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目には目を

掲載日:2025/12/15

こってり系ざまあです。ネチっこさ増量で書いてみました。

「その愚か者も同じ目に遭うのでしたら、謝罪を受け入れてもよろしくてよ」


 肌寒いほどに空間の広い応接室。

 装飾的なローテーブルを挟み、惜しみなくクッションの使われたソファに並んで座らされた状態からほとんど平伏の体で頭を下げるリジット伯爵家一門の三名に対し、麗しき侯爵令嬢アルジェンヌはそう告げた。


「同じ目、ですか?」


「お前の息子が、わたくしの可愛い妹レシェナにしたように、意に染まぬ相手から強引に迫られ、まるで恋愛関係にあるかのように周囲に喧伝され、日々の侮蔑的な扱いに耐えるのであれば、先ほどのお話を聞いて差し上げると申しましたわ」


「は、はあ……」


 曖昧に応じつつ、おそるおそるリジット伯爵家当主は視線を上げる。

 庭からの明るい日差しを背に受けた彼女の輪郭は淡く輝き、謝罪者たちからは逆光によりその表情が読み辛く、またどうにも眩しくて目を細めることになる。


「あの……タウゼント嬢、そのようなことで、よろしいのでしょうか」

「まあ。何か異存でもあって?」

「いえ、その」


 リジット伯爵としては多くの交渉ごとがそうであるように、もっと経済面や社交面においての直接的な打撃を望まれるような流れを懸念していた。

 問題を起こした息子自身の処分は当然として、賠償金であるとか、何かしらの利権とか。その度合いをいかに緩めて小さな被害に収めるかがこの日の謝罪の目的であった。


「僕も気になるな。そんな罰で良いの、アルジェンヌ?」


 隣から口を出したのは隣国の若き王子。

 名をエンディオンという。

 アルジェンヌの婚約者であり、この部屋で最も高い地位にある人間だ。彼の国がこの国よりもずっと大国であることと、正式な婚約者にすでに準王族の身分が与えられていること、そして彼が自分の婚約者への深い寵愛を隠さないことが、今この場においてアルジェンヌへ圧倒的な権力を与えている。


 未来の夫から甘えるような優しい目を向けられて、アルジェンヌは少し困ったそぶりで目尻を下げる。


「甘い罰かしら」


「レシェナ嬢はこの世でたった一人、血が繋がった君の妹だ。それが、半年近くも男に付きまとわれて恐ろしい思いをしたんだろう? 僕の義妹への非道な行いを、そんなに簡単に許すのはね」


 他国王子からの、義妹、という言葉にリジット伯爵家の面々が肩を震わせる。


 伯爵。

 伯爵家の後継たる長兄。

 そして問題を起こした三男坊。


 人が六人ばかり座れそうな長く立派なソファにはその三名。伯爵夫人の姿はない。


 また彼らからさらに離れた後方には別に椅子やテーブルがあり、外務卿と高官書記が隣国に対しての立会人として座っている。他国の王子が同席しているため、事態はわずかばかり外交問題の側面も持っていた。


「ほら、聖女様方の格言集にも『目には目、歯には歯』とあるでしょう。同じものを超える罰を与えることには慎重でなくてはいけないと思うの」


白い日(ホワイトデー)には三倍返し、って続かなかったっけ、それ」


 対岸は若い男女が一組だけ。

 ソファに座るのはアルジェンヌとエンディオンだけだ。


 ただし近辺には付き人が男女合わせて数名、置物のように静かに立っており、護衛は両国からの混成で窓近くやソファのすぐ後ろなど要所要所に数名ずつ配備されている。室内の人員は見た目の印象以上に多い。


「レシェナ嬢自身は何か言っていた?」

「あの子は私に任せてくれるって言ったわ。お母様も」

「エルトの方のお母上?」

「ええ。タウゼントのお義母様にも同じように裁量をお認めいただきましたけれど」


 アルジェンヌとレシェナは血の繋がった姉妹だ。

 地方領主エルト子爵の娘に生まれ育ち、それぞれ別の家に養子に出された。


 戦争によってエルト家の当主、重臣、後継が軒並み死没し、政争によって領地が隣接地域に分割再編成された。


 家門は失われたが子爵家ひとつが丸ごと犠牲となるまで国に尽くしたという側面も配慮され、姉のアルジェンヌは国内でも有数の有力貴族であるタウゼント侯爵家の子となり、妹のレシェナは元の領地が一部割譲された先のネキア男爵家へ母親が後妻に入る形で迎えられた。男爵家の別邸という扱いに看板だけ付け替えた元エルト領主邸を母娘は現在も所有している。


 親類や寄子の家々についても過度な不満が出ないように気を遣った待遇が与えられており、エルトの関係者たちは最大に幸福ではなくとも理不尽ではない程度の行き先を手に入れていた。


 敗残者ではあるが、誇りは失わなかった。

 没落はしたが不遇ではない。

 そういった、少々特殊な立ち位置に元エルト子爵家はある。敗れ去ったせいで政敵すらも今はなく、脅威に思われないがゆえに配慮される、美しい敗者だ。


「ねえ、リジット伯爵」

「は……」

「お前の家の下の息子は、可愛いレシェナがわたくしの妹だと知らなかったようね?」

「誠に、お恥ずかしく」

「我が国の防衛存続に身を投げ打って殉じたエルト子爵家に連なり、侯爵家の養い子で隣国の準王族の身分のあるわたくしを姉に待つことを知らず、たかだか地方男爵家の末娘と見て。ええと、なんと放言されたのだったかしら」


 付き人の一人が動いた。

 ローテーブルの上から付き人の一人が書類を取り上げ、あるページを一番上にめくってからアルジェンヌへ手渡す。


「そう、これね。『なかなか見られる容姿みためをしている。僕らが相手をしてやろう』」


 リジット家の長男は奥歯を噛み締め、きつく握った拳を膝の上で震わせている。


 問題の三男はこの会見の当初から口に帯状の布を巻かれて発声を封じられていた。

 口内まで布を詰めるような本来的な猿轡さるぐつわではなく口の外を覆っているだけなのでマスクに近く、完全に喋れないわけではないのだが、この馬鹿には発言を認めないという戒めを目に見えるように示すため最初の謝罪ののちにリジット伯爵がアルジェンヌの許可を得て取り付けた。


 さらには椅子にも座らせず床に直接膝をつくように伯爵は三男へ命じたが、それはアルジェンヌにより「話がしにくいわ。それもソファに座らせて」と止められた。


「こんなのもあるわね。『聞いたぞ、お前、ネキア男爵令嬢とは名ばかりで、平民の後妻の連れ子だそうだな』。

 初対面から半月後の発言。これはお母様への侮辱ね。レシェナはその場で否定したけれどリジット伯爵令息はご友人方と調子を合わせて嘲り笑うばかりで取り合わなかった……と」


 ぐう、と唸るような音を喉から絞り出したのは、リジット伯爵家の三名の男のうち誰であったか。

 冷たい静寂に紙をめくる音が重なる。

 

「ねえ、エンディオン様? あなたはどうぞ誤解なさらないでね。エルトの家こそ爵位を返上してなくなりましたけれど、わたくしもレシェナもお母様も、一秒とて平民に身を落としたことはなくてよ」


「もちろんだよ。君の気高さと出自の確かさはこの僕がよく知っている」

「まあ。素直に気位が高いと仰っていただいてもいいのに」


 ころころ朗らかな会話をする婚約者たち。


「そうね、リジット伯爵。確かにわたくしは、子爵家の一員に生まれながら戦中の混乱時に家を守ることができず、あえなく権勢を奪われた無能者の一人です。貴族として脇が甘く、お前の三男の処遇についてエンディオン殿下がご心配されるのももっともなのだと思うわ。お前自身、そんなことで良いのかと危ぶんでくれたものね」


「いえ、はい、それは、その」


「だからこうしましょうか。まずわたくしの言ったとおり、その男をレシェナが受けた辱めと同じ恥辱の中に置く。期間はレシェナが被害を受けたのと同じ、初対面から今日までの日数……何日ぐらいかしら?」


 アルジェンヌが首を引き扇を広げれば、付き人が静かに腰を折り、扇の下で彼女へ耳打ちする。


「そう。おおよそ150日ね。では同じく150日としましょう。よろしくて?」


「は……」


 ぎりぎり、はいとは発音しなかったが、反射的に明らかな承諾のニュアンスでリジット伯爵は頭を下げた。


「それが済んだら、どの程度の反省が見られたかを確認して、その上で再度、賠償などのお話をしましょう。その時に、わたくし、レシェナ、お母様、エンディオン様の四名が追加の償いを求めなければそれで終わりで良いわ」


 具体的な話が見えない。

 その上、終わりも見えなくなった。

 リジット伯爵はそう感じて応諾の声を出しかね、沈黙した。

 そのため生まれた空白の間に


「本当にそれで良いんだね」


 とエンディオンがやや不満げに言う。

 裏を返せば、不満は残るがアルジェンヌの希望を優先するという様子でもある。


「あの子が怖い思いをして学園に通った150日を何かの対価に変えたいわけではないわ。一応考えてはみたけど、タウゼント侯爵家もネキア男爵家も、今、困っていることや欲しいものは思い当たらないのよねぇ」


 扇を立てて形の上ではひそひそと、でも誰に聞かれても構わないくらいの音量で、アルジェンヌは婚約者にそんなことを話している。


 物も金も取らない。

 鞭打ちや労役、身分の降格などのような分かりやすい懲罰でもない。

 被害者の姉の要求は雲を掴むようで、むしろ絵空事じみていて、それが重たいのか軽いのか、リジット伯爵には見当がつかなかった。


 それでも少しだけ、今この場で大きく家名に傷がつくことはなさそうだと彼がほっとしてしまったのも、また事実であった。



 + + +



 長かったような短かったような暫時の後。

 ぱちん、と扇の閉じる音が響く。


「あなたはいかが、ゲルトラン・リジット?」


 それはここに来て初めて口に出された罪人の名前。

 長男がぎくりと横を向く。


「ああ、声にする必要はなくてよ。頷くか首を横に振るかでわたくしの言うことにお答えなさい」


 口を封じられた三男坊は脂汗をかき、ぎょろぎょろと目玉ばかりを動かして居合わせた人々の顔を窺っていたが、どうもそこまで自分に悪い流れではないと思ったのか顔色は当初より多少良くなっていた。


「反省していますの?」


 大きく頷く。


「レシェナに悪かったと思って?」


 頷く。


「もう二度とこのようなことはしないと誓えて?」


 イエス。


「レシェナにだけではないわ。

 あの子はたまたま権力のある姉がいただけ。お前につきまとわれたのが学園の他の娘ならどうなっていたことか。考えるだけでおぞましい。

 もう二度と、誰に対しても、不埒も意地悪も向けてはなりませんことよ。よろしくて?」


 無論イエス。


「お前はこれから、常に誠実で真摯でなくてはなりません。場所を問わず、老若男女、貴賤も問わず、誰にでも」


 ここで少しアルジェンヌが黙ったので、応答を求められていると気付いて慌てて上目遣いに頷く。


 アルジェンヌはやや小首を傾げ、思案げに、言葉を探して閉じたままの扇の先で己の口元を軽く隠すような仕草をした。


「つまりね、もうお前は、後輩の殿方を体格が悪いと小突いてはだめ。胸の大きな子とすれ違う時に口笛を吹いてにやにやしてもだめ。それは可愛がっているのではないの。馬鹿にして踏みつけにしているのよ。わたくし、そういうことを言っているの」


 罪を犯して糾弾されてなんとか罰を小さくしようと――あわよくば罰から逃げようと――詫びている立場のはずの三男坊、ゲルトラン・リジットは、そこで何を言われたか理解できなくてぽかんとした目付きになった。

 その横並びで、むしろ父親と兄の方が危険なものを嗅ぎつけて真っ青になっている。


「誓えるわね?」


 ためらいがちに、頷く。


「そう。よろしくてよ。ではお前への罰について、今までの話のとおりで良くって?

 まずは150日間、お前がレシェナにしたことをお前は被害者の立場で経験する。望まぬ相手から迫られ、不本意な立場に置かれるということね。理不尽で悔しくても耐えるのよ。レシェナは耐えたのだから。


 あの子、姉の立場が大きいせいで、かえってすぐには動けなかった。我慢強くて優しい子だもの。事を荒立ててお前を破滅させてはいけないと思ったのね。どうしてお前のような者は獲物にしやすい気弱で慎み深い性質の相手をすぐに嗅ぎつけるのかしら。事態を知ったネキア男爵が動いてくださって良かったわ。


 ああ、いえ、話を戻しましょう。

 お前をどうするかのお話だったわね。

 そうして150日。この罰則期間とその後のお前の心持ちや態度によって、さらに罰を与えるか、お前の家が関係者になんらかの賠償を行うかを決めていくの。お前が罪を認め、罰を受け入れ、深く反省すれば、わたくしはリジット伯爵家の謝罪を受け入れてそれ以上は求めないわ」


 いくばくか時があった。

 口を開きたいようなそぶりを見せたリジット家当主をエンディオンが流し目で黙らせ、実際に息を吸い込みかけた長男に対してはアルジェンヌが軽く扇を振って気勢をくじいた。


 沈黙しているだけではやり過ごせなくなったことがひしひしと感じられ、後光の中でも強い目でまっすぐに見つめてくるアルジェンヌに、ぎこちなく、ゲルトランは頷いてイエスを返した。

 ――返してしまった。


「良い心がけだこと」


 アルジェンヌはひとつ首肯する。


「書記の方、お手数ですがこれまでの内容をまとめて、証文をお願いできますかしら」


 そこで初めて、アルジェンヌはにっこりと笑った。

 ただ偶発的に二日間の会議を共にしただけで隣国王子を筆頭に数名の若者を骨抜きにしてしまったというのも納得できる、春のように温かく美しい笑顔だった。



 + + +



「ご署名ありがたく存じますわ」


 中央の応接テーブルに座った五名、つまり、侯爵令嬢アルジェンヌ、王子エンディオン、リジット伯爵家の三名全員のサインが入った書類を眺めて、穏やかにアルジェンヌは言った。


 召使いに命じて外務卿の元までその書類一式を運ばせ、内容確認の上で立会人の署名を入れてもらう。一番最後に書記が書類作成と立会の署名を入れたら紙の仕事は完了だ。


 リジット伯爵は何度も詳細を確認しようとしたり聞き返しをしたが、これは三男が確かに頷いたことでもう合意ができているものだと押し切られた。

 漠然とした不安に伯爵と後継長男が顔色を悪くしている横で、当事者の三男だけが『うまく乗り切った』とでも言いたげな隠しきれない喜色を目の中に浮かべて、早くこの場を終わりたそうにそわそわしていた。


「では、具体を詰めてまいりましょう。色々とご協力を仰がなくてはいけないことがありそうですので、コーヴェリアン外務卿にも、もう少しお近くに来ていただこうかしら」


 アルジェンヌが望んだのでそうなった。


 五名が向かい合うその左右のお誕生日席に、この国の外務大臣と書記官。

 都合七名の座が出来上がった。

 座席の組み替えの際に新しく人数分のコーヒーが配られて、今まで立会だけだった二名にも発言が許される。なおゲルトランの前にもコーヒーは置かれたが口の布はそのままだった。


「少し質問をしても? レディ・アルジェンヌ」

「ご随意に、コーヴェリアン卿」

「同じ目に遭わせるというのは具体的にどうなさるおつもりかな」


「まあ、お聞きくださる? ご相談させていただきたいのがまさしくそのことですわ!」


 ぱっとアルジェンヌは表情を明るくした。


「そういった、なんと申しますか、その男のような人間を好む方々をご紹介いただかなくてはと思いますの。わたくしも心当たりがないではないのですけれど、とてもではないですが、卿のような広いお付き合いや人脈はございませんもの」


 先ほどの合意文書には、最後の補足として、署名者はこの措置が円滑に進められるよう必要に応じて要求者アルジェンヌの支援を行うこととする、という一文があった。

 立会人として名を入れたコーヴェリアン外務卿も、もとより、二国間の関係維持のために助力を惜しむつもりはない。

 

「ふむ。罰を受ける者の前でする話ではないかもしれないが、役者か何かを使うつもりかね?」


「実際の同年代の婦女子では、むしろ本人が悪評を負うことになってしまいます。男にべたべたとまとわりつくような役は貴族令嬢には無理でしょう」


 書記官も言葉を添える。

 あら、と声を上げ、アルジェンヌはぱちくり瞬きをした。


「書記官様。おかしなことを仰ってはいけませんわ」

「おかしなことでしょうか」

「ええ。わたくし、その者は兵団のどこかに入れていただくように考えておりましたもの」

「兵団?」


「同じ国軍の中でも、辺境警備部隊ですとか、都市警邏隊や海兵隊など色々ありますでしょう? 国軍以外の領兵団や、もし信用がおけるなら傭兵団などでも良いのですけれど、()()()()()()()()()()()()()()()()が特にいらっしゃるのはどちらなのかしらと思案しまして」


 しばし、柔らかな日差しの注ぐ応接室に絶句が満ちた。


「えっ」


 と呟いたのは、最も当事者性の低いエンディオンだ。


「アルジェ、待って。もしかして、そういうこと?」

「そういうこと? どういう意味かしら」

「君の罰は、女性に付きまとわせるのではなく、男性に付きまとわせるということ?」


「別に必ず男性ということではないのだけれど、女性だと条件を満たすような人の当てがとても難しいのではなくて?」

「条件って」

「体格、体重、筋力、年齢、役職、爵位、財産など、およそ『力』となりうる物が少なくともいくつかは本人より上回らなくてはいけませんわ。そういう人間で、なおかつ、彼を嫌らしい目で見ることができ、できれば目下の者の尊厳を蔑ろにしても良心の呵責をあまり覚えない方。ちょっとした言葉のやり取りで押し戻す程度では動かせなくて、軽い覚悟では逆らえない、本人にとって厄介で嫌な相手でなくてはいけないの」


 男女の区別にはこだわらないわ、とアルジェンヌは寛容そうに言ってのける。


「そこまで有力でもない男爵家の令嬢であり小柄で非力なレシェナにとって、わたくしという姉を除けば、その男やその悪友たちはそういう存在でしょう? わたくしの存在を知らなかったその男は、そのつもりで、簡単には逆らえないはずだと思って学園にいる間の玩具にレシェナを選んだのよ。こんなに理論立てて考えたのではなく無自覚なものかもしれないけれど」


 徐々に話の流れを理解してきて、ゲルトランが再び、いや、以前よりも猛烈にだらだらと脂汗を流し始めた。

 顔が真っ赤になり、眉は隆起し、目玉が黒目の輪郭が分かるほどに見開かれる。


「そうですわねぇ、わたくしが存じ上げるご婦人の中で言えば、カーラマイン女伯はある程度当てはまるとは思いますの」


 ぐっと何かを飲み込みそこねたような逼迫がエンディオン以外の男性陣に走った。

 かの女伯爵は横幅ではアルジェンヌ三人分、重量では四人分ほどありそうな立派な体格のご婦人である。それでいて鞭のコレクションで名高く体を動かすことは好むと見られ、また領土の広さと権勢においては他の伯爵家と比べても頭ひとつ抜けている。水の利用権を融通されているためにリジット家が頭が上がらない相手であるのも特筆すべき点かもしれない。


「ただ、少しご気性がお優しすぎるのと、そもそもお一人では手が足りないでしょう。その男、ことの初めから『僕らが』相手をしてやると宣言して、周りの方を巻き込んでレシェナを追い回したのですもの」


 たおやかな笑みのまま、アルジェンヌはゆっくりとテーブルを見渡して、ゲルトランのみを飛ばして一人ずつ自国の男たちと視線を合わせていった。


 ですからわたくし、男性を好む男性の方々の集団のほうが探しやすいのではないかしらと思って。


 と、ささやくように告げる。


「男性がほとんどの世界では、そのような嗜好も、ないことではないと聞きますわ。殿方の皆さまの方がそういった評判も既知の方も多うございましょうから、ぜひ、お知恵と伝手をお貸しくださいませ」


 甘く願う淑女の背中を、わずかばかり傾き始めて黄色みを増した太陽の光が照らしてチリチリと金色の縁取りを与えている。


 神秘的なほどに金色をした絶望の静寂の中。

 口を布に覆われたゲルトランが

 いやだ

 と呟いたのが、奇妙にはっきり、皆の耳に届いた。


 彼があと一瞬で暴発して暴れ出すちょうどその刹那、パシッ、と閉じた扇を己の手のひらでアルジェンヌが打ちつける。男たちはびくりとなって動きを止めた。


「もしも」


 声ひとつで、身じろぎが制される。


「もしもどなたも良きご縁がなく、ゲルトラン・リジットを預けるにふさわしい場が見つからない場合ですけれど、その時は、囚人たちの雑居房に入れるのが最も簡易なようには存じますの」


「な、囚人房ですと」

「そんな」

「タウゼント嬢、それは、流石に」


「ええ。流石に最後の手段ですわね」


 まるで全員の気持ちはすでにぴったり自分の思う形で揃っているとでも言うように、至極当然のことのように、アルジェンヌはその選択肢を残した。

 隣のエンディオンまでもが軽く目を瞠って、首を引き、真紅に塗られた婚約者の唇から何が飛び出すのかと注視している。


「自身よりも身分の低い婦女への付きまといや卑猥な声かけ、暴言、不躾な接近や許可のない接触などは、我が国においてそれだけでは直接牢に収監されるような罪状ではありませんから、目的と手段の重みが逆転してしまうようで、わたくしも心苦しゅうございますけれど」


 嘘をつけ、とぶるぶる震えてゲルトランは向かいの小娘を睨みつける。


「貴族子息が牢屋で150日を過ごすなんて結構な重罪に見えてしまいそうですわね? 出てくる頃には必ずや、すっかり立場をなくしてしまうことよ」


 それは想像することもできない醜聞だ。


 この国で貴族はそもそもほとんど公的な牢に入る例がない。蟄居から抑留に流刑まで幽閉方法は少し恐ろしいほどバラエティに富んでいるのだが、それは家の当主なり国王なりが直接的かつ個別に対策を打つものである。貴族牢こそ存在するが、これは処遇が決まるまで待つための拘置所に近い位置付けだ。


 牢屋に入れられ、それも集団生活を送るとなれば、その身分は平民以外ではあり得ない。逆に言えば、そのような刑が科される場合は先に貴族の身分を剥奪されている。


「受け入れ先には、それとなく噂を流してくださいましね。貴族の生まれでも家の助けは得られなそうだとか、どうやら結構な色好みだとか。ほんの少しでよろしいの。立場が弱いということと、狙って良さそうだと伝われば」


 彼女が話していく中で、室内の護衛、特に隣国王子を守る者たちにかすかな動きがあり、リジット家の長男ははっと真横を見る。口を塞がれた弟が怒りで顔を赤くし今にも立ち上がって正面の女へ殴りかかりそうな様子であることに気が付いて、慌てて肩を強く掴んだ。

 反射的に振り払おうとする動きがあったがさらに強く押さえ込む。攻防を前にアルジェンヌの言葉は止まらない。


「噂には事実でないことが交ざっていても良いのよ。たとえば、ほら、伯爵令息とは名ばかりで、平民上がりの後妻の子だとか」


「っ!」


 先ほど聞いたばかりの言葉。


「ことが進んだら、ゲルトラン・リジットは男好きであるとか、男の味を覚えて自ら相手を探しているといった話が広がりますわ。ええ、わたくし確信しております。必ずそうお取り計らいいただけると、ご署名いただいた皆さまをお頼み申しておりますの」


 ぱ、と扇を開き、口元を覆い、

 流し目ひとつ。


「だってレシェナは、そのようにそしりを受けましたものね……?」


 限界まで研ぎ澄まされた剃刀のように、その視線は鋭く列座の男たちを撫でてゆく。

 彼女が加害者に求めるのはひとつ。

 妹が受けたのと同じ屈辱を、加害者も味わうこと。


「ねえ、ゲルトラン・リジット。

 わたくしもできればお前を平民の犯罪者がひしめく牢に入れることまでは望みたくないの。だって念のため雑居房で集団生活をさせている牢をいくつか調べさせたのだけど、そういった監獄って、獄死する人数が想像よりずいぶん多いのだもの。入れて早々に死なれてしまっては反省のほどを測ることもできないじゃない。だからそれは最後の手段。他で済むに越したことはないわ。お前のご家族やここにいらっしゃるお二方がご尽力くださって、良い受け入れ先が見つかるとよろしいわね」


 いつからか、罪人は後ろから二名の衛兵の手で肩を押さえつけて立てなくされていた。

 隣国の護衛に手を出されてしまうような状況があれば問題が甚大化しないように先に自国兵で取り押さえるようにとあらかじめ指示が出されていたおかげで、彼らも迷いなく動くことができた。


 ゲルトランの顔はある瞬間は紙のように真っ白く血の気が引き、またある瞬間は沸騰したかのように紅潮し、目まぐるしくその様相を変えた。声とは言えない唸りが喉の奥にわだかまり、汗と涎が滴って太ももあたりの衣服に見苦しく染みがにじんだ。背後から押し付けられた温かみの一切ない手に驚いて振り向き、横を向き、目玉がぎょろぎょろと味方を探した。片腕はずっと隣の長兄に掴まれたままだった。父親である伯爵は途中でその様子を見やって呆然として、十分に理解ができると己の顔を手で覆って下を向いた。


「誠実な、当たり前の、真人間のふるまいを学びなさい。お前は隣国の王族の前でそれを誓ったのよ。心を入れ替えてから行動を直すのでは追いつかないでしょうから、形から入り、行動によって己の脳裏に規範を塗り込んでいきなさい。


 カード賭博で借金を背負わせた相手に遊びやすい女を紹介しろなどと求めたり、フットマンに煙草だの金貨だのを押し付けて自分の悪行を見逃せと強いたりしてはだめ。自分の屋敷だろうと町場だろうと、女給の尻や胸を揉んだりしてはだめ。平民と見るや一晩いくらだとか下世話な言葉をかけてはだめ。道の物乞いに銅貨を落としては伸ばした手を踏みつけて遊んではだめ。


 それの何がいけないのかとお前は思うでしょうね。

 でも本当はもうお前は知っているの。人に見られたら相手によっては都合が悪いと感じること。それが人倫にもとることよ。

 この場にいる人間の前でできないことは誰もいなくてもやめなさい。見られたら言い訳がいることはやめなさい。ネズミのようにあらゆることに慎重になり、お前がつけ込んだレシェナの高潔さと慎み深さをお前こそが持ちなさい。逃がしはしないわ。お前は自分で誓ったの。おのが行いを悔い、振る舞いを改め、貴賤や男女を問わず他者に横暴は二度と働かないと誓った。


 貴族がその家名にかけた誓いをどれほどと思って?

 王族が、国の代表が、立会人を務めた意味を分かっていて?

 リジット伯爵家はその当主と後継ぎが二代に渡ってお前の誓いを請け負った。二つの国はそれぞれが国の代表を立ててそれを是認した。だからこの誓いは必ず果たされなくてはならない。お前も貴族ならば分かるわね。国の威信が本当に損なわれるかはさておいても、家の面子と存亡くらいはお前の更生にかかっているということよ」


「そん……っ!?」


 声を上げたのはむしろリジット伯爵その人だった。

 うつむいていた顔面を跳ね上げ唇を震わせる。


「存亡……などと……」


 口に出してしまっている自覚もなさそうな様子である。


「ご存知なかったかしら。わたくし、潰れた貴族家の遺児ですの。ここにいるどなたより、お家など簡単に潰せることを、潰したところで一門以外の人間にはなんの痛痒もないことを、骨の髄から知っておりますわ」


 悪い予感はずっとしていた。上位者に囲まれて流されるように署名を受け入れてしまった。


 ここに来て伯爵は、会見の条件として妻の帯同を許されなかった理由に思いを巡らせ始めていた。

 息子たちに甘い女親では余計な発言をしてアルジェンヌたちを更に怒らせるかもしれないと大きな疑問も持たずに受け入れた条件だったが、女性が同席していては――踏みにじられた娘の恐怖と恨みの深さを察せられる人間がいては――都合が悪かったのかもしれない。

 本当にこの程度のことで良いのかと訝りながらもサインをしてしまうより前に、逃げの一手のゲルトランが考えなしに誓いを立てる前に、身を投げ出して親として心底から謝罪を繰り返して、なりふり構わず慈悲を願えば、アルジェンヌが描く計画の一端でも聞き出して、今一度の再考を懇願することができたかもしれない。

 だがすべては「たられば」。

 推測、仮定の話だ。

 分かっているのは、もう後戻りはできないところまで来てしまっているということ。もしここに妻がいたならわずかなりとも事態は違っていたのではないかと意味のない夢想をしてしまうほどに。


「リジット伯爵グイド・リジット様。ご嫡男デンダール・リジット様」


 裁判官の木槌が鳴るように、スタンと何かを打ち落とす明快さで凛と侯爵令嬢アルジェンヌの声が響き渡った。

 呼ばれた二人は無意識にはっと姿勢を正す。


「伯爵家の皆さまにおかれましては本日このような場を設けていただき、また決して気持ちの良いお話ではないのに、ご異存を挟むこともなく、わたくしのお願いをすべて容れていただいて心より感謝いたしますわ。

 タウゼント家の事務官と武官を数名お預けしますので、コーヴェリアン外務卿やサジェード書記官ともご相談いただいて、受け入れ先や方針のご相談がありましたら日夜を嫌わずにいつでもその者たちへお申し付けくださいませ。

 隣国での教育があるわたくしがこの国にいられるのはあと二週間ばかりですから、受け入れ先の内諾は五日以内に取り付けましょう。話を進めるのに圧力が必要でしたらエンディオン様からもある程度委任をいただいておきます。タウゼント侯爵家の名前でよろしければ本件に限っては使っていただいても結構。書記官様とコーヴェリアン卿は関係先へのご支援と、国王陛下への状況と進捗の耳打ちもお願いいたします」


 作ったような笑みを消し、言葉尻からもわざとらしい言い回しや見下したような口ぶりを減らして、謝意を示したアルジェンヌの態度はやにわに実務的に切り替わった。


 淡々とした様子への急ハンドルについていけずリジット伯爵は目を白黒させ、法務卿はじっと探るような眼差しで若い娘を見ている。そんな視線に気付いた隣席の王子が、ちらりと目を合わせて軽く笑い、すっかり冷めたコーヒーの器を持ち上げ口に運んだ。


「そろそろ、この不毛な会談も終わりかな、アルジェンヌ?」

「ええ。お付き合いくださってありがとうございました、エンディオン様」

「その男は反省できると思う?」

「しますわ。そうでなければ失うものがあまりに多うございますもの。でも、まずは後悔するところからですわね」

「良い場所が見つかるのかな」

「試しに入れてみて上手くいかなければ、次の候補地に移して150日をやりなおしましょうね。皆様の伝手がすべて失敗したら最後は牢屋行きですけれど、きっと大丈夫です。だって」


 扇で口元だけ隠して、華やかにアルジェンヌは笑った。


「その男、なかなか見られる容姿はしていますもの。きっと相手をしてもらえますわ」



150日経って反省してたら謝罪を受け入れるとは言ったけど、150日耐えるだけで許すとは一度も言わないアルジェンヌ。


たくさんお読みいただきありがとうございます。

今回は実験的に登場人物の外見をできるだけ描写しない書き方をしてみました。キャラクター全員髪の色も瞳の色も未設定です。


もし良かったら評価の星やブクマをよろしくお願いします!

☆を★に塗りつぶしていってくださいませー

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「自分がされたら嫌な事をするな」 こんなの身分がどうたら以前に幼児教育レベルの躾でしかないんですよねぇ···
3日も耐えられないんじゃないかなww 伯爵家も、市井の評判が最低最悪にまで堕ちてしまい、数年で一門ごと終了かな
男→女の性犯罪は、強男→弱男(犯人)の性犯罪という形でしか同等の罰を加えられない…という説は感情的にはウヘァと思いますが、理屈としてはよくわかります。単なる性的な嫌がらせではなく、権力差・体格差・腕力…
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