37
パレードは順調そうに見えていた。私の見る限りでは、問題は何もなさそうである。だが、それが偽りであるのはわかりきっている。何かがある、と私の勘は告げていた。
ふと上空を見る。ツァールは相変わらず、空を旋回している。
そんなこんなで何事もなく、時間は過ぎていき、パレードが終了に近づいた時、事態は動いた。
突如、轟音が響いた。私は目をそちらに向ける。広場の隅の方で燃え上がる民家。その周囲ではうずくまる人々がおり、そこから混乱が伝染する。
すぐさま私は目線を戻し、パレード用の馬車に乗り、その場にとどまる王族たちの方に向かって奔りだす。
アレはフェイクだ、目を逸らすための。混乱によって、騎士たちはそちらにかかりきりになっている。王族の護衛たちも、混乱する民衆を押しのけて王族を非難させようとしているが、間に合わない。
私はジェームズに援護の合図を出し、物陰から飛び出した。朱いフードを深くかぶり、二本の小刀を抜き放つ。混乱する人々の真上、屋根を奔りながら向かう。
そんな私の姿を見つけ、隠れていたヒュドラ-の暗殺者たちが数人、私の前に立ちふさがる。
やはり、いたか、と私は息をつく。
「そこを、どけぇ!!」
立ちふさがった黒装束の一人の喉を掻き斬る。深々と切り裂かれた首は皮一枚を残してほとんど千切れかかっていた。その肢体を屋根より蹴落とす。私に向かい、剣を抜き、矢を放つ敵。私は素早く身を翻し、敵の一人を盾にする。味方の攻撃を受けた黒装束は首を跳ね飛ばされ、その胸に無数の矢が突き刺さる。私は死体の影から苦無を投げ、狙撃手の目を貫いた。そこに、ジェームズの放った矢が狙撃手の命を奪う。続いて放たれた矢が、私から離れようとする暗殺者を打ち抜いた。
転げ落ちる肢体に目もくれず、私は奔る。
悲鳴が上がる。その悲鳴は、王族のいる方向からであった。王族の乗る馬車の前に、一つの影がある。それは、数人の騎士の血で濡れており、血に染まった剣を構えていた。数人を一度に倒したその影は、狂気に顔を染めていた。そのままでは、王族などひとたまりもない。
間に合わない、と私は屋根から地上に飛び降りる。膝や体への負担は大きいが、やむを得なかった。衝撃が走り、脚が一瞬痺れ、骨がきしむ。けれど、一瞬後には私の脚は敵に向かって進み始める。
赤いマフラーをたなびかせ、私は群衆を掻き分け、敵の前に立ちふさがる。
「あら?もう来たの。予想よりも早かったわね」
そう言い、笑う小柄な影。それを見た時、私はどこか納得していた。そして、彼女を見た。
「アコニンス」
いつか王都であった少女。彼女は妖艶に、その真紅の血のような瞳を輝かせ、銀色の髪をなびかせていた。不思議と衝撃はなかった。ヒュドラ-では、彼女のようなものがいてもおかしくはない。それに、あの時感じた違和感は、間違っていなかったのだ。
銀の髪、真紅の瞳。そして、どこか私と似た雰囲気。それは勘違いでも、思い違いでもない。私の中の血が騒ぐ。
「腐っても、やはり私の姉、ということではあるようね」
アコニンスはそう言い、ぺろりと頬についた血をなめとった。
「驚いたわね。まさか、妹がいたなんて」
私がそう言うと、アコニンスは笑みを深くした。蔑むような瞳。私とは違い、根っからのヒュドラーである彼女は、アンドラスに深く心酔している様子であった。
「でしょうね、けれど、私はあなたとは違うわ、姉さん」
私と話している間に逃げていく王族も眼中に入れずに、ただただ私だけを見ている少女。
ちら、と王族たちの方を見ると、その視線に気づいたアコニンスがああ、と呟く。
「安心して、姉さん。彼らは飽くまであなたをおびき出すための餌。それ以上ではないのよ。だから、もうどうでもいいの。それに、『神』が降臨されれば、もう何も意味はないもの」
「『神』、ね」
理解できない、と吐き捨てる私に、アコニンスは笑う。
「フフ、そうでしょうね。所詮、デキソコナイのあなたには、わからないでしょうね。父上に期待もされていなかったのだから」
まるで自分は違うとばかりに胸を張る少女は、自信に満ちた顔で私を見る。
「ねえ、姉さん。あなたが私に勝てると思う?ああ、そうそう。あなたのお友達のホークアイは、キッと今頃あなたの援護をしている暇はないと思うよ?」
ニヤリと笑う少女。内心の焦りを感じさせないように、私は彼女を見ていった。
「援護などいらない。お前も、アンドラスも私が倒す」
「大きく出たわね。けど、あなたに私は倒せない」
その言葉が終わらないうちに、少女の姿が消える。そして、私の目の前に迫っていた。咄嗟に私は刀で彼女の斬撃を受け止める。けれど、威力速さ共に私を上回るそれは、次々と容赦ない攻撃をしてくる。
なるほど、アンドラスに見込まれるわけだ、と私は剣を振り、守りに徹しながら思った。確かに、あの頃の私などは比較にならない強さであるし、ヒュドラ-の理念に染まりきっている。反抗することのない、従順な駒。アンドラスが手元に置きたがるのも不思議ではない。
その意味ではやはり、私は出来そこないだったろう。だが、それでよかった。
「哀れね」
「なに?」
私の呟きを聞き、アコニンスは眉をしかめた。
「自分が駒として使われているだけと気づかないなんて」
「なに、嫉妬?実の父親に愛されなかった嫉妬?!」
アコニンスは表情を変えた。それまでは余裕を浮かべ、笑みを浮かべていたが、その顔は今、憤怒に染まっている。私ごときに憐れまれたことが、それほど気に障ったのだろうか。
フ、と私は笑う。見た目通り、まだまだ子どもなのだな、と。けれど、それが普通なのだ。
異常なのは、ヒュドラ-なのだ。
「父は私を愛してくれた!私はお前とは違う!」
叫び、激しさを増す攻撃。技術、力、全てをとっても私よりもすぐれている攻撃だが、それを私は苦もなく受け止める。余裕があるわけではない、けれど、不思議と心は穏やかであった。
「そうね、私とあなたは違う」
私は小刀を振り上げる。アコニンスの攻撃を受け止め、その手から武器を奪った。武器を手放したアコニンスが、一度後退し新たな武器を構える。
「どうして、どうして・・・・・・・・・・・!」
技量も、何もかも勝るはずの自分がどうして、と私を見る。
妹よ、お前はわかっていない。どうして、お前が私を殺せないのかを。
「お前は、選ばれなかった!父上に選ばれたのは、私なのにッ!!」
「かわいそうな子。そうやって、アンドラスに自分の存在理由を求めているだなんて」
そうやって考えなければ、彼女は自分の意義を見いだせない。自分で考えることなんてない。それでは、ただの道具だ。
私たちは人間だ。道具ではない。それを、彼女は教えてくれた。愛することを、生きることを、生きる目的も、私と言う存在も、全て。
だから、私はここにいる。
「その名前だって、偽名でしょう?あなたには、名前なんてないはずよ」
「それがどうした!」
「名前とは、親の愛情。それすら与えられないのに、どうしてそうまでアンドラスを慕うの?そうしなければ、捨てられるから?存在の理由がないから?」
「・・・・・・・・・・・・黙れ」
「結局、あなたは愛されていない。彼があなたに臨むのは、道具として従順であることだけ」
「黙れ」
「いい加減、目を背けるのを辞めなさい。そこは、本当にあなたのいるべき場所?」
「黙れええええええええええええ!!」
激昂したアコニンスが、奔る。がむしゃらな攻撃は、激しさこそ増しているが、幼稚で、先の読める攻撃になっていた。当たりさえすれば、どうとでもなる。今の彼女に、余裕はない。
おそらく、他の人間の言葉ではこれほど揺れ動きはしないだろう。けれど、血の繋がった姉である私の言葉だからこそ、彼女は揺れる。
選ばれたはずの自分。なのに、選ばれなかった姉は、こうやって平然としている。余裕はすぐに不安に変わる。
泣きそうな顔は、子どものそれであった。
「死ね、死ね、死ね。お前なんて嫌いだ!お前なんて、お前なんてェ・・・・・・・・・・・」
紅い目から零れる涙。それが、私の頬に当たる。
愛されないから、愛されたい。愛されるには、父の期待にこたえなければならない。そうやって、ずっと過ごしてきたのだろう。そこに、彼女の味方はいなかった。私のように、友もいなかったのだろう。
なまじ父に似すぎたために、彼女はこうなったのだ。運命が少し違えば、おそらく私もそうなっていただろう。
「ッ!!」
弾き飛ばされる刀。呆然とするアコニンス。ぺたん、と力なく地面に尻もちをつき、私を見上げる。私は刀を構え、彼女を見下ろした。
「嘘よ、嘘・・・・・・・・・・私が負ける・・・・・・・・・?」
嘘よ、嘘よ、と力なくつぶやく。
「確かに強いよ、私よりも。けれど、私は負けないよ、絶対にね」
私には、目的がある。
復讐。父への、ヒュドラ-への。
そして、私が私であるために。過去に決別し、新たな道へ進むために。
私は誓った。あの時、彼女と出会ったときに。
「君の、負けだ」
「・・・・・・・・・・ッ、殺しなさい!殺しなさいよ!!」
騒ぐ少女に、私は一瞥をくれた後、剣を振り上げた。
復讐を、その声は、私の耳をくすぐる。その声に従い、彼女の命を奪うのはたやすい。戦意を喪失した少女を殺すのは、造作もない。
けれど、それでいいのだろうか、と私の中で呟いた。
彼女はきっと、多くの人々を殺してきた。数多くの、罪なき人々を。それは父親の生もあるとはいえ、確かに彼女の意志でやったことなのだ。
けれど、ともう一度、私の中で声は呟いた。
私も彼女と同じだった。それを、ローザが、サクヤが救ってくれた。何もない、空虚な私に手を差し伸べてくれた。同じように、誰かが彼女に手を差し伸べてもいいはずだ。
それに、私たちは姉妹なのだ。どれだけ否定しようとも、同じ血が流れている。
愛を知らないならば、教えてあげればいい。導いて行けばいい。ローザが私にしてくれたように、サクヤが私を愛してくれたように。今度は私が、愛し、導くときなのだ。
私は振り上げた刀をアコニンスの横に突き刺した。ビクリ、と震えた少女は、しかし一向に来ない痛みに顔を上げた。そんな彼女を包むように、私の両腕が抱きしめる。
虚を突かれた顔をした少女は、ポカンとしていた。
「もう、いいんだ。もう、終わりにしよう」
私は言う。少女は、わけもわからず涙を浮かべていた。
「誰も君を愛さなくとも、私が愛する。たとえ、アンドラスが君を見捨てようとも、わつぃだけは味方でいる。私たちは、姉妹なんだから」
「・・・・・・・・・・・・・・、嘘よ。そうやって、いつかみんな私を見捨てるのよ、母様も、誰もかれも、何時かは・・・・・・・・・・・・」
首を振る少女。けれど、それを否定するように、強く抱きしめた。
「この想いは、嘘ではないよ」
「・・・・・・・・・・・!!」
私の顔を見て、彼女は泣いた。私の胸に顔をうずめた少女に、もはや冷酷なヒュドラ-の暗殺者としての顔はなかった。
「ふん、所詮は子どもか。そのような甘言で心動かされるとはな」
その時、冷たい声が響いた。私の腕の中で泣く少女の身体が微くんと震え、恐る恐る背後を振り返る。私も彼女を腕に庇いながら、そちらを見る。
そこには、私たちの父親、アンドラス・マケドニアスが立っていた。
「アンドラス・・・・・・・・・・・!」
「よもや、貴様が妹に打ち勝つとはな。敬服しよう、貴様のその思いの強さに」
アンドラスはそう言い、腰の刀を引き抜く。
「だが、見逃すことは出来んな。私の血をひく者が、私に弓退く、と言う事態はな」
「父上・・・・・・・・・」
アコニンスが怯えて父親を見る。それを冷酷な、血のような瞳で彼は見る。
「失望したぞ。所詮は、卑しい女に産ませた子供、ということか。やはり、ヒュドラーの意志は私以外には実現できぬ、と言うことか」
「ローザはどうしたの?」
私は身構えながら聞いた。ローザやアイリーンが、アンドラスを見逃すはずがないのだ。
半ば答えを予想しながらも、私は答えを待つ。
「フフ、あの女は死んだ。アイリーンと言う女も、今頃はもう・・・・・・・・・・・」
クツクツと笑うアンドラス。
「絶望したか、わが娘よ」
「・・・・・・・・・・・・」
正直、私はショックを受けていた。あのローザやアイリーンが死んだ、とは信じたくはない。けれど、今目の間にはアンドラスがいる。
背中には妹がいる。もう、ここには私しかいない。
「それどもなお、私に刃向うか?」
アンドラスの様子に、私は感じた。アンドラスがなぜ、ここにいる?『神』の復活の用意が済んだのならば、どうして私の前にいる?あれほど『神』の復活を望みながら、どうしてそれを行わない?
「まだ、『宝玉』を見つけていないのね」
「・・・・・・・・・・・・・」
私の言葉に、沈黙を返すアンドラス。答えはそれで十分だった。
ならばまだ、こちらには勝機がある。
刀を構える。瞳はもう、ぶれない。
「退く気はない、か」
「刺し違えてでも、お前だけは殺す」
「できるのか、貴様に」
蔑む表情に、私は笑ってやる。
「私を誰だと思っているの、アンドラス?私はVENGEANCE!復讐の女神!誰に屈することもない、孤高の復讐者よ。さあ、アンドラス。裁きの時間よ」
私の言葉に、笑みを浮かべ、そしてキリ、と顔を引き締めたアンドラス。そこには冷笑も油断もなにもない。私を「敵」として認識している顔であった。自身を脅かす敵、と。
「行くぞ、VENGEANCE。本当の力とは何かを、見せてやろう」
銀髪の幽鬼は、刀をゆっくりと引き抜いた。言いえぬ恐怖と闇を抱える男は、静かに刀を構えた。
私は妹を後ろに突き飛ばし、アンドラスに切り込んでいく。それと同時に、アンドラスも動き出した。
神速の刃が、私を切り裂く。




