く濁っていく。声もどすの利いたものになっていく。
声色からは、一方的な憎悪、嫉妬が感じられる。
「あたしは、あんたたちみたいな奴は、徹底的に嫌うことにしているの」
‘嫌うことにしている’という、引っかかる言い回しがさらにそれを強調させる。
「あんたたちは誰かを守りたいとか、誰かのために生きたいとか、考えたこともないでしょ? そんな独りよがりが、自分の魔力を自分で想いのままに操って、あまつさえ、普通の人間になりたい? ――思い上がりも甚だしいわよっ!」
「あんたたちに、自分で生きられないあたしの苦しみなんて分かるはずがないっ! ああ、分り合いたくもない! いっそ存在自体否定してやりたいくらいだわっ!」
ヒステリックになっていく言葉とともに、頭をかきむしり苛立ちを露わにする街田。言い返そうと思った途端、雷雷は自分の呼気が泡となったことに気づく。
今までできていたはずの息がつかえ、声が出なくなる。これでは本当に海の中だ。
(海の中。杏奈の結界が、まさか、こいつに乗っ取られたのか?)
雷雷の勘は的中する。結界を張っていた本人である杏奈も同じく泡を吐いて苦しんでいるからだ。結界に自らの魔力を溶け込ませ、その主導権を街田が奪った。おまけに自分で抵抗できないほどの強力な幻術が結界に仕込んである。
元の使い手である杏奈が苦しんでいるということは、それを凌駕する魔力の持ち主ということか。
(これが、奴の力……?)
「あんたたちなんて、死んでしまえばいいっ! 生きているだけで目障りなのよっ! ――あたしの目的の方がずっと高尚なのにっ。なんで、我儘で下賤なあなたたちが、自分で好き勝手に生きていけるのよっ!」
だが、雷雷はもがき苦しみながらも身体に纏わりつく海水の感触に違和感を感じていた。体温を奪おうと水温が急激に下がっていくのが感じられる。――だが、それが街田自身の呼吸と波長が合っていない。むしろ、抵抗すらしているのではないかと思うくらい、ちぐはぐだ。
魔力を自分で操りきれていない。精神が不安定なのもそうだが、まるで、借り物のようだ。
雷雷はここで、ひとつ勘付く。
(まさか、こいつ……、自分で自分の魔力を使っていないのか?)
卑怯な話ではあるが、そう考えれば合点が行く。
自身の魔力が乏しいときに他者からそれを譲り受け、魔力を借りるのだ。魔力には術者だけでなく、元の貸主にあたる者の意志も干渉する。――それが違和感の正体。
『自分で生きられないあたしの苦しみ』
引っかかるもの言いは、自身の魔力を使えないことから来る嫉妬だったのか。
だが、勘付いたところで雷雷には抵抗する術がない。
もう息が続かない。意識が遠のいていく。
「死ねぇっ! 苦しみながら死んで行けっ!」
相手に死期を悟られたか。
静かに心の中で舌打ちをしたそのとき、突如として街田が膝の力が抜けて、崩れ落ちた。
何かに怯えるように肩をすぼめ、がたがたと歯を震わせながら頭をかきむしり、錯乱する。
顔が青ざめている。目が血走っている。
「う……嘘っ……。うそっ、いや、いやぁああああっ!」
いったい何が起きたのか。もがき苦しみ、水底を転がりながら、のたうち回る。
供給されていた魔力が尽きたのか。――いや、それにしては様子が変だ。敗北を恐れるにしてはあまりにも怯えすぎている。
もっとこれは、そう。――自分の命が、消えようとしているような。
「お願いっ! お願いっ! 父さん、お父さ……ん……。あたし、もう、いい子にするか……ら……。お、お願いだから……、死なないで……」
ゆっくりとブラックアウトしていく雷雷の視界の中で、街田はそんなことを言いながら、気を失った。
杏奈の張った結界は、コントロールを失い、崩壊。海そのものが泡となって消え、閉じ込められていた三人は、倒れた状態で元の現実世界に投げ出されたのだった。
<おまけSSその21>
三井名「やっぱり杏奈、自分の能力を使う上で魚や海の生き物が苦手だっていうのは、致命的だと思うよ」
杏奈「分かってはいるけど、どうしても受け付けないのよ」
三井名「ネオンテトラとかグッピーとかかわいい魚でも駄目なの?」
杏奈「見た目可愛くてもヌルヌルしてるから駄目なの!」
雷雷「そんな杏奈に克服してもらいたくてな。――別名、海のゴキブリと呼ばれるフナムシを大量に捕まえて来た」
三井名「お前、克服させる気ないだろっ!」
<おまけSSその22>
三井名「食べ物としての魚も嫌いだよね?」
杏奈「生臭いし、論外よ」
雷雷「好き嫌いは良くないぞ。肉ばかり食べてると健康に悪いしな」
三井名「あんたは人にとやかく言う前に唐辛子を控えなさいよ」
雷雷「というわけで杏奈の魚嫌いを克服させるために、――シュールス〇レミングを取り寄せて来た」
三井名「お前、ただのドSだろっ!」




